02 蓮の上の首

 大学のそば(そして、わたしの家のそばでもある)に、S公園という大きな公園がある。四季ごとに色々な花が咲く名所で、うちの学生のお花見スポットであり、デートスポットでもある。ついでにうちののお気に入りの散歩コースでもある。

 中には大きな池があって、毎年、蓮の花が綺麗に咲く。

 蓮の花が見頃となる季節には、まだ少しはやいが、まったく咲いていないというわけでもない。


 「夜中の三時頃に池の横を通るとね、蓮の上に花ではなくて人の頭が咲いていることがあるんだって」

 エリちゃんはパフェのスプーンを握ったまま肩をすくめてこちらを見る。

 目を閉じて月明かりを気持ちよさそうに浴びる蓮の上の首は美しい女性のものだそうだ。

 彼女は声を出すことがうまくできないらしく、こちらに何かを語りかけようとするがうまく言葉を紡ぐことができない。首から下がないせいで声帯にうまく空気を通せないからだという。

 

 「あーぅあーぁぁー」

 エリちゃんが奇妙な声を出す。

 「やめてよ、わたしんち、公園のけっこうそばだって、知ってるでしょ」

 「大丈夫よ、だって、このお話、これだけだもん」

 わたしは「えっ、終わり?」と聞き返してしまう。

 「うん、そうなの。これで終わり」

 それでも怖い話というか気味悪い話で、公園に散歩に行きたくなくなってしまうが、これだけではオチがない。

 「それ怪談になるの?」

 エリちゃんは肩をすくめる。華奢な肩が上下すると、白くて綺麗な鎖骨が見えた。

 わたしが男の子だったら、これだけでドキッとしちゃうかもしれない。

 

 「ならないよね。だから、今度、肝試しを兼ねて取材に行くんだって」

 実話怪談というジャンルはあるけれど、それは小説とはちょっと違うらしい。

 なんとかして小説にしたいらしい。

 というのは建前というやつで……。

 「一緒にいかないって誘われたんだけど、夜、そんなところに彼氏でもない男の子と二人きりで行くのもねぇ」

 男の子はエリちゃんを誘いたいのだ。

 わたしは、そんなふうに男の子に誘われたりした経験がないけど、恋愛話は人並みに好きだと思う。

 「彼氏でもないけど、気になったりしないの?」

 わたしの言葉にエリちゃんが少しもじもじする。

 眼の前のパフェグラスは空っぽに近かった。

 奮発してチョコレートパフェを追加注文した。

 もちろん、エリちゃんの恋愛(に発展するかもしれない)話を聞くためだ。


 ◆◆◆


 吊り橋効果というやつをねらったのかもしれないけれど、はじめてのデートのお誘いが肝試しというのもどうなんだろう。

 でも、おたがいにきっかけが必要なだけで、それは何でも良いのかもしれない。

 次に出会ったエリちゃんは「彼氏」と一緒だった。本を抱えているのが似合う眼鏡の人。エリちゃんは、一見あざとそうに見えるけれど、純情な子で、彼氏の話も実ははじめて聞いた。仲の良さそうな二人を見ると、わたしもちょっと恋愛に憧れてしまう。

 付き合い始めってどんな感じなんだろ。聞いてみたいし、あのお店のパフェももう一度食べたい。だから、エリちゃんに付き合ってもらうことにする。


 「結局、行ったの? 肝試しじゃなくて取材じゃなくてデート」

 わたしの言葉にエリちゃんはにっと笑う。

 同性のわたしから見てもとびきりの笑顔でこんな顔で笑われたら、そりゃ男の子はどぎまぎするだろう。

 わたしだってちょっとどきどきしてしまうくらいだもの。

 

 「で、肝心の生首は?」

 顔が赤らんでいたりしないかなと心配しながら、わたしはわざと素っ気なくいう。

 

 「いなかったわよ。いたらデートどころじゃないもの」

 たしかにそのとおりだ。

 彼女はそれでも怖くなってしまって腕にしがみついたのだそうだ。もともと気があって誘った子に腕にしがみつかれたら、相手の男の子もさぞかしどぎまぎしただろう。エリちゃんはあざとそうに見えるけれど、純情で、でも、ここぞというときはやっぱりあざといのかもしれない。

 「エリちゃん、あざとい」

 「やだ。はっきり言わないでよ」

 わたしたちは笑う。

 彼女はあざとさとあっけらかんとしたところのバランスが絶妙なのだ。


 「でもね」

 エリちゃんが言う。

 彼氏の学科の友人たちが生首を見たのだという。


 「長い黒髪で、こちらを向いた笑顔はぞっとするくらいにきれいだったんだって」

 「でも、生首なんだよね」

 どれほど綺麗であろうと、生首は嫌だ。

 「そう、蓮の花の上に置かれた生首がすぅっとこっちを見て……」

 「やめてよ、犬の散歩コースなんだから」

 私が顔をおおったときにエリちゃんはさっとスプーンを突き出してわたしのパフェをさらっていった。

 「もーらい」

 「あっ!」

 「ごめんごめん。私のも食べる?」

 エリちゃんがスプーンを差し出す。

 やはり彼女はあざとかわいい。


 ◆◆◆


 火曜二限のフランス語中級のあとは学食でランチを食べる。

 同級生たちはサークルの部室に行くといっていた。

 だから、一人だ。

 でも、たまにはそれもいい。

 今日は訳であてられて疲れてしまったので、一人でぼうっとしていたい。


 【冷やし中華はじめました】という定番の文句につられたわたしは冷やし中華とヨーグルトの載ったトレイをささげもちながら、空席を探す。

 テスト前だから学食も混雑している。

 ご飯を食べながら、あるいはとうに食べ終わった食器を前にしてテスト情報の交換や、テストが終わった後の遊びの計画を立てている。

 「ここ、いいですか?」

 声をかけて男子学生五名が座っている席のはじに腰掛けさせてもらう。

 調査では節度ある図々しさが大切ですよって阿弥陀如来こと田中先生も言っていた。わたしはまだ調査とか考えたこともないけれど、いつの日かどこかに調査に行ってみたいから、「節度ある図々しさ」を実践している。

 もりもりと食べているときに声をかけられた男子学生たちは一瞬驚いていたが、快く相席を許してくれた。

 にっこり笑ってお礼をいう。隣の男子学生の耳が赤くなった。エリちゃんほどではないけれど、わたしも多少あざとくふるまえるみたいだ。

 ああ、でも男の子の前でずるずると麺をすするのは少し恥ずかしいかもしれない。わたしは自分の今日のチョイスを少しだけ後悔しながらも、なるべく音を立てないように冷やし中華をいただく。

 男子学生たちは食べ終わると、テストの話ではなく、うわさばなしを始めた。

 そのうわさの主は、先日エリちゃんに聞いた蓮の花の上に咲く美人のことであった。

 でも、話は少し変わっていた。

 エリちゃんの話では生首だった美人は上半身になっていたからだ。

 なんでもトップレス(トップしかないから全裸のほうがいいのかしら)の美女が蓮の上でこちらを見て微笑むらしい。そして胸も露わに手招きしてくるらしい。

 「でよ、見えるわけだよな。色は? 大きさは?」

 隣の男の子が向かいに座っていた発言主をひっぱたいた。発言主はわたしのほうをちらりと見て口をつぐむ。

 わたしのことは気にしなくてもいいのに、いい子たちだなと思う。わたしの「色と大きさ」をささやいたらどうなるだろうと思いながらも、それはあざとさを超越しておかしな人になっているだろうなと思う。

 そんなことを考えていたら少し笑い声が漏れてしまう。

 相席の男の子たちがこちらを見る。しまった。

 「気にしなくてもいいですよ」

 がんばって取り繕ってみたけれど、うまくいかず、男子学生たちはトレイをもって去っていった。

 もう少し噂話を聞いていたかった。いや、話に加わってみたかった。

 ヨーグルトを食べ終えたわたしは席を立った。

 エリちゃんにも今度聞いてみよう。

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