25 合宿
九月の日差しはまだ強い。
刺すような陽の光は、当然お肌の大敵だ。
だから、というわけでもないが、わたしたちが陣取る側のボックスシートのブラインドはおろしてある。
わたしはほとんど化粧していないが、スキンケアはしっかりしている。というか、しないと中高六年間のつけが絶対にくるからやばいのだ。
エリちゃんと川上さんはナチュラルメイクだから、わたしより上級者。当然、スキンケアもしっかりとしている。
反対側の男性陣は当然といったら、布津先生に叱られそうだけど、全員ノーメイクかつスキンケアもしていない。
「サイモンさ、スキンケアとか実はしてんじゃない? ていうか、何もしてなくてあれだったら、まじ許せなくない?」
川上さんは声をひそめながら、こっそりと反対側のボックスシートを指し示す。
窓際に座る布津先生の姿がある。
先生は壁に立てかけた居合刀の袋に頬を寄せながら、ぼんやりと外を眺めている。
直射日光をしっかりと浴びているが、その肌は白い。
赤みがかった虹彩と白い肌のせいで、吸血鬼のようにも見える。
横で居眠りしている平木さんはがっつりと焼けているから、余計に先生の肌の白さが際立つ。
思い出すと、今でもどきどきしてしまうが、わたしは先生の肌を間近で見たことが何度かある。
負けたと思うくらいに肌もきめ細かいのだ、この人は。
ただ、これについてはエリちゃんにも川上さんにも言えない。
言ったら最後、その経緯を明らかにしないといけない。
川上さんはカミのことを知らないし、エリちゃんはカミは知っていても、わたしが先生に抱きしめられたとかわたしが先生に抱きついたとかいうことは知らない。知られてはならないのだ。
「聞いてみようよ」
エリちゃんはそう言うと、先生に手をふる。
「先生、おすすめの基礎化粧品ありますか?」
先生は一瞬キョトンとしてから答える。
「いや、僕は化粧は学生時代の余興で女装させられたときに、塗られたくらいで、化粧に関しては、まったくの専門外です」
「努力無しで白い子は居ねがー」
川上さんが手にしたお菓子を掲げて一人憤慨している。ナモミだけでなく、顔の皮まではぎかねない勢いだ。
でも、憤慨する気持ちはわかる。よくわかる。わたしたちの努力を前にスキンケアなしであれは許しがたい。
キョトンとする先生を放置して、わたしたちは額を突き合わせる。
「でもさ、ガングロサイモンとか想像できる?」
「いや、なんか一周回ってキモいかも」「シャンパンタワーの前でうぇーいとか言ってそう」「きもい」「うん、きもい」「僕のためにシャンパンをいれてくださいとか言うんだよ、きっと」
わたしたちは先生が「聞こえていますよ」といってくるまで、ありえない先生像について語り合う。
ほどなくして、居眠りをしていた男性陣二人も目を覚ます。
往路の電車の中はスキンケアとはなんぞやという女性陣による講義がおこなわれた。
男の人というのは、みんな知らないものなのだな。
「眼の前にあるけれど、気がつかないことを知っていく。これが文化研究の醍醐味なのですよ」
先生は目を輝かせながら、フィールドワーク用の緑の手帳に書き込んでいた。
大学の先生というのは基本的に変な人であり、なんだかんだ言って、この人も変な人である。
◆◆◆
最寄りの駅に迎えに来てくれていたマイクロバスに乗って二〇分ほど揺られると目的地に着いた。
九月の平日ということを差し引いても、わたしたちぐらいしか客がいないのは経営的にも大変だろう。宿で働いている人のほうが、わたしたちより明らかに多いのだ。そもそも、わたしたちなんかを泊めても宿はもうからない。
それなのに、見るから良い旅館である。
建物こそ古いけれど、掃除は行き届いているし、温泉、それも露天風呂まであるらしい。
平木さんが目を輝かせている。
「僕たちが泊まるのは、離れです。貸切状態ですから、多少は馬鹿騒ぎしても大丈夫でしょう」
先生の言葉に平木さんの目はさらに輝いている。
おとなしい山田くんは、はしゃぐ平木さんを横目ににこにこしている。
離れに泊まるのは、本館に怪異を一時的に封じてあるからだということは、口が裂けてもいえない。これについては、結界をはった先生の師匠を信じるしかない。
「まずはひとっ風呂浴びて、ビール……」
「……を飲んだりはしません。気持ちはとてもよくわかりますけどね、荷物を置いたら、まずは散策です」
わたしたちは先生に連れられて、外に出かける。
散歩しながらの先生の話は講義ではきけないフィールドワークについてのあれこれだった。
「たとえば、川上さんは母校で調査をおこなうのですよね。まじないや言い伝えというのは、けっこうセンシティヴなもので、聞き方に注意が必要です。場合によっては自分が集団ヒステリーめいたものを引き起こしてしまうことだってあるかもしれないだから、学校の先生たちにはしっかりと根回しをしておかないといけません」
「平木さんは、地元のお祭についての分析でしたね。地方史については、ある程度調べているので、あとは郷土史家の方も見つけられると良いでしょう。中学、高校の先生や役所の方に聞くと、案外伝手が見つかったりもします」
といった具合だ。
かと思えば、散策の最中に道端に生えている草木を指し示しては、「これはなんですか?」と質問したりもする。先生は木だけではなく、わたしたちが雑草と片付けてしまうものまで、色々なものの名前と用途を知っていた。
「宗教民俗学というと、儀礼や信仰だけを調べれば良いと思う人はけっこういるのですが、それは大きな間違いなのです。儀礼であれ、信仰であれ、呪術であれ、それはすべて生活に根ざしたものです。生活に根ざさない物語はありえません。だから、すべてを記録し尽くすぐらいの勢いでいきましょう」
この手の話は、講義にはあまり向かない話で、他の先生もたいていは雑談でしか話さなかった。かといって、フィールドワークは民俗学や人類学には必須ですと言われるものだから、わたしたちは案外とまどってしまう。
だから、ゼミ合宿でのこういう機会は面白いものだった。
散策の帰りに、酒屋さんに行き、それなりにがっつりとお酒を買った。
お酒の持ち込みは、「学生さんは夜遅くまで飲みたいでしょうし、うちで出せないものも沢山ありますから」ということで許してもらえた。
ここらへんに関しては、かなり融通が利く。
というか、これは他のゼミ生は知らないことだが、実は旅館はただでわたしたちに宿を提供してくれている。
対価は布津先生(たち)の仕事だ。
先生自身、このような形で仕事の依頼を受けたことはなかったらしいが、師匠経由でやることになったらしい。
先生は先生で、わたしに関して師匠に会わせて相談したいし、かといって、わたしだけを地方まで泊りがけで連れ出すなんてことはできない。わたしだって、男の先生と二人きりで泊りがけの旅行にいきますなんて親に言えるわけがない。
結果として、わたしを含む様々な人々の利害関係の一致で、ゼミ合宿が開催されているわけだ。
ただ、これは他のゼミ生に言えることではないから、「伝手で格安で泊まれる」宿ということになっている。
ただで泊まれるはあからさまに怪しいので、ゼミ生から多少のお金も集めているが、これを先生は宿の人に渡したらしい。
宿の人はいらないといい、かといって、先生も懐に納めるわけにはいかず、食事のグレードアップということになった。
それゆえ、風呂上がりのわたしたちの目の前には、驚くくらいに豪華な食事が並び、全員で歓喜の叫びをあげることになった。
初日はこうしてゆるやかに終わった。
二日目の午前は、仏は鬼に代わり、わたしたちの首はそれはもうやさしく真綿で絞められつづけた。卒論の二人はもちろん、わたしたち三年生もなかなか大変だった。
「山田さん、
「恵利元さんのネットロアの生成と変遷というテーマもとてもおもしろいものです。ただし、掲示板の話を並べるだけではなく、ネットロアとはなにかということについて、通時的な視点とネットだからこそ日本語圏にとどまらない広い視点が求められます」
といった具合だ。当然、わたしも優しく真綿で首をしめられた。
「志佐さん、流言飛語について扱いたいのならば、民俗学の文献だけを先行研究としてはいけません。社会学や人類学、メディア研究等の研究を読み込んだ上で、民俗学的視点を打ち出さないといけないのです」
鬼のサイモン、金棒をもって暴れまくりだ。
こうして合宿の表パートはおわる。
わたしは自由行動時間に先生に連れられて、先生の師匠のところに向かう。
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