10 お見舞い

 エリちゃんのマンションは最寄り駅から少し歩く。

 真面目なエリちゃんが連続で休んで、連絡がつかない。

 これはわたしから見れば、一大事に近いのだけれど、先生にとってはどうなんだろう。

 三分の一休んで単位取得できないとかいうことがなければ、普通は気にもとめないんじゃないかしら。

 えっ、もしかして、エリちゃんと先生って付き合ってたり?

 でも、エリちゃんには彼氏がいるし……。

 混乱してくる。

 そして、なんだか嫌な気分になった。

 エリちゃんを取られるような気がしてヤキモチで焼いているのかしら。

 そんなことはない。なぜなら、エリちゃんの彼氏の話を聞いても、ヤキモチなんか焼かなかったから。

 口ではわたしよりも男を取ったのねとか言ったかもしれないけれど、ただの冗談だ。

 でも、嫉妬だ。

 ならば、先生を取られたようで嫉妬しているということなのかな。

 いや、ありえない。わたしは先生に恋愛感情なんて持っていない。

 先生は格好いいけれど、先生は先生、それ以上にはならない。


 「体調が悪いのですか? 顔が赤くなっていますよ」

 先生は大変タイミングが悪い。

 わたしは首をぶんぶん横にふる。頭を冷やしたかったし、赤みをおびた顔を見られたくなかった。

 変なことを想像して赤くなっているなんて、絶対に知られてはいけないんだ。

 それなのに、大丈夫ですという返事の後に続いたのは、誤解されかねない言葉だったかもしれない。


 「ゼミの先生というのは、こんなに面倒見がいいんですか。たとえば、わたしが休んでも、お見舞いに来たりするんですか?」

 ありがたいことに先生にはわたしの葛藤は伝わらなかっただろう。

 「普通は行きませんよ。僕の先輩が勤めている大学は担任制度があるんですけど、ありがたいことにこの大学にはそういったものはない。大学というのは勉強ばかりするところじゃないから、少しくらいサボったっていいんです」

 「じゃあ、今回はどうして……」

 自分の心臓の鼓動が聞こえるような気がした。

 でも、先生の次の返事はわたしの心臓を鷲掴みにするようなものだった。

 「彼女もあなたと同じような目に遭いまして……あれはショウメイだったのに僕が無視したせいで……」

 最後の方のことばはよくわからなかったが、彼女が怪異に出遭ってしまったらしいことだけはわかった。

 去年の初夏、わたしは先生に助けてもらった。

 蓮の花から咲いて出てきた女に襲われたわたしの前に先生はあらわれて、それを斬って捨てた。

 祓い屋という先生のもうひとつの顔、あまり思い出さないようにしていたほうの顔がすっと浮かび上がってきた。

 自分でもよくわからない嫉妬に苛まれていた自分が恥ずかしくなった。

 ただ、頭がこんがらがってしまって、何がなんだかわからない。恥ずかしさや動揺を隠せるように、なるべく事務的に告げた。

 「そろそろ着きます」

 

 ◆◆◆


 エリちゃんのマンションはオートロックだ。

 部屋の番号を押すと、彼女の声がした。

 「ちょっと待っててね」

 オートロックが開いたことを示す音がした。

 「どうぞ」

 先に行くように先生に告げる。

 

 四階の彼女の部屋の前でわたしはもう一度チャイムを押す。

 「ごめんね。ちょっとだけ待っててくれる?」

 その「ちょっと」は三〇分ほどだった。

 わたしだけならともかく異性が突然やってきたら、多少は準備が必要だろう。

 逆にそれができないくらいだったら、エリちゃんはものすごく追い詰められていることになる。

 エリちゃんがあざといところを発揮しようとしているのが嬉しかった。

 先程のよくわからない嫉妬が晴れていく。


 ドアをあけてくれたエリちゃんはTシャツにジーンズというラフな格好だった。

 シャワーを浴びた後、乾かしきれなかったのか、多少髪はしっとりしていたが、薄く恥ずかしくない程度のお化粧をしていた。

 うん、あざとくてかわいい。

 

 「ごめんなさい。ドアの前で随分待たせてしまって。その……あまりにもひどいかっこうだったから、あたし」

 「気にしないでください。保冷剤入っているから、大丈夫ですよ」

 先生がおかしな返し方をした。

 この人は見てくれは格好いいし、多分、すましていると孤高の美青年にしか見えないが、どこか抜けているところがあるみたいだ。

 わたしは吹き出しそうになるのをこらえながら、そんなことを考えた。


 「おもたせで失礼ですが」

 先生が下げていたケーキ(保冷剤たっぷりだったのでひんやりしている)がお皿に運ばれてくる。

 先にテーブルに出ていたポットからはハイビスカスの甘酸っぱい香りがした。

 わたしたちは何事もなかったかのように、ケーキを食べた。

 先生は田中先生が実はケーキ好きで、実はすでに一緒に食べに行ったなどと話している。

 阿弥陀如来の試験ではカレーよりもケーキの名店リストのほうがいい評価を貰えそうだ。

 布津先生はいつになく冗舌で、それでいて、どうでもいい話をし続けた。私たちは田中先生のケーキの好みについて詳しくなってしまった。阿弥陀如来はタルト好き。好きな理由はフィールドワーク先のK国でクリームののったケーキを買ったら、それがバタークリームで胸焼けをしたからというのがはじめだ。K国は旧宗主国の影響でタルト系もよくあって、それが若き時代の仏を救って、それ以降仏はタルトを信仰しているらしい。南無タルト阿弥陀仏。

 話のネタが尽きたのか、しばらく沈黙した先生は、わたしたちに頭を下げた。

 

 「あなたたちにはご迷惑をおかけしました。本当にごめんなさい」

 「迷惑?」「あなた、たち?」

 わたしとエリちゃんはお互いに顔を見合わせた後に、そろって先生の顔を見た。

 「恵利元さんが出会ったアレ、去年のことですが、志佐さんも同じようなものに遭っているのです」

 「も……えっ、ふみぃも?」

 エリちゃんの口がぽかんと開いた。

 エリちゃんは恐ろしいものに遭った。

 でも、今、ここにいる。布津先生が助けてくれたからだ。

 助けてくれたことに対して、「迷惑」というのはおかしな表現だ。

 エリちゃんと顔を見合わせる。

 わたしたちが聞く前に先生は話し続ける。


 「僕の副業は祓い屋なのです。それは、もうわかっていることでしょう。怪異というのは、人々の負の想い、いわば何かしらへの恐怖で力を増していくカミなのです。人々の恐れは信仰、人々のウワサは祈りの言葉。カミは生贄を求め、さまよい、自らを崇めぬ不届き者を罰しにくるのです」

 先生はそこでカップを手に取ると、ハイビスカスティーを見つめる。

 赤い液体が血のように見えてしまう。

 「……あの手の類のものは……祓い屋に寄ってくるんです」

 祓い屋はカミガミにとっては、許せぬ者。カミを畏れず、敬わず、あろうことか祓おうとしてくる。それゆえ、カミガミになりゆく過程で祓い屋が近くにいると、顕現して排除しようとする。

 わたしたちはそれに巻き込まれたに過ぎないという。


 「もし、先生がいなかったら、どうなるんですか?」

 責めたりしたいわけではないけれど、聞かずにはいられなかった。

 「別の祓い屋を見つけて、殺し回りながら、最終的にはより大きく成長していきます。まぁ、このようなことを言っても普通は信じてもらえませんよね」

 信じないわけではないけれど、とても混乱する。

 わたしたちは運悪く巻き込まれてしまった。

 でも、巻き込まれなかったとしても、結局どこかで他の誰かが巻き込まれるのだろう。それに今の話を聞く限りは結局いつかどこかで出遭ってしまうのだ。

 だから、先生を責める気にはなれなかった。

 「先生のせいじゃないです、多分」

 エリちゃんが目を伏せながらも言う。

 先生の顔が少しだけ歪んだ。

 「この始末はしっかりとつけますから」

 先生はそのまま頭を下げた。

 ああ、この人はけっこうかわいそうな人なんだ。どういうわけか、このときだけは彼が小さな子どものように見えた。


 「気にしないでください。むしろ、感謝しているぐらいだし、お手伝いできることがあれば言ってください」

 とは言ってみたものの、手伝えることがあるような気はまったくしない。

 でも、先生が一人で抱え込んでいるのはかわいそうだった。


 「ありがとう。お気持ちだけ、受け取っておきます」 

 先生はそう言うと、はにかんだ。

 

 先生はそれから時計を見ると、「そろそろお暇します」と言った。

 立ち上がろうとした私に一人で帰れますから大丈夫ですよと告げた。

 エリちゃんが私のシャツの裾を引っ張った。

 彼女はまだ一人で外に出られないのだった。

 

 「ここなら大丈夫ですから、気の滅入る話をするやつは抜きで、ここで女子会をやっていけばいいんじゃないでしょうか」

 先生は素敵な笑顔でそう言うと、帰っていった。


 先生が帰るまで気がつかなかったことが一つある。

 エリちゃんを襲ったカミを先生は斬ったはずなのだ。

 それなのに、どうして「始末をつける」とか先生は言ったのだろう。

 エリちゃんは気がついていないようだ。絶対に言えない。

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