17 相談

 「なぁ、サイモンよぉ。弟子はいつかは取らないといけない。そして、弟子はいつの日か、師匠の始末をつけないといけねぇ。それをやりたくねぇとは、化け物になるつもりか、それともナルカミにでも落ちるか」

 電話越しの声は呆れ果てていた。

 「僕は今だって納得はしていないんです。佐田さんの始末の件だって、心のなかでそんなことはおこらない、そうたかを括っているともいえます。ただ、同時に自分は覚悟しているし、自分の境遇については納得してもいる。でも、彼女を巻き込むのはまったくもって納得できないんです。あまりにも、あまりにも不憫すぎやしませんか。なんとか……」

 ならないのかと布津が問いかける前に電話の相手は「ならねぇよ」とかぶせてきた。

 「おまえがさっき言ったとおりになるんだよ。俺の師匠はな、おまえと同じことを考えて、俺の前の召命を三度無視した。ちなみに三度とも師匠の想い人ってやつだったらしい。ごにょごにょとごまかしていやがったけどな。じじいの野郎、自分好みの美人の召命を三度にわたり無視してただ対価なしで助けた。結果として、俺が今ここでお前の師匠になっている。くそじじいは、ご丁寧に斬られる直前に打ち明けてくれたよ。俺もな、別に師匠のことを恨んじゃいねぇ。でもな、師匠が無視しなけりゃ、俺にも別の生き方があったかもしれない思うことはある」

 布津は天井を仰ぎ見る。

 蛍光灯の光が目を刺す。

 佐田が布津を弟子として見出したのは九年ほど前になろうか。

 彼が博士後期課程に進学したちょっとあとのことだ。

 あのとき、布津は見出され、襲われ、助けられた。

 「本当にすまねぇな。その若さでよ」

 辛そうに自分に話をする佐田の言葉と表情を今でもおぼえている。

 自分はしょうがないと思っている。

 別に佐田のせいでもないし、佐田もそもそも被害者みたいなものなのだ。佐田の先程の言葉を聞けば、なおさらである。

 だいたい佐田の後継者として選ばれなくともカミに出逢うときは出逢うのだ。佐田がいなくとも、自分はカミに出逢い、みじめに死に、誰にも発見されずどこかで朽ちていっただろう。布津の頭にそのようなことが浮かぶ。

 

 (しかし、だ)

 布津の本業の方での教え子となった子は、はじめて出会ったときは二十歳だったはずだ。

 さらに若いのだ。

 布津は典型的な駄目学生だった頃の自分を思い出す。

 友人たちと学問そっちのけで馬鹿騒ぎをし、学問よりも部活に心血注ぎ、恋もした。恋が副業のせいで悲恋に終わろうと、それまでに経験してきた楽しさや愛しさ、胸の高鳴りは彼にとっての宝物となった。今でもそっと心の中の小箱をあけて懐かしむことができる。

 それなのに、彼女は。そう思うと布津の心の中には棘が刺さるのだ。


 「これから楽しいこともあるでしょう。恋をして、笑ったり、泣いたり、バカをやって笑ったり、怒られたり。そんなことから遠ざけるなんて」

 だからといって、佐田の師匠がおこなったように召命を無視し続けても、結局、無慈悲な当たりくじが箱に戻されたくじ引きは続き、誰かがあたりを引いてしまうわけだ。

 布津の気持ちは晴れない。


 「だったら、おまえが相手してやればいいだろう。おまえは無駄に顔が良いんだ。相手だってまんざらでもないだろうに」

 「馬鹿言わないでくださいよ。僕は教員ですよ。それに相手するというのは、彼女の意思を無視したマチズモ的な物言いであって、僕は……」

 「難しい言葉使うんじゃねぇよ。俺がいいたいのは、そもそも、おまえはどうなんだってことだよ。それぐらいわかれよ、この面だけ良い朴念仁は」

 小難しい言葉で煙に巻こうという気持ちがあったのを見透かされたのかもしれない。

 布津はそう感じながらも抵抗をやめられない。

 「僕はどうとか関係ないんですよ。顔が多少良い男に声かけられたら、女性が喜ぶとかいうのはルッキズムで間違っているし、彼女に失礼です。それは彼女は綺麗だと思いますよ。話していたって、正直楽しい。学部生の頃の僕だったら、多分、色々と頑張ったかもしれない。それくらいは認めます。しかし、問題はそういうことじゃないんです。容姿でどうのこうのとか、少し話の波長が合うとかそういうことでどうこうなるような立場に僕はなくて、そもそも彼女は若いながらも聡明で……」

 「なんだ、べた惚れじゃねぇか」

 佐田が遮るように被せてくる。

 べた惚れとか何を言っているのだ。布津は相手の発言に対して強引な理解だと憤慨する。

 自分は異性としてではなく、人として彼女に感服していることを述べているにすぎないのだ。

 ただ、それを今このタイミングで言っても相手にしてもらえないどころか、ムキになっているとかえってまずい立場に追い込まれそうなことはわかっていた。

 だから、布津は話題をそらそうとする。

 「佐田さんだって、女っ気のない生活を送っているじゃないですか」

 電話の向こうから苦笑めいた笑い声が漏れてくる。

 「おいおい、サイモンちゃんよぉ、俺は結婚していたし、女房とは死別だ。おまえとは違う。おまえだって、一応、まだ若いんだ。もう少し恋だの愛だの楽しんでもいいだろう」

 佐田の家の仏間の上には若い女性の写真があるのを知っていた。

 祓い屋になる前に亡くなったのか、祓い屋になった後に亡くなったのか、それはわからないが、遺影の笑顔を見る限り、佐田は良き夫であったようだ。

 踏み込んではいけないところに踏み込んでしまった気がして、布津は申し訳ない気分になる。

 電話越しでもわかる気まずい沈黙を佐田が破る。

 「俺だってよ、可愛い女の子が選ばれればよ、今頃、手取り足取り腰取りってな」

 「すみませんね、可愛い女の子でなくて」

 布津は自分の気まずさを気遣ってくれたであろう佐田に甘えることにする。

 彼は口調がぶっきらぼうだが、人の心の機微に敏い善人である。

 

 「佐田さん、そろそろ、スマホに変えましょうよ。面倒くさくてしょうがない」

 スマホを使えば、テレビ電話みたいなのも簡単にできるんですよ。

 布津はそう師匠に伝える。

 「おまえの面見て、どうすんだよ。俺だってよ、自分の面がジャガイモみたいだってことを、わざわざ好き好んで確認とかしたくねぇんだよ」

 布津は声を響かせるようにして相手に返す。

 「僕はね、声も褒められるんですよ、素敵な声ってね」

 「ああ、そうかよ、畜生め。今度からは手紙にするわ」

 それは困る。

 佐田の文字は金釘文字なのだ。あれの解読には変体仮名の知識とはまた違うものが求められる。そして、頑張って解読しても、大抵は愚痴と布津への嫌味なのだ。

 「勘弁してくださいよ」

 「おう、だったら、スマホとか言うんじゃねぇ。このすっとこどっこいの男の敵め」

 佐田と布津はお互いに自分の笑い声を相手に聞かせることになった。


 その後の話は極めて真面目な、そして面倒な話だった。

 たしかにスマートフォンですら使いこなせず、いや、使いこなせるだろうに嫌がって、大量の中古ガラケーを買いためている師匠では対処しにくい話かもしれない。

 そして、彼女にはうってつけの話である。布津は教え子の顔を思い浮かべる。

 ウェブや動画メディアといった現在の情報ツールを身体化することに成功しているような彼女のような若者だからこその視点。布津も別にこの手のものに弱い訳では無い。なんだったら、情報系の研究者をやっている知り合いだっている。

 それなのに、彼女のような視点を持てなかった。

 頭が良く、はきはきしていて……香菜さんに似ている。

 布津は副業をはじめたせいで別れることになった女性のことを思い出し、すぐさま、強引にその思い出を封じ直した。

 封じ直さないと、別れた人にも教え子にも申し訳ない気がしたのだ。


 「そうそう、土産は酒でも持ってこいよ。小洒落た菓子とか持ってくるんじゃねぇぞ」

 「わかっていますよ。佐田さんに良い菓子持っていくぐらいだったら、自分で全部食べますから」

 布津は笑って通話を終了させる。

 新しく任命したゼミ幹に話さないと。

 そのことを考えて、少し浮かれている自分に気が付き、布津は一人赤面する。

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