30 祓い屋入門

 「ぼやぼやしていると夜が明けちまうな。コスプレおじさん二人がこんなところでぼろぼろになっているなんて、通報されちまうぞ」

 タバコを吸い終えた佐田さんがつぶやく。たしかに二人ともぼろぼろである。

 「僕は佐田さんと違って、まだおじさんといわれるような年齢ではありませんよ。学生と間違えられたことだってあるくらいです」

 先生が、あまり重要ではなさそうなところに抗議する。

 「三〇過ぎたらおっさんなんだよ。この若作りおっさんが」

 「若作りなんかしていません。そもそもですね、そういう計算で行くならば、佐田さんはおじいさんで……」

 憮然とした顔で言い返そうとする先生のことばをかき消すように佐田さんはことばをかぶせる。

 「うるせぇんだよ。てめぇの頭は人の揚げ足取るためについているのか」

 「いや、僕は論理的……」

 「難しい言葉で煙に巻こうとするんじゃねぇ」

 本当に仲がいいな、この二人。

 帰ったら、真千子にもう一度入門しようかしら。

 自分の頬がゆるむのわかる。

 そのとき、二人が同時にわたしのほうを見る。

 どうして、にやにやしているときにこっちを見るかな。

 笑われるのかなと思ったが、二人とも真面目な顔だった。


 「さぁ、志佐ちゃん、ここで大事なお話がある」

 佐田さんがわたしを見つめる。

 丸メガネの奥の黒い瞳は優しげな光をたたえている。

 先生の赤みがかった瞳もわたしを見つめている。

 「ここから先は戻れません。だから、よく考えてください」

 先生がほほえみながら告げる。

 どのような選択肢をしても、あなたは悪くない。あなたは幸せに生きる資格がある。

 先生がゆっくりと私の目を見ながら話しかける。

 普段ならどきどきしてしまうだろうが、今は自分でも驚くくらいに落ち着いていた。

 「それにな、始末のことは、忘れちゃいないかい?」

 先生のことばを佐田さんが継ぐ。

 忘れてなんかいない。

 それでも、わたしの中で答えはすでに決まっている。

 迷いなんて、ない。

 

 「わたしは、先生の弟子になります」

 先生が黙って立ち尽くす横で、佐田さんが微笑む。

 助けを求めるように佐田さんのほうを向いた先生の長い脚を佐田さんが蹴り飛ばす。

 「よそ見してんじぇねぇ。志佐ちゃんは向き合った。てめぇも向き合え」

 「志佐さん、しっかりと考え……」

 わたしは先生のことばをさえぎる。

 「考えてます。何度も考えました。全部考えました。さっきも考えていました」

 「でも、あなたに悲しい思いをさせたくは……」

 先生の口から悲しいことばを消し去ってやる。わたしはことばをかぶせる。

 「わたしはバッドエンドなんて嫌いです。そんな物語は嫌。そんな物語はわたしが破り捨ててやります。破り捨てて新しい紙を出して、ハッピーエンドに書き換えてやります」

 わたしは宣言する。

 佐田さんがタバコに火をつける。

 ふぅーっと煙を吐き出した後にぼそりと言った。

 「志佐ちゃんならばできるかもな。なんてったって、一度壊されてカミにされちまったのをもとに戻したくらいだしな」

 わたしは二人みたいに刀は使えないかもしれない。

 でも、嫌なテクストを裁断するハサミをもっている。

 運命の糸を切る女神にだってなってやる。


 「ああ、目にゴミが入っちまって、いてぇな」

 佐田さんはわざとらしく言うと、丸メガネを外して、そっぽを向いて目をこすりはじめた。

 わたしは先生に抱きつく。

 先生は細いのに力強い。しっかりと抱きしめてくれる。

 身体を預け、少しタバコ臭い胸に顔を埋める。

 ずっとこうしていたい。

 先生も同じ気持ちだといいな。


 咳払いが聞こえる。


 「まぁ、なんというか長すぎだろ。さすがに俺もなんか手持ち無沙汰だからよぉ、その続きはおうち帰ってからにしてくれないかねぇ」

 佐田さんのことばにわたしの頬がかっと熱くなる。

 わたしたちはどちらからともなく離れる。

 離れ際に偶然ふれた手がとても熱い。

 そういえば、わたし、さっきすごいことをいってしまった気がする。先生は気づかなかったのかな。


 「おまえら、もう付き合っちゃえよ」

 佐田さんがタバコをふかしながら言う。

 ちょっとデリカシーがなさすぎ。

 私は首をぶんぶんと横にふる。

 「そうかぁ、ならさぁ、志佐ちゃん、おじさんのことも抱きしめておくれよ」

 佐田さんがおどける。

 「だめ、です!」

 わたしは笑う。でも、少しだけ待ってから、佐田さんを抱きしめる。こちらはとてもタバコ臭い。

 布津先生がぐっと割り込んでくる。

 先生はなんだかポムみたいだ。


 「やめてください、僕の教え子に! セクハラですよ」

 「てめぇこそ、セクハラで解雇されろ。首になって、俺の仕事手伝え」

 「嫌ですよ、ボーナスどころか給料も出すつもりないでしょう」

 「おう弟子にしてやるんだから、むしろこっちが金払ってもらいたいぐらいだしな」

 先生たちが大人げない口喧嘩、いや、じゃれあいをはじめる。

 ここに割り込むのは大変そうかも。


 ◆◆◆


 先生たちが着替えたあと、三人でベンチに座って色々な話をした。

 しっかりと流派のやり方を学ぶこと、無闇矢鱈と力を使わないこと。これだけはしっかりと守るようにと佐田さんがいう。

 「志佐ちゃんのはな、どちらかというとナルカミの力の使い方に似てるんだ」

 ナルカミは自分自身に混じるカミを制御せずに積極的に使うから強いのだという。

 たしかに佐田さんと先生が刀や呪符など道具を用いるのに対し、ナルカミの二人組はカミを呼び出してけしかけるといったように戦い方がまったく違っていた。

 「先生たちは、何かを呼び出したりはしないんですね」

 「訓練すればできるようになるはずだがな、心人在流では良しとされないし、そのような技術も伝承されない。人としての寿命が縮むからだ」

 サイモンがナルカミの手を斬り落としたのを見ていたかと佐田さんが言う。

 大抵のナルカミはもはや人ではない。

 人の形を保ちながら、もはや人ではない。

 自分で自分を人と信じながら、中身は人の欲望だけを遺したただのカミ入りの袋に過ぎない。

 佐田さんは刀を抜くと、先生の手を「斬る」。

 竹光は先生を傷つけない。

 「いつの日か、俺たちも塵となって消えるかもしれない。ただし、まだ人間のはずだ」

 制限なく力を使ってはいけないと佐田さんは繰り返した。

 「あれだけ、大見得切った志佐ちゃんが真っ先に化け物になってしまったら、おじさん泣いちゃうし、ここのサイモンなんか後追い自殺をしかねない」

 「あなたはもう僕の弟子ですからね、弟子が師匠より先にいなくなるなんてのは絶対に許されませんからね」

 二人のことばにわたしはうなずく。

 夏の朝日が少しずつ、あたりを照らしていく。近くの鶏舎からだろうか、鶏もけたたましく朝の訪れを知らせている。

 「まぁ、真面目な話はこれぐらいにしてな」

 佐田さんは軽トラの座席からベストを取り出して羽織った。

 「どうも、釣りのインストラクターの佐田と申します」

 たくさんポケットのついたベストを身につけた佐田さんが軽トラの荷台から釣具を取り出した。


 「あれ、随分と早起きですね。先生、はしゃぎすぎじゃないですか」

 寝癖のついた頭の平木さんが外に出てきた。

 「今日のお昼ごはんがかかっているんですよ。からかうなら、平木さんが坊主でも分けてあげませんよ」

 先生が大きな声で笑う。

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