26 師匠と弟子

 先生の師匠は宿の近くまで車で迎えに来てくれていた。

 ただし、軽トラで。

 「これにどうやって三人乗るんですか。あいかわらず適当すぎます」

 布津先生は挨拶する前にツッコミをいれた。

 運転席に座る短髪丸メガネのおじさんは親指で荷台を指す。

 「おまえが荷台に決まってんだろ。この頭でっかち野郎が。だいたいよ、無駄に長っ細くて邪魔だし荷台でいいだろ」

 「いや、だから、捕ま……」

 先生が話し終える前におじさんは割って入る。

 「ここのお巡りさんがたはそこまで暇じゃねぇんだよ」

 こういう押し問答の末に布津先生は荷台に積み込まれることになった。

 もちろん、先生は最後まで文句をいっていたが、お巡りさんにとめられることはなかった。


 「志佐さんだっけ? べっぴんさんだねぇ。サイモンから話は聞いてます。あいつ、面倒くさいやつでしょう。それに学者先生のくせしてことばがたりねぇ。まさか俺たちの流派の名前すら教えてないなんてな」

 丸メガネをかけた作務衣姿のおじさん、すなわち、先生のお師匠様にあたる心人在流の祓い屋、佐田妙真さたみょうしんさんが笑う。

 この師弟は、会う早々、お互いにずけずけとものを言っているが、ことばの端々からお互いへの信頼みたいなのがにじみ出ていて微笑ましい。

 たぶん、真千子に見せたら、悶絶して喜ぶと思う。


 佐田さんの家は、古民家のようなところだった。

 敷地内には蔵のようなものも建っている。工房として使っていると佐田さんはいう。

 「ほら、サイモン、手間賃だ。ちょうど塗師のところから戻ってきたところだ。中身の竹光も合うように削っといたから、刀身差し替えておけよ。素早い抜刀には鞘が大切だからな」

 佐田さんが、きれいな黒塗りの鞘を持ってきた。

 「佐田さんは鞘師なんですよ」

 「鞘師だけでは食っていけないから、農家と祈祷師と祓い屋も兼業している」

 兼業農家はわかるが、祈祷師兼祓い屋というのはよくわからない。

 たずねる私に佐田さんはにんまり笑う。

 「祈祷師業をやるときは、金もらって適当なことをいうだけ。祓い屋は必要なときの無料サービスってやつだ」

 佐田さんは祈祷師として受けた依頼の中で、本当に怪異が関わってくるときに活動するというスタイルなのだそうだ。怪異のほうから佐田さんに寄ってくるようなときもあるから、その限りでもないらしいけど。

 今回の仕事は祈祷師業経由らしい。祈祷師としてお祓いを頼まれた佐田さんが金だけもらって帰ろうと現場に赴いたら、祓い屋として動かないといけない案件だったということらしい。

 「先生もそういうスタイルにすればいいんじゃないですか」

 「どうやって副業の届けを出すんです? 僕はまだボーナスもらっていないのに、クビになりたくありませんよ」

 「だよなぁ、こんな可愛い子が横にいてくれる職場なんて、なかなかねぇもんな」

 お世辞でも嬉しい。

 いや、お世辞でも褒められたくない人もいるが、この小柄な見るからに職人風の人は、いやらしい感じが一切しないのだ。

 「佐田さん、今はね、ちょっとしたことでハラスメントになるんですよ。だから、そういう発言は控えてください。彼女は僕の大事な教え子なんですから」

 「そう、教え子で、これから弟子になる子だったな」

 へらへらと笑っていた佐田さんの目から笑いが消えた。

 「本当にこの若さでなぁ、ごめんな」

 佐田さんは、自分で選んだわけでもないのにわたしに謝る。

 丸メガネの祓い屋さんは作務衣のポケットからタバコの箱を取り出すと火をつけた。

 「ほれ」と先生にも放る。

 先生がわたしのほうを見つめる。

 吸っていいかということだろう。わたしは身振りでどうぞと伝える。

 「先生、タバコ吸うんですね」

 「まぁ、フィールドワーク中だけですけどね。普段は吸いません。構内禁煙だから、この人みたいなニコチン中毒になったら仕事になりませんしね」

 先生はタバコに火をつけるとゆっくりと吸い込んだ。

 「わたしも」と言ってみたが、先生は首を横にふる。

 「新世代の民俗学者に付き合いのタバコなんてものはいりませんよ」

 しばらく煙をくゆらせたあとに、佐田さんが口を開く。

 「さて、サイモンの野郎もよくわかってねぇ俺たちの仕事の継承なんだけどな……どこから話せば良いかな。まぁ、一番面倒くせぇところから話すと、俺たちはカミと同類だ」

 カミと同類……何のことかわからなかった。

 先生が佐田さんの話を受けるように続ける。

 「まず、このことだけおぼえておいてください。これからの話を聞いてから、やめるといっても良いのです。それはとても賢明な選択なのです」

 先生が大きくゆっくりと息を吸う。

 「召命を受けるということは、カミに選ばれ、カミに身体の一部を貸すことなのです。僕たちは自らが怪異と化して、怪異を斬るわけです」

 シャーマンと違うと言いながらも、どこか憑霊型シャーマニズムに近いものになっている。先日、先生に借りた本の記述を思い出す。

 「でも、先生、どこも気味悪くないし、佐田さんだって普通のおじさんだし」

 「そりゃそうよ。日常生活送れなかったら仕事もできないからな。ただな、カミの力は使っていくうちに増していく。それは祓い屋としての力が増したということになるが、それだけ制御が難しくなるということでもある」

 聞きたくない話が続く。

 「弟子は師の技術を伝承し、最終的には師が人でなくなったときには斬る。始末をつけるまでが弟子の仕事なのです。だから、僕は師匠をいつか斬らないといけないし、あなたが僕の弟子になれば、いつか僕を斬ってもらわないといけない。狂気にかられたネミの森の祭司は力を失った時に斬られますが、僕らはカミという狂気にとらわれ力を持ちすぎたときに斬られるのですよ」

 それがいつの日になることかはわかりませんと先生は静かにいう。

 「僕もね、正直なところ、実感がわからないんですよ。だって、このおっさんがどういう怪異になるんですか。せいぜい夜中に道の真ん中でセクハラ発言をするカミくらいにしか成れなさそうではないですか。まぁ、気色の悪い存在かもしれないですが、そんなカミ、放っておいても、そのままくたばりそうですし」

 先生が無理に笑顔をつくっているのがわかってしまう。

 ずっと先生のそばにいるというのは、正直悪くないなと思う。

 でも、先生の「始末」というのは無理だ。

 そんなバッドエンドの物語は嫌だ。

 でも、ここで断ってもハッピーエンドにはきっとならない。

 それどころか、断った瞬間にバッドエンドが確定しそうな気がする。

 頭の中がぐるぐるする。


 「まぁ、一度、仕事を見てもらってからだな、続きは。すぐに決めるもんじゃない。おい、サイモン、茶、入れてこい。渋めでな」

 わたしが代わりに入れますと言うと、先生は座っててくださいと笑う。

 「この人の渋めというのは、本当に面倒くさいんですよ。ちょっと気に入らないとすぐ拗ねる人ですから、慣れてる僕が淹れてきます」

 先生が台所に向かったところで、わたしは佐田さんに質問をする。

 「わたしが断ったら、他の人に向かってしまうこともあるんですよね。先生はああいってくださるけど、わたしが本当に断っちゃったら、どうするんですか」

 「どうするんだろうねぇ。あいつのことだから、困り果てて無理な仕事に挑んでいきそうで怖いんだよなぁ。自分がいなくなれば問題は解決する。あいつは学者先生の癖してバカなところがあるから、そんなこと考えてそうでな」

 ああ、先生はかわいそうでやさしい人だ。

 「だからさ、あいつのそばに居てやって欲しいんだ。バカだし、驚くくらいに鈍感なところもあるんだけど、あいつ、悪いやつではないんだよ」

 佐田さんがわたしの手を握る。

 この人もまたかわいそうでやさしい人だ。

 ことばは出ない。

 でも、わたしは佐田さんの目を見てうなずく。

 先生が茶盆をもって戻ってくる。

 「佐田さん、また若い女の子の手なんか握って。志佐さん、この人、手相とか見られませんからね。祓い屋としてはともかく祈祷師や占い師としては一切修練してない詐欺師ですから」

 「今な、乳首占いっていうのを考えててな……」

 わたしは佐田さんの手を振り払う。

 さすがにそれはちょっとひく。ということにしておこう。

 「こらっ、いい加減にしてください」

 佐田さんは先生に叱られてぼりぼりと頭をかく。

 良かった。先生は気づいていない。届くかどうかわからないが、佐田さんに感謝の念を送る。


 「そういえばな、この前のテレビから出てきたカミって話なんだけどな……」

 佐田さんがずずっとお茶をすすった。

 「テレビではなくてノートパソコンです」

 「わかってるよ、それぐれぇ、こまけぇな。あれだろ、テレホーダイでカミがやってきたんだろ」

 二十一世紀の発展全てに背を向けた変人、布津先生は佐田さんのことをこう評していたが、その意味がわかった。

 布津先生は付き合っていられないとばかりにため息をつくと、ツッコミをいれずに話を進める。

 「やはり、ナルカミですか?」

 「ナルカミだろうなぁ。俺も一度しかやりあったことがない。面倒くせぇのと当たっちまったなぁ。あいつら、本当にえげつないんだよ」

 ナルカミという二人の間だけで通じるキーワードはなにか、たずねてみる。

 「そうだな。まぁ、俺たちが半分怪異みたいなものという話はさっきしたろ」

 佐田さんが説明をしてくれる。

 同じようにカミの力を持つ者のうち、それを私利私欲のために使う一派をナルカミと呼ぶのだそうだ。自分自身がカミになるのもいとわず、カミに成れ果てるぎりぎりまで、自らの享楽のために動く人々。とはいってもカミの力は基本的に暴力装置みたいなものでしかないから、そのままではお金にならない。彼らの多くは裏社会で生きていくのだという。そこならば、足のつきにくい暴力装置は大きな金を生むからだ。

 「富来屋に嫌がらせに来ていた輩がいたらしいし、おそらくそいつらの依頼を受けているんだろうな……」

 「となると、カミだけ祓っても終わりにならないですね」

 「ああ、そいつらまで始末しないといけない」

 あのカミを送ってきた者なのだと思うと、怖くなった。

 でも、わたしは先生を信じると決めた。いや、ずっと前から決めていた。

 「まぁ、ナルカミについては俺たち二人だけで片付けるからな、志佐さんは、カミを祓うとこだけちょっと付き合ってくれな」


 ◆◆◆


 旅館から歩いて一〇分ほどのところまで送ってもらう。

 さすがに目の前につけて、他のゼミ生に見られると、あらぬ疑いをかけられるかもしれない。

 布津先生が懸念を表明すると、佐田さんはわたしの方を向く。

 「やっぱさ、顔が良くてもこういう面倒くさいやつは駄目かね。悪いやつじゃないから、優しくしてあげてな」

 わたしは耳まで赤くなってしまったと思うが、先生も真っ赤になっていたから引き分けだ。

 佐田さんが最後に真面目な顔に戻って言う。

 「夜中にやるからな。この前、連絡した通り、カミは結界で本館から出られないようにしているし、今晩、本館は無人にしてある。くれぐれも離れから学生さん出さないようにしとけよ」

 先生がうなずく。

 「日付が変わるあたりに戻ってくる」

 軽トラが去っていく。

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