19 拝み屋
「ほう、旅館一つでこれほどまで。本当に気の良い旦那さんのおかげでアタシたちも路頭に迷わずにすみます」
眼の前で札束の入ったスーツケースが開かれる。
漫画の中でしか起こらないだろうと思っていた光景が目の前で繰り広げられている。今では慣れっこになったこの光景だ。
それもこいつと出会ってからだ。
俺は眼の前のソファに座るクソジジイの頭部を見つめる。
歳の割には脂ぎったまばらな髪、かくしきれていない頭皮にはシミと吹き出物が並ぶ。
何の目の保養にもならないから、はやく終わってほしい。
別に俺も座ってもいいはずだが、向こうが一番のおえらいさんしか座っていないので、なんとなく後ろに立つことになった。
向こう側で後ろに立っているやつは、老いも若きも皆強面だ。
ただし、若いの以外はこちらをあまり見ないようにしている。
ああ、そうだろうよ。
普段、自分らがやっていることだけあって、なかなか鼻が利くようだ。
つっかかってくるやつ、目を合わせたやつを生贄にして、自分たちの強さを誇示する輩ども。
その手の世界でそこそこの年月を過ごすとこうなるわけか。
ただ、若いやつの中にはそうでもないのがいるらしい。
「こんないかがわしい拝み屋連中に金払うぐらいだったら、オレがいきますよ」
暴力で成功体験を積んできたであろう男が後ろからソファの
血の気の多いやつだ。
匹夫の勇ってやつだったか。
経験を重ねていないからという言い訳は通用しない。
理不尽と力の世界で生きのびていく才能がないだけだ。
「先生方に失礼なこと言うんじゃねぇ。わきまえろや」
ああ、不貞腐れてやがる。
やだね、やだね、よくいるんだわ、こういうやつ。
眼の前にクソジジイがいなければ、しめてやるところだ。
ていうか、この場で全員やっちまって、眼の前にある金だけもらったって良いんじゃないか。
ジジイが七、俺が三といういつもの不公平な取り分にしても、俺が二、三ヶ月は豪遊して暮らせるくらいの金があるだろうに。
それにしても、七、三ってなんだよ。ジジイとりすぎだろう。
老い先短いジジイの癖に何溜め込んでんだよ。
「おう、おめぇら、ちょっと外で待っとけ。俺たちは拝み屋の先生と詰めねぇといけねぇことがあるからな」
向こうのじいさんが、年配以外のやつを外に追い出そうとする。
「おまえさんも外でタバコでも吸っといで」
クソジジイ、俺だって「拝み屋の先生」だろう。
どうせ、俺に寄越さない金の話でも詰めるんだろう。
むかつくが、まだ従わないといけない。
「はい、お師匠様」
俺は従順に返事をする。深く頭を下げて、外に出る。
若い衆のたまり場のようになっているところには、汚い灰皿があった。
灰皿が汚いのはムカつくが、加熱式なんてものに走らないところだけは好感をもった。
ポケットの中でつぶれたソフトケースを取り出し、一本取り出す。
取り出した一本はぎりぎり折れていなかった。
コンビニで買った安いライターを取り出して、火をつけようとする。なかなかつかない。安物のくそライターがっ。
そこにバカが近づいてきた。
「なんで、てめぇがここで俺たちと一緒にヤニくおうとしてんだよ」
バカは言いがかりまで頭が悪い。じゃあなんだ? そこらへんで吸って、お高そうなソファに吸い殻ねじ込んでやったらバカは満足するのか。誰だよ、こいつの脳みそ、ヤニだらけのフィルターと交換したやつは?
以前なら、この手の輩に絡まれたら、平身低頭して謝っていただろう。いや、謝り許しを乞うてきた。
でも、今は違う。
ただし、このバカは下っ端とはいえ「お師匠様」のクライアントだ。
だから、我慢する。
「すみません。俺もニコチン切れてるんですよ。ここで吸わせてください」
丁寧にお願いする。どうして、このバカにお願いする必要があるのかは、まったくわからないが。
「おい、絡むな。後でアニキたちにどやされるぞ」
絡んできたバカよりは、多少、この手の稼業の才能がありそうな三下がたしなめる。
それなのに、バカはとまらない。
「なんで、みんなコイツラにびびってるんすか。こいつ、中学の頃、よく便器の中に顔突っ込んでやってたたやつによく似てて、なんかムカつくんすよ」
バカの言葉で、中学時代の嫌な思い出が蘇る。
バカの顔ってのは似てくるもんかね。どいつもこいつも似たりよったりだ。
どこかにバカの工場でもあって、ベルトコンベアでこの手のバカが流れているのかもしれない。パートのおばちゃんが、せっせせっせとバカを箱につめていくってな。
俺はバカを無視して火をつけようとするが、くそライターは火花しか散らさない。
バカが俺の
巻紙の裂け目は無惨に広がり、俺のタバコは折れた。
これじゃ吸えない。
「無視してんじゃねぇよ。ムカつくんだよっ!」
ああ、同意見だ。俺もムカついている。
そう、こいつは、ヒモだ。女にたかり、女を殴り、最後は風呂に沈めるヒモだ。
様々な女と世に生まれでなかった者たちの怨念がついている。
そのような
吸われることないタバコを灰皿に放る。
「……すうそあつめし■■■■の御手からこぼれしすうそぞたまわらん。なんじょうすうそをほっせしか。この者にすうそ返りたくみえしかば、これほっすなり。オン・シャーパ・アハ、オン・シャーパ・アハ」
「不気味なんだよ、この、オタク野郎がっ!」
バカは本当に才能がない。
手を振りかざしてきたバカの一撃を頬にもらった俺はその場で崩れ落ち、やつの足にすがる。
俺の手が灰色に染まっていく。
我ながら、そして、毎度のことながら、気分は良くないし、気味が悪い。
不気味だという点に関してはバカと意見があう。
案外、このバカとは気が合うんじゃないか。
そう思うと、もう二度と会えなくなるこいつが少しだけ哀れになった。
というのは嘘だ。
さっさと呑み込まれろ。
ほうら、おばけがいくよ。
俺たちの周囲の三下たちがばっと飛び退く。
俺はバカを見上げる。
真っ青になっている。
それもそうだろう。
足元にびっしりと女と赤子の手がまとわりついているのだから。
大きな手、小さな手、無数の灰色の手がバカをつかみ、引きずろうとしていく。
倒れたバカと目が合う。
「助けて。助けて、ください。ごめんなさいほんとうにごめんなさいおねがいたすけてごめんなさい」
俺も謝りたい気分だ。やはり、こいつとは意見が合う。
「ごめんなさいごめんなさい。俺たち気があったよね。
謝りながら、ひひひと笑い声が漏れる。
俺につられてバカも気の抜けたような笑い声をあげる。スメッキングスメッキングスメッキング
短い付き合いだったが、最後まで気があったな、我が友よ。
俺は立ち上がると、くちゃくちゃになったソフトケースからタバコを取り出そうとする。
最後の一本は折れている。
ちくしょう、くそっとつぶやきながら、足元でよだれをたらしながら笑い続ける〈親友〉を蹴り飛ばすと、別の三下がおずおずとタバコを差し出した。
「いや、本当にすみません。ソフトケースはいけませんねぇ。すぐにタバコが折れちゃう」
俺が笑うと、三下はひきつった笑みでライターを差し出す。
なにか彫ってあるオイルライターだ。
「いいライターですね」
そう言うと、三下はどうぞ使ってくださいと、ライターを俺の手に握らせた。
「ありがとうございます」
オイルの詰替とか面倒だから、火つかなくなったら、捨てるけど、ただなら惜しくない。
煙をゆっくりと肺に入れる。
俺は少しだけ気分が良くなったので、鼻歌を歌いながら、足元で転がるバカを蹴り続けた。
三下たちは、何も言わずに俺のことを見ていた。
飽きたので、やめて、ソフトケースを振ってみる。
ソフトケースからは細切れの葉っぱしか出てこないが、タバコは周りの三下がくれた。
二本ほど無言で貰いタバコをしたあとにクソジジイたちが出てきた。
クソジジイは、転がるバカをしばらく見つめ、それから俺の頬をはった。
やつの灰色の手が俺の頬に触れた途端、心臓と胃をいっぺんにつかまれたような気持ち悪さが込み上げてくる。
俺は煙と一緒に昼飯を吐き出す。ご丁寧にクソジジイの足は俺の顔を昼飯だったもののところに踏み落とす。
「おまえさんはお客様のお連れに向かって何をしてんだい。ああっ! 少し躾けてやろうか」
クソジジイが甲高い声でわめく。
「すみません。お師匠様。ごめんなさいもうしません」
クソジジイは俺の顔を蹴る。口の中に鉄の味がひろがる。
いつか殺してやる、このクソジジイ。いや、いつか吸い取ってこきつかってやる。
「本当に申し訳ないことです。こんなバカ野郎でもアタシの唯一の弟子でして、ようく躾けておきますんで、今回は見逃しちゃあくれませんでしょうか」
「どうせ、こいつが先に手を出したんでしょう。お互い、恨みっこなしということにしましょう」
お客様が寛大に俺を許してくれる。ありがたいことで。まぁ、俺も金づるには恨みはないから、今後ともご贔屓に。俺は地面に頭をこすりつけて謝意を伝える。
「どうせろくに生きられねぇ。ばらして線香代にでもしてやれ」
ばらしちまったら、葬式出せねぇからな、せめて線香はよいやつ買ってやれよ。
別の三下が手渡してくれたタオルで俺は顔をぬぐう。
血と反吐がタオルに染み付く。
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