08 四月の鬼

 四月、わたしは無事に進級した。

 大学三年生だ。

 まぁ、うちの大学は二年時までの必修単位を落とそうが、四年生までは自動的に学年が上がる仕組みになっているので、三年生には誰だってなれる。

 「無事に」の意味は、無事にすべての単位を取って進級したということだ。

 でも、頑張ったおかげで成績は良い方だったらしい。

 三月に成績優秀者に与えられる奨学金をいただくことができた。

 そのとき、同時に新入生のオリエンテーションの補助役を務めるという(一応、うちの学科では)栄誉(とされること)も承った。

 「挨拶したりプリント配ったりするだけだけどね」

 と去年の成績優秀者であるエリちゃんが教えてくれた。

 まぁ、その程度であっても、選ばれたのだから光栄だ。


 そういうわけで、わたしは新入生が入学式で目を輝かせているであろう間、大教室でオリエンテーションで配るプリントの整理をしている。

 パチンパチンとホチキスでプリントをとめていく。

 「うちの学科は、基本的に変わり者が入ってくるからね」

 阿弥陀如来こと田中先生が言う。

 今年から、先生は学科長になったというが、「こんなものはね、持ち回りの罰ゲームみたいなものですよ」という言葉を証明するかのように学科長自らが雑用を手伝っている。


 「そうそう、去年亡くなった佐藤先生の後任の先生も着任しているからね。志佐さんは宗教民俗学やりたいって言ってたでしょ。そう、佐藤先生の後任の布津先生。紹介してあげましょう」

 その名前には聞き覚えがあった。顔もしっかりと憶えている。わたしの特技は人の顔を憶えることだけど、布津先生のことを忘れる人はあまりいないだろう。

 去年の後期に代講的に着任した布津斎文非常勤講師は、どうやら元々次年度から専任で着任する予定だったらしい。

 「布津先生の講義は去年の後期に取りました。面白かったです。大人気でした」

 わたしは当たり障りなく答える。

 去年の前期、大学生を賑わした怪談の主に襲われそうになったこと、そのとき美形の祓い屋さんに助けてもらったこと、その人がどういうわけか後期、教壇に立っていたこと。そんなことは言わない。

 言ったら、田中先生は困惑してしまうだろうし、布津先生も困ってしまうだろう。

 「ははは、彼はまぁ、イケメンってやつですからね」

 彼のイケメンっぷりは院生時代から有名でしてねと先生が続けようとしたときに布津先生が冊子の入った段ボール箱を抱えてあらわれた。

 まくったシャツの袖からのぞく腕は意外にも筋肉質で血管が浮いている。

 同世代でこういう人がいたら、それはちょっとどきどきしてしまうかもしれない。

 わたしはただの学生なので、幸か不幸かそこまでどきどきしない。

 ごく当たり前に挨拶をする。

 

 「さて、そろそろ、新入生が来るかな」

 学科や大学の魅力を精一杯伝えなくちゃ。


 ◆◆◆


 帰り際に布津先生に声をかけられた。

 「志佐さん、申し訳ないけど、今年、ゼミの選抜をやることになりました。後日、学内メールで希望者に通知がいきます。結構、大変だと思いますが、がんばってくださいね」

 わたしがゼミの履修登録をしたのは宗教民俗学ゼミというのである。

 去年までは大変人気がないゼミだったのに……。

 そして、その原因は申し訳無さそうにわたしに伝えた新任の先生だ。

 ゼミといっても、ただの演習授業だ。

 ただ、この演習授業の先生が卒論の指導教員になるのが通例だから、それなりに重要だ。

 亡くなった佐藤先生の持っていた講義をすべて代講した布津先生はその容貌から人気が出て、当然のように宗教民俗学ゼミにも想像を越える履修登録があったらしい。

 先生は単位認定も甘めだったらしい。

 甘いマスクに甘い単位、それは人気も出ちゃうだろう。

 講義と違って、演習は学生の発表主体だ。

 何十人もゼミ生は取れない。

 先生が言ったように選抜の実施と課題レポートが課された。

 

 「自分が扱いたいテーマ(自由)についての先行研究から文献を1つ選び、これについて四〇〇〇字程度の書評を書いてきてください」

 期限は二週間しかなかった。

 仏の系譜につらなるはずの布津先生だったが、ゼミ生選抜の課題だけは鬼、いや悪鬼だった。


 「ねぇ、あきらめる? これあきらめて別のゼミに移るっていうのもありだってよ」

 図書館の片隅、グループ学習コーナーで机に積まれた文献の山の向こう側でエリちゃんが伸びをしながら言う。

 「うーん。あきらめちゃいたいけど、多分、このゼミが一番面白そうだしなぁ」

 面白そうだけど、別に研究テーマは決まっていない。

 三年のこの時期にテーマが決まっているなんて人はまずいないだろう。

 それなのに、こんな課題、鬼すぎる。

 「いっそ、カレーの作り方とか書いて出そうか?」

 それは阿弥陀如来田中先生ならともかく、地獄の鬼には効かないんじゃなかしら。

 「多分、やる気があるかどうかでふるいにかけてるんじゃないかな? だから、とりあえず二週間でできる範囲内で全力を尽くすってことで」

 わたしの言葉にエリちゃんは「デートの約束ぅ」とうめいて、机に突っ伏した。

 

 それでも、わたしたちはなんとかレポートを提出した。

 レポートの件もあって、最初の日は休講だった。

 翌週の第一回のゼミに顔を見せたのは、選抜なしの持ち上がりの四年生二人、三年生は三名だった。


 「合計五名、一気に減ってしまいましたね。でも、その分、皆で楽しくしっかりと学んでいきましょう」

 世にも美しい悪鬼が微笑んだ。


 こうしてはじまった宗教民俗学ゼミナール、先生のあだ名(?)を取って通称サイモンゼミ、はじまってみれば、悪鬼はおだやかで怖くもなかった。

 自己紹介をして、ゼミでの発表順を決め、課題を提出したあとに布津先生は懐から時計を取り出した。

 まだ一時間残っていた。


 「このあと、皆さん、時間は大丈夫ですか」と問うた。

 不安そうにうなずく全員に「フィールドワークをしましょう」とだけ言った先生に引き連れられたわたしたちがたどりついたのはカフェだった。

 アンティーク家具と間接照明でおしゃれさを醸し出しているカフェ、エリちゃんとわたしがたまに行くところに先生はすたすたと入っていくと好きなものを頼むように言った。

 意外と言えば意外だった。

 代講で授業をしているときに、先生が何度かお茶のお誘いを断るところを見ていたからである。

 「先生おごってくださいよ」的なダメ元の誘いから、相談事をほのめかしたのまですべて断っていた。もちろん、質問や相談事については対応していたみたいだが、すべて講義室で対応していたし、教室から出たら最後足早にどこかへ消えてしまっていたからだ。そんな先生が自分からお茶に誘ってくるなんて。

 全員が遠慮してブレンドと言ったところで、先生は店員さんを手で押し止めると、嫌いでなければ甘いものも頼みなさいと言った。

 ゼミ生たちがパフェや甘いものを頼んだところで、先生もプリンパフェを頼んだ。

 「同じ釜の飯を食べるというのが大切なんですよ、フィールドワークでは」

 先生はそんなことを言っていたが、四年生の先輩が「先生、パフェ食べたかっただけとか?」とふざけたら、色白な頬に赤みがさした。

 それを境に皆の口も緩み、それぞれが色々とやりたいことを話しはじめることができた。

 

 ◆◆◆


 研究室は六名ぐらいが座るスペースがあるので、二回目以降ののゼミは研究室でやることになった。

 学生が部屋に入ってくるときは、先生は研究室のドアを開け放している。

 エリちゃんとわたしが連れ立って部屋に向かうと、先生は阿弥陀如来こと田中先生とコーヒーを飲んでいた。

 布津先生は大きな骨董品のようなテーブルを部屋に入れていた。 

  

 「美味しそうですね」

 「美味しいですよ。もう、ゼミの時間ですか。それでは私は退散しましょう」


 カップを洗いますよと伝えて、研究室の共用水道で洗い物をすませたわたしたちを豆を挽くときの良い香りが出迎えた。

 簡素なコーヒーカップとソーサーが六客、クッキーの並べられた大皿を前にして他のゼミ生三名がちょこんと座っていた。

 

 「おかえりなさい」という言葉で大きめのコーヒーポットを片手に出迎えてくれた先生は白いドレスシャツに黒い細身のパンツで、後日、「あれは執事だったよね」とわたしたちはうなずきあったものだ。

 ゼミは毎回、「執事」のいれてくれるコーヒーの香りとともにはじまった。

 四年生は卒論の進捗状況についての発表、わたしたち三年生は事前に提出した課題レポートをもとに先行研究のまとめや読むように言われた文献についてのレジュメをつくって発表することになった。

 やることはそれなりに多くて大変だったが、穏やかな時間が流れていった。


 気になったのはゴールデンウィーク直前からエリちゃんの姿が見えないことだ。

 この時期は毎年キャンパスから人が減っていく時期だけど、三年生になったら、あまり関係ない。来ない人はもっとはやくから来なくなるし、来る人はずっと来る。

 エリちゃんは休まないタイプなのに、連続で欠席したうえに電話がつながらない。メッセージも既読がつかない。


 「志佐さんは恵利元さんと仲が良いですか?」

 ゴールデンウィーク後のエリちゃんの欠席が続いたゼミの日、布津先生が帰り際のわたしを呼び止めて、尋ねた。

 うなずくわたしに、先生は言う。

 「ならば、彼女の好きな甘味選びと私の指導教員としての仕事を手伝ってください」

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