14 ヨミ(ニ)カエル
怪異が人の想像というゆりかごで生まれ、恐怖心という祈りを糧に成長し、物語として成長していくのならば……。
図書館で、本を読みながら考えた。
布津先生がすすめてくれたうわさについての本、英文科に進んだ友だちが教えてくれた文学理論の本、それに怪談。
先生のお師匠さんの連絡先というのは、もらっている。
いっそのこと、先生が行く前に連絡しようかとも思った。
ただ、それは良くない気もする。
助けてくれた人を信頼していないみたいだ。
「やっ!」
声をかけられて、はっとする。
居眠りしてしまったみたいだ。
びくっとしてふりむいた先には、本を教えてくれた真千子がいた。
高校の時の同級生、部活も一緒の子で、今は文学部英語文化学科にいる。
制服以外でスカート姿を見たことがない子。
その姿とは裏腹にといったら、怒られてしまうけれど、彼女は変わった子で英文学に興味があるらしい。
彼女が文学部に行くと言ったときは驚いたものだ。向こうは向こうで、わたしが総合人間科学部に行くことに驚いていた。どちらも就職とか今の流行りとかを無視した学部だからだ。
ちなみに彼女が興味あることはもうひとつあって、それは中学生の頃から知っている。でも、そちらについては、あまり深入りするつもりはない。
今日はなにか本とDVDのパッケージを抱えている。少なくともイケメンが描かれていたりはしないから、勉強の方の本らしい。まぁ、当たり前か。
「しさっちが本に埋もれて居眠りしているなんて、珍しいね。どうしたの、恋煩い?」
「いきなりすぎるって。居眠りしてる子が恋煩いだったら、朝夕の列車は恋するおじさまたちだらけじゃない?」
「それ、いいじゃん。隣り合って肩を寄せ合うようにして眠るおじさまたちがお互いを激しく……」
わたしはあわてて、真千子の口を塞ぐ。この時間、この場所には刺激が強すぎるお話がはじまってしまう。
これが彼女の趣味だ。
何が良いのか、ちょっとわからない。
でも、そんなことを言ったら最後、色々と聞かされることになるので、すっと流す。彼女から学ぼうとして、結局挫折した中学三年の夏合宿からずっとそうだ。
「そういえばさ、
「それ、うちのゼミの先生。布津先生、通称サイモン。本当に美男子で性格は猫の皮を被った犬系男子みたいな?」
まぁ、犬はチョコレート食べないし、食べさせちゃだめだけど。ついニヤニヤしてしまう。
「今度、見に行っていい?」
「講義だったら、誰がきても歓迎みたいだよ」
「スパダリ攻め、はかどりそう! 学生の方で、誰か気弱で小柄な男の子とかいたりしない?」
いや、どうかな。そういえば、修士の先輩で色白メガネの人がいたなぁ。たしか……金田さんだっけ。
興味はない。興味はないのに。
なのに、布津先生が金田先輩に壁ドンしているところが頭に浮かんでしまう。
「どうして赤くなってるの?」
真千子のせいだ。わたしは悪くない。
わたしは真千子が開きかけた未知への扉を慌てて強引に閉ざした。
だいたい、変な妄想にふけっている暇はないんだ。
わたしは頭をふって妄想を振り払う。
「講義のあとに研究室に連れて行ってあげるよ。サイモン見かけても、真千子、喜んでよだれたらしたりしないでよ」
本を教えてくれたせめてものお礼だ。
立ち上がったわたしは、にーっと笑った真千子のおでこをぴんと弾く。
彼女が持っているものが目に入った。
文庫とペーパーバックとDVDのケース。わたしの視線に気がついた真千子が広げて見せてくれる。
「これね、原作とその訳。それで、これがその映画版。舞台もコンゴとベトナムでまったく違うし、話もけっこう、というか話の結末だって、まぁ、異なっているのかも。それでも、どちらも有名な作品」
ああ、そうか。
話を変えてしまっても良いのだ。
真千子が布津先生をボーイズラブの物語の登場人物として消費するように、招く人の物語を別の結末のものとして消費してやればいいんだ。
真千子が貸してくれた本にだって、源氏物語の二次創作的作品やイギリスの戯曲の書き換えやらの話がのっていたじゃないか、
どうして、わたしはこんなことに気がつかなかったんだろう。
「真千子、愛してるっ!」
わたしは真千子のおでこにちゅっとキスする。
「百合じゃないのっ、わたしが好きなのは!」
抗議する真千子を置いて、わたしは家に走って戻る。
そして、パソコンを立ち上げる。
わたしは物語を作り上げると、エリちゃんに事情付きで送る。
そして、ゼミの連絡用のグループや、大学の同級生に送りつける。
ごめんとつぶやいて送るスパムでチェーンメールめいた物語。
バイバイ、優等生の志佐文代。
あとで、怒られるけれど、布津先生の妙に思い詰めた表情を思うと、どうにもできなかった。
大丈夫、先生、わたしがなんとかできるかも。
SEOだったっけ。今、一から学ぶのはちょっと大変かもしれないし、時間はない。
大学で情報系やってたのは……牧田くんがいたな。
◆◆◆
数日経ってからのことだ。先生に報告しようと思った。
すれ違った時に声をかけたが、先生は笑顔で会釈するとすっと行ってしまった。
いつもは、もっとわたしたちゼミ生の相手をしてくれるのに。
「いつ、あれやるんですか?」
先生は笑顔のまま、親指をあげて見せた。
まったく答えになっていない。
風呂敷と竹刀袋みたいなのを抱えた先生を追っかけたが、エレベータは満員だ。
階段を駆け上る。
六階まで駆け上ったわたしは少し息を整えて、廊下を進む。
先生の部屋は一番奥、中に明かりがついていたが、ドアには〈執筆中 対応不可〉という札がかかっていた。
拒絶されたようで、なんだか悲しくなった。
わたしはとぼとぼと帰宅する。
部屋で自分がしかけたウワサ話がひろがっていく様子を確認してから、ぼうっと紙を切り続ける。
気がついたら、夜だった。ご飯よと下から呼ばれるまで気がつかないくらいに紙を切った。
ご飯を食べて、部屋に戻る。
先生はなんで何も答えてくれなかったんだろう。
液晶の画面をちらちらと見ながら形代を切り続けているときにピンときた。
今日、決行するからなんだ。
わたし、馬鹿だ。
「忘れ物したっ! 明日が締切のレポート記録したUSB、たぶん、学校」
嘘だ。
最近、この時間は入構禁止だ。
それでもかまわない。
あの笑顔は、覚悟を決めたからの笑顔なんだ。
先生を助けに行く。
もし、行った先でなんかあったら、先生が助けてくれる。
それくらいに先生のことは信頼していた。
話すようになって、そんなに時間が経っていないのに不思議だった。
◆◆◆
忍び込んだ夜の大学は、いつにもまして暗い気がした。
その中で、ぼうっと光るものが見えた。
ネチャネチャとしかいいようのない、嫌なささやき声、そして、布津先生の声。
わたしは懐を確かめてから走り出す。
去年の初夏、公園の池のほとりで見たときの姿で先生はそこにいた。
正確にいうと、そのままではなかった。
黒い狩衣の片袖は裂けていた。
白磁器のように白い腕には真っ青な手の跡がついている。指の形をした青い痕は顔にもついていた。彼の白い肌を彩るのは青だけではない。先生の顔や手には幾筋かの血が流れている。
先生が、足にまとわりついていた首の妙に長いカミを蹴り飛ばしす。
ごろごろと転がってきたそれと目があってしまう。
「マタ、オキャクサン。イッショニ、ツロウ。イッショニツロウ。オオキナ、キノエダ、ジョウブナ、ロープ! ツロウツロウ、イマスグツレヨ!」
首の長い男が早口にまくしたてると、わたしの足首をつかんだ。
ものすごい力でひきずられる。
地面に押し付けて耐えようとすると、腕が摩擦で焼ける。
その力がふっと消える。
「何をやっているんですか、君は?」
わたしをひきずっていたカミを斬り捨てた先生の声がする。
先生の顔はこちらににじり寄ってくるカミガミに向けられている。
「助けにきたんです。わたし、わかったかもしれないんです」
「かも? かもで危険なところにくるなんて、君はバカなんですかっ?」
「自信もないのに、一人で背負い込んで、ボロボロになってるほうがバカじゃん!」
思わず言い返してしまった。
先生は答えない。
彼が別のカミを斬り倒している間にわたしはカバンから、たくさんの形代を出す。
見様見真似でつくったヒトガタだ。
まこうとしたときに、再び足首をつかまれた。
反射的に蹴り飛ばしてしまう。
赤いい光が走ってカミが少しおののくようにして離れた。
何がなんだかわからないけれど、今は考えているときではない。
形代をばらまく。
うす赤い光にまとわれた形代がみるみるうちに大きくなっていく。
にじり寄ってくるカミガミの前にぼうっとした赤い人影がいくつも立ちはだかった。
青白かったり、赤黒かったり、紫色だったり、さまざまな色で、身体のどこかが破損しているカミガミが一斉にこちらを向く。
そして、一斉に叫ぶ。
ガラスをひっかくようなとても不快な音。
カミガミは狂ったように赤い人影に群がる。抱きしめ、首を締め、喰らいつく。
そして、消える。
一柱のカミが消え、赤い人影が消える。
二柱のカミが消え、赤い人影も二つ消える。
三柱の……。
「さぁ、黄泉の国に帰りなさいっ!」
呆然としたまましゃがみこむ先生の横で、わたしは少しだけ得意になる。
最後のカミがすぅっと消えていく。
「君はなにをやったんですか?」
それはあとで話しましょう。先生、ひどい格好ですよ。
わたしは先生に手を差し伸べる。
先生は起き上がると、ぐっとわたしを抱きしめた。
感極まっているだけなんだろう。
ただ、いきなり抱きしめてくるのは、ちょっと困る。
心臓の鼓動は、困惑のせいだ。
違うという心の中の声をわたしは思い切り無視することにした。
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