27 以怪残怪
「明日の朝、ご飯を自分で取りたい人はいませんか?」
布津先生は夕飯前に一枚の紙切れをひらひらさせた。
遊漁券、魚を釣るために必要なチケットらしい。
皆の注目を集めた後に、先生はここはテナガエビとオイカワがよく釣れるのだと続ける。
「実は宿の人のご厚意で、釣りのセットは貸していただけるのですけど、どうしますか?」
テナガエビのかき揚げにオイカワの天ぷら、これが美味しいんですよという先生のことばに皆、釣られた。
「遊漁券はね、僕のおごりです。明日は朝五時起きなので、今日は一〇時くらいまでにはお開きにしましょうね」
この人もうまいこと考えるものだ。
日中のゼミの緊張感もあったのかもしれない。日が変わる頃には、皆、寝静まっていた。
◆◆◆
「よぉ」
真っ黒な狩衣姿の佐田さんが本館の前でタバコを吸っていた。
差し出された布津先生も一本もらって、ゆっくりと煙を吸い込んでいた。
「ザシキノテ、人をとり殺し、金品を奪う妖怪ですか」
先生は煙をゆっくりと吐くと、つぶやいた。
「志佐さんは、もう半分という怪談落語をご存知ですか」
「
先生の言いたいことがわかったので続ける。
「
阿弥陀如来田中先生が農耕民社会でしばしば報告される嫉妬ということで海外の類似の事例を交えながら話していたことを思い出す。バーリー先生も同じ話を、こちらは落語の実演付きでやってくれていた。
「すばらしい! そのとおりで……」
「俺を置いてけぼりにして、二人の世界に入るんじゃねぇよ。若い恋人たちに挟まれたおじさん、肩身狭くなっちゃうだろうが」
佐田さんが布津先生のことばを打ち消すように割って入ってきた。
恋人とか言わないでほしい。
これから危険なことが始まるのに、ドキドキしちゃうから。
佐田さんは、私より小柄だ。のっぽの布津先生と並ぶとその差はさらに際立つ。
ただ、二人はこれだけの背丈の差があるのに、ぴったりとしか言いようがないくらいに決まっている。
そっちのほうが二人の世界じゃん。
真千子連れてくるぞ。
どうでもいいことが頭の中でめぐりはじめたわたしの心を布津先生のことばが現実世界に連れ戻す。
「富と嫉妬のつながりの強さから、案外、座敷わらしと異人殺し系のお話の親和性は高いのかもしれませんね。親和性が高いから改変もされてしまう。それにしても、考えてみれば、かわいそうなものじゃないですか。富や幸福をもたらす可愛らしい童子であったものが、人間の嫉妬によって、異形のカミに変えられてしまうなんて」
沈黙が場を支配する。
そのとおりだ。本当にかわいそう。
ザシキノボウのままでいられたら、ずっと夜中のお座敷で楽しく駆け回っていられただろうに。
「じゃあ、いくぞ」
沈黙を破ったのは佐田さんだった。
懐から鍵束を取り出すと、彼は本館の入り口の引き戸を開けた。
「ここからはカミの棲家だ。いつ、どこから出てくるかわからねぇからな」
「志佐さんは僕の後ろから離れないようにしてください。あなたのことは絶対に守ってみせますから」
非常灯と最低限の照明しかついていない本館の廊下を進んでいく。
どこからともなく、子どもの笑い声がした。
笑い声は、泣き声になり、うなり声になり、悲鳴になった。
わたしたちは耳を塞ぐ。
カチャンカチャンという音があたりからした。
「おいおい、どういう仕組だよ」
庭に出るガラス扉が開かなくなっていた。
「ザシキノテだけではなくて、僕たちも閉じ込められたというわけですね」
カミをどうにかしないと、もう外には出られない。
向こうも佐田さんが結界をはったので出られない。
廊下の向こうに見える光る目、それが少しずつ増えていく。
「一柱じゃないのかよ」
「もとの形のまま増えていたら、大繁盛だったのに、もったいないですね」
祓い屋師弟は、軽口を交えながら廊下を進んでいく。
わたしはその二人に挟まれるようにして、進む。
「志佐ちゃんよぉ、怖くなったら、おじさんに抱きついても良いからな」
いつの間にか、「さん」だったのが「ちゃん」になっていた。
頼もしいし、緊張がほぐれるが、どうやって答えていいか、わからない。
代わりに布津先生が答えてくれる。
「佐田さん、僕の大事な教え子を困らせないでください」
「大事な教え子ねぇ、長いから大事な子とかに略しちゃえよ、なぁ、サイモンちゃん」
先生が答える前に佐田さんのほうからひゅんという音と青い光が走った。
突如床から現れた大きな灰色の手は、すぐに塵となって消えた。
「さぁ、カミさまがたに青い刀をお供えするぞ」
カチンという音とともに刀を鞘におさめた佐田さんが笑う。
廊下の突き当り、無数のお札が貼ってあった部屋の扉がきしむような音を立てたあとにぼろぼろと崩れていった。
「バサラダイショ、バサラダイショ、コトワリの前で、シンジンザイのさいもん、リガイのフジョウ、リガイのカミ、リガイのケガレ、水流れるごとくはらいたまう。フルコトのりてねがい奉る。祓いたまえ、オンサンザンザンサク、オンサンザンザンサク、オンサンザンザンサクソワカ」
二人は奇妙な祭文を唱和する。
「僕の後ろから離れないでください。大丈夫、僕がついているんですから」
先生の背中が大きく見えた。
佐田さんが走った。
それぐらいに速かった。
布津先生が撒いた呪符の下で佐田さんの身体がくるりと回転する。
青い残光がわたしの網膜に焼き付くとともに塵が舞っていく。
「カネヲオイテケ」
「イノチヲオイテケ」
「オイテケ」
「オイテケ」
「オイテケ」
「おう命より大事な金も置いてけねぇし、命あってのものだねとも言うしな。かわりにこのデカブツ置いてくってのでどうだよ?」
「ボーナスもまだもらっていないのに、こんなところで死にたくないですよ。代わりにこのインチキ祈祷師でも置いていくってので、手打ちとはいかないものでしょうか」
布津先生が青い光を振るうと、佐田さんが青い残光を残すと、その度に悲鳴とともにカミの気配が消えていく。
カミを斬り、カミを斬り、カミを斬る。
突如、部屋の明かりがぽつんと着いた。
無数にいたであろうザシキノテは一柱となって部屋の隅にうずくまっていた。
「タスケテタスケテ」
部屋の隅で震えているのは灰色の小さな子ども。
「かわいそうっちゃ、かわいそうなんだけどなぁ、こうなってしまったら、もうな、しかたがねぇよ」
佐田さんがもう一度祭文を唱え直す。
しかたがないことなんてない。
どうして、そんなことを思ったのかわからない。
でも、わたしはこんな物語は嫌だ。
「改心したザシキノテはもう一度もとの姿を取り戻しました。祓い屋さんたちは、ザシキノボウをそそのかした悪者を懲らしめます。悪者がいなくなったあと、ザシキノボウは元通り、楽しく暮らしましたとさ。めでたしめでたし!」
わたしは自分のお気に入りの結末を叫ぶ。こういう物語で良いじゃないか。
自分から悪いことをしたわけではないのに、かわいそうだ。
赤い光がぼうっと浮かび上がる。
わたしをとめようと肩に置かれた先生の手がふっとゆるむ。
前へと進むとザシキノテに手を差し伸べる。
手が熱くなり、輝く。
「アリガトウ」という声とともにカミは消えていた。
「祓った、ということになりますか。それとも元に戻した?」
布津先生の声がする。
「どちらにしてもすごいもんだよ。お前の弟子候補は。すごい力持っていて、とびきりの美人ときたもんだ。俺もこういう弟子が欲しかったよ」
「僕だってとびきり美男……」
「うるせぇ、だまれ、この男の敵、祓うぞ、てめぇ」
二人のやり取りに吹き出しながら振り向いたわたしを師弟コンビが抱きしめてくれた。
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