11 怪力乱神

 先生の発言の真意はいまいち、わからなかった。

 ただ、カミはまだ消えていないということは、察した。

 ウワサは消えるどころか、さらに詳しくなり、増殖していたからだ。


 ゴールデンウィーク中に自殺した女の子は自殺ではないという。

 彼女はゴールデンウィーク前に「呼ばれているのだ」と言うことがあった。

 何に呼ばれているのかをたずねても、彼女は答えてくれない。

 首をかしげるだけだ。

 そして、ある日、総合人間科学部の入る研究棟から飛び降りたのだという。

 深夜のことで、早朝に学内の清掃に入った業者が発見したという。

 飛び降りたのだから、自殺だと思うかもしれないが、実は飛び降りる場面を体育会サッカー部の学生が見ていたのだという。

 下で誰かが手招きすると、引きずられるように窓の外に人影が落ちていったという。

 学生は恐ろしくなって、家から出られなくなった。電話したチームメイトがその顛末を聞いたそうだ。


 話には続きがあって、しばらくして、その学生もまた飛び降りたのだそうだ。

 実のところ、大学側が隠しているだけで、実はゴールデンウィーク前後を通して、「自殺者」は一〇名を軽く越えているらしい。

 皆、実は死者の世界に招かれてしまっているのだ。


 ゴールデンウィークの後、二二時以降、構内立入禁止になったのは、夜、構内に立ち入ると、「招く人」に見つからだ。

 無視して、研究室にずっといた博士課程の院生が飛び降りたらしい。


 いや、飛び降り自殺なんてないのだ。

 本当は首吊り自殺なのだ。

 てるてる坊主のようにぶらさがった人が、「次はあなたの番よ」と言うのだ。


 ◆◆◆


 先生はある日のゼミでこういったウワサ話にふれた上で、紙袋から文庫本を取り出して、ゼミ生たちに配った。

 『二十歳の原点』というその本を示しながら、先生は言う。


 「構内で亡くなった方がいないと言ったら嘘になります。その中には自ら死を選んでしまったと思われる方がいる。それも本当です。ただ、誰かが招くということはありません。皆さんは多感な年頃です。その年頃の方にはどうしても思い詰めてしまう方もいることでしょう。皆さんに渡した本、有名なものなので読まれた方もいるかもしれません。読んだ方はもう一度、読んだことが無い方は一度、目を通してみてください。そして、なにかあったら、私たち教員にいつでも相談してください」

 先生はおだやかな顔で告げたあとに、机の中からきれいな箱を取り出した。

 「どうも暗い話をしてしまいましたね。お詫びにとっておきのチョコレートを出しましょう。本当はね、君たちにあげずに一人でこっそり食べるつもりだったんですよ」

 先生がウィンクした。

 正面にいた四年の川上さんが真っ赤になった。

 先生は罪作りな人だ。


 ◆◆◆


 「まぁ、全部、嘘なんですよ」

 布津先生はさらさらの髪を縛り直しながら言った。

 わたしは先生のところに、ゼミであつかう文献について相談しにきていた。

 「ああ、あのチョコレート……」

 「あれだけは本当です。助成金の申請書類を仕上げたご褒美にと銀座で買ったきたんです」

 少しだけ気まずい沈黙が場を支配した。

 沈黙をやぶったのはわたしだ。

 ただ、先生がチョコレートが好きで、わざわざ、それを買いに電車に乗る姿を想像したら、吹き出してしまったのだ。

 先生は少しムスッとしたのかもしれない。

 「あれ、高いんですよ」

 そういえば、先生はそもそも祓い屋なんてやってるのだろう。

 副業とはいうけれど、この副業でどうやってお金を稼ぐのか、皆目検討がつかない。

 わたしは助けてもらったが、お金を払ったりしていない。

 エリちゃんだって、そうだろう。

 どこかで看板を掲げて、有料で相談にでものっているのかな。そうだとしたら、副業の届け出を大学に出していたりする? 

 祓い屋、コンサルタント、心霊コンサルタント? 申し訳ないけど、どのような名前をつけても胡散臭くしかきこえない。


 「カミはこの構内に顕現してしまった。きっかけは自殺者だったかもしれない。しかし、全国津々浦々で、日々、人はなくなる。残念ながら、自ら死を選ぶ人も全国にいる。それでも、ここでカミは顕現してしまった。ウワサ話を糧として、その身を形作り、ウワサ話とともに現れる。それを知りながら、僕は嘘でごまかそうとしている。ただ、嘘といえば、そもそもカミが顕現するウワサ話も最初はただのホラ話に過ぎない。嘘か嘘でないかはこの際重要ではないわけです」

 先生は小声で話している。学生が部屋にいるときには、先生は必ず扉を開ける。ハラスメント対策の一環らしい。

 あまり大きな声だと外に聞こえてしまう。

 先生がカミと呼ぶ怪異は大学の研究室で語るのにはふさわしくない存在だろう。


 わたしがだまっていると、先生が板チョコを差し出した。

 「まぁ、まずはそれでも食べていてください」

 「高いチョコレートはもうないんですか?」

 「ありませんよ。それで我慢してください」

 どうでもいいことをわたしは確信する。この人は、この顔で甘い物好きなのだ。

 学生からサイモンとか呼ばれ、「外国人モデル」だの「格好良すぎて、何をやっても様になる」みたいに言われている人だけど、甘い物好きだ。

 彼が一人で研究室で板チョコを齧っている姿を見ても、様になるかな。

 恐ろしい話が続くであろうに、わたしは少し楽しくなってしまう。今、外から見たら、ニヤけているんじゃないかしら。

 先生は、ニヤけているであろうわたしの顔を不思議そうに眺めると、立ち上がってコーヒー豆をミルに移しはじめた。そして、ゆっくりと挽きはじめる。

 「怪力乱神を語らずです」

 冷蔵庫から取り出したネルを絞ると、先生は粉をネルにいれた。

 電気ケトルからカップとポットにお湯を注ぎ、ネルの上でくるりとポットをまわしていく。

 良い香りが立ち上っていく。


 「それでも……」

 「大学側の通達にもあったでしょう。知を追い求める者が、迷信に惑わされてはいけない。まぁ、そういう否定の仕方で片付かないことのほうが多いんなんですけどね。それでも、語ることがカミへの祈りとなる以上、不用意に語らないほうが良いのです」

 先生がコーヒーカップをわたしの前に置いた。

 「とはいえ、あなたは当事者の一人だし、巻き込んでしまった負い目もあります。そうですね、僕は今晩、といってもあまり遅いと物騒ですから一八時頃かな、S公園を散歩でもしようと思います。秋田犬でも撫でられると嬉しいですね」

 そう言うと、先生は話を切り上げ、当初の相談の話にしましょうと笑った。

 「始末をつける」、「巻き込」む、先生のことばにはちょくちょくわから後悔めいたものを含んだ単語が混じる。

 しかし、それがなにかをわたしはどうしてか聞き出すことができなかった。

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