第3話 旅館の怪
16 ゼミ幹のお仕事
「皆さん、前期のゼミ、お疲れ様でした。今日は平木さんと川上さんのお祝いも兼ねています。ふたりとも大変だったと思います。明日からは卒論、頑張ってください。乾杯!」
先生が中ジョッキをかかげる。
個室なんかない学生向け居酒屋なので、長身の彼の姿は目立つ。
ましてや、この人の容姿を考えれば、なおさらだ。
実際にまわりを見回すと、S大学生とおぼしき女の子たちが指さして見ている。
美男子もここまでいくと、パンダと変わらないかもしれない。
サイモングッズ、とくにサイモン生写真とか売れるんじゃないかしら。
わたしは、そんなことを考える。
すぐに自分は彼の写真なんて持っていないことを思い出して、顔が赤くなる。
一気にレモンサワーをあおる。
「お、いい飲みっぷり、志佐さん」
「一気に飲むから、ほら、もう赤くなっちゃって、この子は」
エリちゃんがむせかけたわたしの背中をさすってくれた。
◆◆◆
布津先生はもう一度、同じビストロに誘ってくれた。
わたしがネットを使って「怪談」の異伝をばらまいたときのやりかたの中には、出元がわたしだとわかるものも当然存在して、それでわたしは注意を受けることになった。
布津先生は、ものすごく強力に擁護してくれたし、根回しも相当してくれたが、一応注意を受けたし、反省文も書くことになった。
「本当にごめんなさい」
布津先生はわたしに対して平謝りだった。わたしは、覚悟してやったことだったし、そんなに気にしないでほしかった。
それでも、先生が食事に誘ってくれたのは嬉しかった。
ラピスラズリのブローチは工夫して、ワンポイントとして毎日着けている。
ただ、わたしが普段着ないような服のほうがよく合う気がする。
だから、少しおしゃれして、先生にもらったものを、先生が一瞬で気がつきそうなところに着けておくのも、なんだか嬉しかった。
先生はわたしが多少目立たないところにつけていても、必ず気がついてお礼の言葉と一緒に褒めてくれるけど、それはエリちゃんにも言っていないわたしだけの大事な宝物だ。
そういえば、「僕たちの今後」についてのお話もあった。
妖艶なまなざしというのは、こういうときに使うのだろう。
一つの表現がすとんと腑に落ちるような気がした。
ワインなんかでは隠せないぐらいに真っ赤になった。
「先生、その顔でその目つきは、反則だと思います」
そういうのが精一杯だった。
「よく言われますよ」
先生がにやりと笑う。
そこから繰り出されたのは、ゼミの幹事をしてくれないかというものだった。
からかったな、サイモン!
腹が立ったのだと思おうとしながらも、出てきた感情はじゃれあってくれて嬉しいというものだった。
サイモンゼミは、今年から始まったばかりだから、ノウハウがない。
ゼミ幹事という名の雑用係が欲しいらしかった。
しょうがないなと思いながらも引き受けた。指名してくれて嬉しかったなんて思ってはやらない。
それがせめてもの抵抗だ。
◆◆◆
ゼミ幹の初仕事は納涼会と称した飲み会だった。
布津先生は案外かまってちゃんだ。孤高のオーラを放ちながら、気がついたら、色々な人にお尻をくっつけているポムと似たところがある。
甘味処に行きたいからついてきてください、雪のようなかき氷があるらしいんですとゼミの後に言ったかと思えば、今度は飲み会だ。
そういうわけで、学生向けの居酒屋に皆で来ている。わたしはサークルをすぐにやめてしまったので、あまり、こういう場には縁がなかったが、結構楽しい。
「先生、一緒に飲んでくれる友だちとかいないんですか?」
就職活動を無事に終えたのに今度は卒論だとか慈悲はないんですかとか先程まで先生によくわからない抗議をしていた平木さんが、生ビールのジョッキを片手に先生をからかう。
「みんな、散らばっていきますからね。たとえば、仲の良かった先輩は、今、沖縄ですし。だから、学会で会うぐらいで、普段はひとり酒ですよ」
先生も中ジョッキを片手に答える。同じ飲み物なのに、飲んでいる人が違うだけで印象が変わる。そう思ってしまった後に、わたしは比較対象としてしまった平木さんに心のなかで謝る。
「ええ、彼女はいないんですか?」
すっかり元気になったエリちゃんがたたみかける。こちらも生ビールだ。彼女が口に運ぶと生ビールもかわいく見える。わたしは、再び平木さんに心のなかで謝る。
「いないんですよ。僕だってね、自分の見てくれを良いといってくださる人が多いことぐらいは理解していますよ。でもね、美人は三日で飽きるというのと同じように美男子も三日で飽きるのでしょう。ここ数年独り身ですよ」
「先生のせいで、うちの高校ちょっとした騒ぎになったというか、現在進行系でなっていること、忘れないでくださいね」
にっこりと笑う先生に、カシスオレンジ片手に物申したのは四年の川上さんだ。川上さんは教育実習から帰ってきて間もない。
うちの大学では学生の指導教員が、実習先へのお礼も兼ねて、視察に行くのだそうだ。
菓子折りをもって、校長室におもむき、お茶をいただいたあとに実習生の授業を見て、実習生を励まして帰る。励ましの言葉に気持ちがこもっているかどうかは指導教員次第だ。
気持ちはどうあれ、形式としては儀礼的行為で、先生もその通りに動いたらしい。
川上さんの授業を見て、川上さんに声をかけたのだそうだ。
ただ、問題は川上さんが女子高出身で、彼女が母校で実習をおこなっていたということだ。
「『がんばってくださいね。でも、終わったら、すぐに顔を出してください。あなたがいないと僕たちも寂しいですよ』って、先生が言ったらどうなるか、わかってるんですか」
「いや、さすがにちょっとしたあいさつでどうこうはならないでしょう?」
どうこうなるだろう。わたしは川上さんに向かって、うんうんと首をふる。平木さんは盛大に、同期の山田くんは控えめにだがブーイングしている。エリちゃんはケタケタと笑っている。相変わらずかわいい。
それにしても……と、わたしは心のなかでため息をつく。サイモンは、自分では美男子の自覚があるといいながら、実に不用意な行動をとるのだ。無意識にブローチを触っていたことに気がついたわたしは、レモンサワーをふたたびあおる。まだ溶けていない氷を頬にあてたかった。
川上さんは話を続けている。
「あの先生、タキちゃんの彼氏? あんな若い先生もいるの? タキ先輩、S大学でしょ、あたし絶対S大行くからとか。職員室でも根掘り葉掘り聞かれるし、本当に大変だったんですから」
タキちゃんこと、川上多喜子実習生の残りの授業はサイモンという嵐のせいで大変なことになったらしい。ちなみに川上さんの母校にはS大の指定校推薦枠があるが、行き先が不人気学部の総合人間学部であることから、さほど競争率は激しくなかったらしい。今年までは。それが今年はもう修羅場めいているらしい。
「廊下を歩いているときに、背後にバラが見えたとか、先生に微笑まれた女生徒が失神したとか変な話が流れて……」
怪異を斬るはずの先生自身が怪談(?)みたくなっている。少し可笑しい。
「川上さん、どうやって乗り切ったん?」
フライドポテトをつまんだ平木さんが笑う。
「最後までしっかりと授業聞いてくれたら、最終日にサイモンもう一回呼んで、記念写真撮ってあげると言ったの」
川上さんがスマホの画面をこちらに見せる。
卒業写真みたいな集合写真。生徒だけではなくちゃっかりと先生たちまで入っている。本当に呼ばれて行ったのか、サイモン。本当に呼びだした川上さんもすごいけどさ。彼は学問以外に関してはとことんゼミ生に甘いし、ノリ良く対応してくれることはわかっていたけど、ここまでとは。いや、そういえば、この前、真千子を紹介したときも「アイデアをくれた恩人」と紹介したら、彼女のリクエストにかなり応えてたからなぁ。色白の男子学生に壁ドンしてくれというリクエストは「セクハラになるから」と断っていたが、真千子が自分の彼氏連れてきて、「彼ならセクハラになりません」と言い張ったら渋々ながら壁ドンしてたしな。あのときのサイモンはものすごくなまめかしくて、わたしの中であやうく未知の扉が開くところだった。
わたしが思い出し笑いをしている前で川上さんはスマホの写真をスライドさせている。アイドルの撮影会のような状態になっていた。
最初にエリちゃんが耐えられずに吹き出した。あとは、先生以外は皆大笑いだった。
免疫ないところに、この美青年置かれたら、それは大変だよね。
この前、どきどきしっぱなしだったわたしには女子高生たちの気持ちがよくわかる。
ただ、川上さん自身はサイモンワクチンの接種が終わって、この美男子に免疫ができたらしい。以前、先生のウィンクに顔を真赤にしていた頃とは違うみたいだ。
わたしもサイモンワクチン接種済みになりたい。
「いや、まぁ、それよりも大事なことがあるんですよ」
布津先生は中ジョッキを掲げて、話を変えようとする。
わたしたちゼミ生はこの美形の割に妙に人懐こい先生が好きだし、一応尊敬しているので、ちゃんと注目して話をきく。
「夏といっても夏休みの終わり頃になるので、九月過ぎですが、ゼミ合宿をやりたいと思っています」
先生がハイボールのグラスを片手に宣言する。
「川上さんと平木さんは卒論の中間報告」
平木さんが枝豆をぽろりと落とした。就職活動で忙しくて、まだほとんど進んでいないらしいことは話の端々から察することができた。
「恵利元さんと志佐さんと山田さんは自由。ただし、今後のテーマにつなげるつもりで考えてみてください」
三年の夏にそう来るか。
鬼のサイモン、ドSのサイモンが久しぶりにあらわれた。
「全員、合宿前に二度の面談を求めます。面談はオンラインでも大丈夫ですから、夏季休暇中に実家に帰る人もそんなに心配しないで大丈夫ですよ」
「えっ、面談がオンラインだったら、発表会も合宿なしでオンラインでよくないですか?」
山田くんがツッコミをいれる。
言われてみれば、たしかにそうかもしれない。
「何言ってるんですか。民俗学は野に出る学問ですよ。それになによりも……」
先生はハイボールで唇を湿らせた後に続けた。
「合宿、楽しいじゃないですか!」
本当にこの人はかまってちゃんだ。
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