13 カミガミの夜行

 待てば待つほどジリ貧である。

 本当は初動のうちに斬っておくべきだった。

 春の学会シーズンで出張続き、大学にいるときも助成金の申請書締切シーズンで出遅れた。それがいけなかった。一柱斬ったときには、もう遅かった。


 同じようなシチュエーションは、おそらくありとあらゆるところで起こっている。

 それなのに、カミが顕現するところと、顕現しないところがある。

 自分たちがカミの顕現に加担しているようなところがあることまではわかったが、それ以上の納得のいく説明は布津にはできなかった。

 考えてみたことは幾度もあったが、自分たちでは知り得ない変数が多すぎて納得のいく説にはたどり着けていない。

 師匠は考察をする布津を「本当におまえは、頭でっかちの学者先生よ」と叱ったものだ。

 考えてはいけない。ただ斬るだけだ。

 師匠の言葉を思い出すたびに、好きな映画のセリフを思い出して、頬が緩んでしまう。

 自分たちにできることは理不尽な物語を斬り捨て、破壊することである。

 テクストという織り目を裁断していくことである。


 依頼を受けて祓うというよりは、勝手に現場に赴き、祓うのが自分たちである。

 それでも、カミを祓う現場を目撃されてしまうことは、稀にだが、起こる。

 ただ、そのようなことがあっても、目撃者を助けて、それっきりである。

 自身の素性も明かさない。


 前回もそのはずであったが、目撃者が自分のゼミ生になるというのは想定していなかった。

 学生に目撃される可能性はゼロではなかった。ただ、それが自分の学部学科の学生になるとまでは思わなかったのだ。

 選考で落としてしまえば良かったのだろうが、成行きで始めた副業のために、本業での良心を捨てることはできなかった。

 ありがたいことに、彼女は大っぴらに触れ回ることもしない。

 好奇心を示すのは想定の範囲内だ。好奇心は猫を殺すというが、多少の好奇心がなければ、大学になど来ないほうが良い。

 彼女の知的好奇心の発露は、好ましいものに思えた。

 単純に好ましいというだけではない。

 自分が失敗したときの伝達役としても、働いてもらうつもりだった。

 「これが召命であるなんて僕は認めない」

 布津はつぶやく。ただ、認めないことは苦しかった。

 おぞましい世界に他人を巻き込みたくなかった。そう考えながらも、自分が失敗したときの伝言役を頼んでしまっている自分がどうしようもないクズに思えた。

 何も決めず成り行きに任せる自分の態度のせいで立て続けに知り合いが襲われる。

 いっそのこと、カミに飲み込まれて楽になってしまいたい。布津はそのようなことを考えるときもある。

 それでも、人である限りは勤めを果たさないといけない。


 梅雨時のべたっとした空気。

 これと最近のウワサで夜の大学には人が少ない。

 学生の入構は制限されても、布津には関係のないことだ。

 週間天気で大雨になりそうな日を選ぶ。

 風呂敷に狩衣を包み、刀は居合刀の持ち運びケースにいれて、自分の研究室に運ぶ。

 途中で志佐文代、以前助けたゼミ生と出会ってしまったが、だまって微笑んだ。

 いつカミと対峙するのかという質問には布津は答えなかった。

 ドアの前の札を〈歓迎 対応可〉から〈執筆中 対応不可〉に変えると、部屋の中で夜を待つことにした。

 この前の学会で発表した論文をもとに一つまとめたいと思っていたが、気もそぞろでどうしようもなかった。

 (そういえば、あのときから変わっていないな)

 布津はコーヒーを飲みながら目をつぶる。

 最初に〈仕事〉をしたのは博士後期課程の一年目だった。

 あのときは学会発表の原稿が手につかず、あとで大変な思いをした。

 今はそこまで締切に追われていないから大丈夫だ。 

 そして、あのときと同じように無事に戻ってこられるから、それも大丈夫だ。

 布津は自分に言い聞かせる。

 ぼんやりとしている間に、時が過ぎていく。

 誰そ彼たそがれ彼は誰かはたれと呼ばれる時からがカミガミの時間だ。

 人々が寝静まるとき、カミガミは仲間を求めて行進する。

 恐ろしい。

 しかし、やらねばならない。

 別に正義の心があるわけではなかった。

 カミは祓い屋を嫌う。

 この仕事を始めてしまった以上、近くで顕現したカミは祓っておかねば、いずれ狙われる。

 ただの自衛なのだ。


 布津は着替えると、打刀を手に取る。

 そのまま、すっと抜く。 

 刀は実は竹光だ。

 紙も切れない代物だが、これがカミならば斬れてしまうのだから、不思議なものだ。

 布津はデスクの引き出しから小刀を取り出すと、指の先を切った。

 赤く流れ出す血を竹光に薄く伸ばしていく。


 いつも通りのやりかた。

 よくわからないやりかた。

 しかし、よく効くやりかた。

 原理が重要なのではない。

 効くとされていることが大事なのだ。

 カミガミの物語に対抗する。これもまた一つの物語である。

 祭文を唱える。


 祓い屋の物語の中で布津は動き始める。

 建物を出る。

 午前二時過ぎを過ぎていた。いわゆる草木も眠る丑三つ時。人にとっては不利な時間帯であるが、人に目撃されることは極力避けたいし、夜でなくては、このカミガミは顕現しない。

 雨がしとしとと降る中、布津は歩む。


 雨が突然止んだ。

 青白い顔が校舎の横からいくつものぞいていた。


 「ハライヤガ、キタヨ」

 「ハライヤガ、キタネ」

 「シネバイイノニ」

 「シンジャエバ、ワタシタチノ、ナカマニ、ナレルネ」

 「ソウダ。シンデモラオウ」

 「ソレガイイ」


 校舎の屋上から人影が跳ぶ。べちゃりと音を立てて地面で潰れる。

 「サァ、オイデ」

 脳漿をたらしながら、笑う。


 大きな木に縄をかけた少女はくるくると回転しながら興奮した声で呼びかけてくる。

 「アナタモ、ナワヲ、カケヨ、ハライヤサン」


 「ナカマダヨ。ナカマダヨ」

 「ナカマニ、ナレバ、サビシクナイヨ」

 「ナカマニ、ナッテクレナキャ、サビシイヨ」

 「サァ、ハヤク」

 「ハヤク、トビオリロ」

 「ハヤク、クビヲククレ」

 「ハヤク、ガスノチューブヲ、クワエロヨ」

 「サァ、ハヤク、シンジャエヨ」

 「サァ、ハヤク」

 

 手足が不自然な向きに折れ曲がった者がすがってくる。舌と眼球を目一杯外に押し出そうとしているかのような少女が這い寄ってくる。

 人を死に招く。そこに明確な理由はない。

 カミは恐れという信仰で顕現したもの。人を死の世界に招き寄せることに、強いて理由を見出そうとするならば、それが多くの人にとって恐ろしいことだからというしかない。


 脳漿、涙、血、鼻水、汚物、様々なドロドロとしたものを身体から流し、ナメクジが這ったあとのような痕跡――ただし、それは当然白くはないのだ――を残しながら、カミガミは布津に向かって行進し始めた。

 

 「バサラダイショ、バサラダイショ、コトワリの前で、シンジンザイのさいもん、リガイのフジョウ、リガイのカミ、リガイのケガレ、水流れるごとくはらいたまう。フルコトのりてねがい奉る。祓いたまえ、オンサンザンザンサク、オンサンザンザンサク、オンサンザンザンサクソワカ」


 抜き打ちですがってくるカミを一柱斬る。

 切り離された首が宙を飛び、それでも飛び出た目玉が恨みがましく、布津を見つめる。

 「アア、ドウルイノ、クセニ、タニンヅラ。オマエモ、イツカ、キラレルトヨイノニ」

 布津はカミの呪詛を無視して、刀を振りかぶり、両手で斬りおろした。

 眼の前の首なしの身体が真っ二つに割れて、塵のように消えていく。


 刀を納めて力をためたいが、それが許されないくらいに数が多い。

 「ナカマニ、ナリナヨ」「ナカマダロ?」「コッチニオイデ」「カイイノ、クセシテ、ヒトノフリ」

 不自然に曲がった腕でつかみかかろうとしてくる男を斬り上げ、暗い紫色の顔で排ガスの臭いを充満させる少女を袈裟に斬り捨てる。

 振り返ると薬品臭い男がのしかかってきた。

 男がまとわりつかせている気体が布津の喉を焼く。

 なんとか突き飛ばして右肺を突く。

 どうにも数が多すぎた。 

 両足首をそれぞれ別のカミにつかまれて無様に転ぶ。

 それでも抵抗をやめることはできない。

 呪符を投げつけると、カミたちが飛び退く。

 布津はそのすきにさっと立ち上がり、そのまま横に薙ぎ払う。

 また一柱カミが塵と消えたが、それでもまだまだたくさんのカミが物陰から這い出てくる。


 「サァ、カエッテオイデ」「ジゴクヘ、オイデ」「オマエハ、ヨイモノガタリ」


 (これにて祓い屋稼業はおしまい。僕の人生もまたおしまい)

 師匠に後始末ができるだろうか。師匠のところで彼女が召命を受けたりはしないだろうか。いいや、彼女は僕の弟子筋として選ばれたのだ。だから、僕が死ねば、彼女はもう関係ない。

 布津は自分が死んだ前提で先のことを考え始めた。

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