29 以怪斬怪
建物の外に出ようとしたとき、先頭を歩く佐田さんがとまった。
「はやすぎんだろ。出待ちしてる熱烈ファンじゃねぇんだからよ」
旅館の正面、街灯の下、人影が二つ立っていた。
「隙をみて、あなたは逃げてください。他の子たちまで手を出したりしないはずですから大丈夫。でも、あなたは狙われかねない」
二人が緊張しているのがわかる。
「なんだ、てめぇら。一仕事終えた後の一服ぐらいゆっくりさせろや」
佐田さんはタバコを取り出すと一本くわえて火をつける。
布津先生もタバコをくわえると、腰をかがめて佐田さんから火をもらっている。
「どうぞどうぞ、アタシたちにお構いなく、ごゆっくりなさってください。今生最後となる一服ですからね。そいつを邪魔しちゃ罰が当たるってもんでしょうよ」
甲高い声が応答する。
タバコをふかす二人の前にいるのは、着物に羽織の老人とパーカーの男の人だった。パーカーのほうはフードを目深に被っている。
二人とも小柄であるはずなのに、どうにも大きく見える。彼らの周囲にかかる灰色のもやのせいかもしれない。
光を吸い込むような嫌なよどみで全身をおおっているようだ。
「おい、おまえ」
老人のキセルにパーカーが火をつける。
そして、自分も高そうなライターでタバコに火をつける。ライターの調子が悪かったのか、火をつけた後、しきりにライターをいじり、舌打ちとともに放り捨てた。
誰もなにも喋らない。
ただ、紫煙だけがゆらゆらと立ち上っていく。
まず老人がキセルを振って、灰を落とす。
しばらくしてパーカーがタバコを地面に放る。
佐田さんの携帯灰皿にタバコが二本ねじ込まれる。
いつの間にかキセルを扇子に持ち替えていた老人の甲高い声が沈黙を破った。
「では改めまして。皆さま、このようなところまでお運びいただき、厚く御礼申し上げます。アタシは鈴木と申します。ちんけな拝み屋でございます。まぁ、祓い屋の方々からはナルカミとかいう素敵なお名前をいただくこともありますが。ほれ、
着流しの老人がかたわらに控える若者――若者といってもおそらく布津先生と同世代だろう――に声をかける。
「あー、弟子の佐藤です。今日はガリバー痛がするんではやく帰りたいんですよ。さっさとおかえりいただけないですかね。ていうかさ、なに、あんたら、こんなところに女連れ? 舐めてんの? イケメンが美人はべらして、横にジャガイモ面添えてよぉ。なに、サンピーでもするの? くんずほぐれつしちゃうの? それよかさ、君、名前、何? 俺たいした面じゃないけどさ、いいもんもってんだよ。モロコプラス決めてさ、おれとしっぽりポルとしゃれこもうぜ。あ、いや、嫌なの、なに、その目つき。やだやだ、リア充ってのは本当にいやだね。ああ、泣かしてやるよ」
若いほう、佐藤はこちらの返事を一切待たずにまくしたてる。
ああ、この言葉遣いはあいつだ。グレイドゥク、灰色のゴースト。
布津先生が髪をしばりなおした。
On your marks.
パーカーの男、佐藤がげらげらと笑い出す。
佐田さんが指をぱきぱきと鳴らす。
Set.
鈴木と名乗った老人が扇子をぴしゃりと閉じて、杖をこつんと打ち鳴らす。
「おぉばぁけぇがぁいぃくぅよぉ」
佐藤の妙に間延びしたことばが、スターターピストルの号砲だった。
布津先生が抜き打ちをかけた。
鈴木が老人らしからぬ素早い動きでかわす。
「さぁ、ここからが本題でございます。まぁ、皆さまがた、せっかくこんな辺鄙なとこまでお運びいただいた方々にこんなこというのはなんですが、皆さん、ここで死んでいただくというわけにはまいりませんでしょうか」
老人が羽織を脱いだ。わたしたちの顔をねままわすように首をうごかす。
佐藤のほうは目深に被っていたフードを後ろにはらう。何が面白いのかわからないが、頬をひくつかせながら、小さな笑い声をもらしている。
「ああ、こちらの祓い屋さんは本当に美形だこと。アタシみたいな面の人間からすると、うらやましくてしかたありません。でも、いくら美男子だからといってやって良いことと悪いことがあるってもんですよ。女を泣かせちゃあ、いけません。ほうら、あなたさまに騙されてボロキレのように捨てられた女どもの怨念がここに集まっておりますよ」
「じいさん、あんた、汚ねぇ面してんな。その面のせいで女っ気ゼロなのは、わかるけどよ、女さらってきて無理やりやって殺して山に埋めるのはやりすぎでしょうよ。埋められた女があんたに話したいことがあるってよ。うわ、ひくわー、あんた、どんだけ恨まれてるんだよ」
鈴木と佐藤は汚らしい偽りの物語を語ると、歌うように祭文を唱えはじめる。
「すうそあつめし■■■■の御手からこぼれしすうそぞたまわらん。なんじょうすうそをほっせしか。この者にすうそ返りたくみえしかば、これほっすなり。オン・シャーパ・アハ、オン・シャーパ・アハ」
地面から無数の灰色の手があらわれた。
次に首があらぬ方向に曲がった女が現れる。
「バサラダイショ、バサラダイショ、コトワリの前で、シンジンザイのさいもん、リガイのフジョウ、リガイのカミ、リガイのケガレ、水流れるごとくはらいたまう。フルコトのりてねがい奉る。祓いたまえ、オンサンザンザンサク、オンサンザンザンサク、オンサンザンザンサクソワカ」
先生たちも相手とほぼ同時に祭文を唱えていた。
佐田さんが形代をまく。
灰色の首の曲がった女にまとわりつくと、青い光を放ちながら燃え上がる。
女は手を振り回すと、再び佐田さんににじり寄る。
飛び上がった佐田さんが首を払う。
折れた首がぽろりと落ち、また首がおかしな角度で生えてくる。
先生には無数の灰色の手が迫る。
地面を這い寄る無数の手、突如地面から生えてくる沢山の手、マニキュアの欠けた手、ネイルアートの残骸をつけた手、剥がれた爪で地面をかきむしる手、どれもこれもが泥に汚れて傷だらけだ。
先生が地面に放った呪符は地面をおよぐ魚となって、手の中に突っ込んでいく。
魚が手を食い散らかす度にガラスをひっかくような悲鳴があがる。
それでも手は魚よりもたくさんで魚はみるみるうちに鱗を剥がされ、頭をもぎとられていく。
先生が身を伏せるようにして、薙ぎ払う。
無数の手が塵となって消え、また新しい手が生えてくる。
「女の怨念は怖いもんだね。相手を縊り殺すまで、何度でも蘇るってよ」
佐藤は何が面白いのか、ひぃひぃと声を出して笑う。
「いやはや、本当におまえさんはどれほどの女を泣かせてきたのか。うらやましいことでございますがねぇ」
鈴木は扇子を先生に向ける。扇子から、無数の灰色の手がぼとりぼとりと落ちてくる。地面に落ちた手は次から次へと先生に向かっていく。
青い光と灰色のもやがぶつかりあう中で、先生たちは少しずつ押されていった。
佐田さんに向かう首の折れた女性は、何をやってもにじり寄ってくるし、先生にまとわりつく手は多すぎた。
逃げろといわれたが、逃げることはできなかった。逃げるつもりになれなかった。
わたしは何も出来ずにうしろでただ見ている自分が歯がゆかった。
歯がゆい? いや、そうじゃない。わたしは怒っているのだ。
これまでにないくらいに怒っているのだ。
何も出来ない自分への怒りもあるが、それだけではない。
ナルカミの二人組がどうしようもなく許せないのだ。
ああ、許せない。
偽りをばらまいて嬉々としているこの人たちが許せない。
大好きな人を嘘で貶めるこの人が許せない。
わたしは鈴木に向かって叫ぶ。
「先生はそんな人じゃないもの! でたらめなんて、うんざりよ。わたしは先生を知っている。大好きな人なんだから!」
赤い光が走る。
鈴木が地面にはやした無数の灰色の手が一斉に消えた。
「おまえさんも祓い屋だったかね」
虚をつかれたように、居着いた鈴木の手を布津先生の刀が捉えた。
先生たちの刀はただの竹光でしかない。
それなのに、先生の一撃は、まるで真剣のそれのように鈴木の灰色の手を斬り落とした。
鈴木の灰色の手が塵のように消えていく。
「おまえさんは、こっちに来るべき者なのに……どうして、そちらにいってるのだい?」
片手をなくした鈴木がわたしにうらめしそうな視線を投げつけてくる。
あなたたちみたいな人のところにはいかない。いくわけない。バカにしないでほしい。
わたしは心のなかだけで答える。
それでも鈴木には伝わったのかもしれない。
「ああ、痛い。畜生め、アタシはこんなところで死にたかぁないよ。アタシゃ人間だ。化け物みたく身体が消え去っていくなんて嫌だ嫌だ」
鈴木が杖を地面に叩きつける。
杖は灰色の蛇となり、しゅるしゅるとわたしに向かってくる。
先生が蛇を斬りはらってくれる。
鈴木は足元に落ちていた自分の羽織を拾い、それを投げつけてくる。
羽織は暗幕のようにわたしたちと鈴木の間にひろがった。
先生が暗幕を縦に切り裂いていくと鈴木の姿がようやく見える。
ただ、その頃には鈴木は背中を向けて逃げていく最中だった。
「クソジジイがっ!」
佐藤がポケットから何かを取り出して地面に投げつける。
USBメモリから大きなモニタが現れ、ギャングか何かが人を拷問する動画が流れる。人が生きながら切り刻まれる最低の動画。
佐田さんがモニタを蹴り飛ばすと、モニタは消えるが、佐藤はすでにかなり向こうまで走り去っている。
「呪的逃走ですね。僕たちはもう追いつけません」
先生たちは大きく息を吐くと、刀を鞘に戻した。
「まぁ、年寄のほうは、もう長く保たないだろう。不利を悟った若僧が一人でここにもう一度仕掛けてくることもないだろう」
佐田さんがタバコの箱を取り出して、ゆする。
飛び出てくる一本を口にくわえると、箱を先生に向けた。
先生がタバコを手に取る。
「タバコ、吸いすぎ」
わたしは布津先生の手からタバコを奪うと、箱に戻す。
「だな。たかりタバコで一体何本吸うつもりなんだか、最近のタバコはたけぇんだよ」
佐田さんが笑って自分のタバコにだけ火をつける。
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