第10話
晋也が自身なさそうに眉を寄せる。
「時間が経てば忘れるとしても、それは個人差があるでしょ。何年も引きずったら千明がかわいそうだよ」
梨江は的確な指摘をしてくる。
「そっかぁ。社内恋愛って憧れるけど、結構難しいもんなんだなぁ」
晋也は本気で考え込んでしまった。
さっきからお弁当も手つかずだ。
「え、社内恋愛憧れてるの?」
晋也の言葉に反応したのは梨江だ。
「そりゃ少しはあるよ。俺彼女いないし」
「そっかぁ……」
梨江がなにか考えるように空を見上げる。
つられて千明も空を見上げた。
今日はくもり空で、今にも雨が降り出してしまいそうだ。
午後からのアイスクリーム作り体験は室内でやるほうがいいかもしれない。
「告白してスッキリする……かぁ……」
千明はぽつりと呟いたのだった。
☆☆☆
例えば告白して振られても上司と部下の関係は変わらない。
多少ぎこちない気持ちになるかもしれないけれど、そこを乗り越えてしまえば大丈夫なんじゃないだろうか。
千明がそんな風に考え始めたのは休日を挟んだ翌日のことだった。
「どうしたの急に」
一緒にお昼を食べていた梨江が驚いた様子で千明を見つめる。
「昨日のドラマ見た?」
「韓国ドラマ? 見た見た! 社内恋愛ってやっぱりいいなぁと思ったんだよね」
ドラマの中では主人公のヒロインと好きな人がつきあい始めたところだった。
ふたりは同じ会社の上司と部下という存在で、みんなには内緒で付き合っている。
こそこそと会話をしているシーンや秘密のやりとりをしているシーンは胸キュンものだった。
「もしかして、あれに影響受けた?」
梨江が表情を曇らせて質問してくる。
千明は素直に頷いた。
「でも、振られる覚悟はできたから」
ここ数日悩んで悩んで、梨江や晋也からの助言も考えた上で出した答えだった。
結局、このままなにもしなければそれこそ何年もひきずってしまう。
そう判断したのだ。
それならここで思いきって告白して、潔く振られたほうがまだ前を向くことができる。
「そっか」
梨江が少しだけ悲しそうな表情を浮かべる。
だけど、覚悟を決めた人になにかを助言する必要はもうなかった。
「だからさ、振られたらパーッと飲みに行こうよ。晋也も誘って」
「うん。もちろん!」
「それでパーっと忘れてやるの! だいたいさ、突然キスしてくるなんて非常識すぎない? 私、どうして菊池さんのことなんて好きになったんだろ」
首をかしげてそう言うと梨江がプッと吹き出した。
「本当にそれだよね。いきなりキスしてくるとか、まるで送り狼じゃん」
また出てきた狼という単語に何故か胸がドキリとする。
触れてはいけない部分に触れてしまっているような、そんな罪悪感が湧いてくるのを感じる。
「ほ、ホント、そうだよね」
千明はぎこちなく笑ってみせたのだった。
☆☆☆
その日も千明はひとり遅くまで掃除を続けていた。
普段はあまり掃除しない更衣室のロッカーを念入りに拭き上げていく。
灰色の扉に自分の姿が映るほど綺麗になったとき、ようやく大和の仕事が終わった。
大和が事務室から出てくる足音を聞いて、タイミングをあわせて更衣室を出た。
「大塚さん?」
大和が驚いて足を止める。
「あ、菊池さんも今帰り?」
右手に持っている懐中電灯へ視線を向けて聞くと、大和は小さく頷いた。
「一緒に、帰ろうか」
「はい、そうします」
千明は大きく頷いてみせたのだった。
☆☆☆
ふたりで暗い道を歩いて駐車場まで行くのはこれで3度目だった。
空を見上げてみると今日は満点の星が姿を見せている。
「菊池さん見てください。星が綺麗ですよ」
「あぁ、本当だなぁ。星なんて見ることないから新鮮だな」
「ここの公園は広いから空を見上げればいつでも見れますよ?」
「そこまで考える余裕もなく帰ってたってことだな」
なんだか今ままで損をしていたそうな気分になると、大和は笑う。
「それなら今日から毎日空を見て帰ればいいじゃないですか。菊池さん、ずっとここで働くんでしょう?」
「そうだなぁ。いまのところ転職の予定はないかな」
ふたりして空を見上げながらふらふらと歩いていると、何度か体がぶつかった。
その度に声をあげて笑う。
ぶつかった肩が、手の指先がジンジンと熱くなるけれど、千明は悟られないように必死だった。
5分ほど歩いたところで千明はようやく視線を空から大和へと移動させた。
大和がそれに気がついて歩調を緩める。
「あの、菊池さん」
千明は完全に足をとめていた。
大和もそれに合わせて足を止める。
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