04 蓮の上の捕食者

 ねぇねぇ、S公園の蓮女、あれやばいらしいよ。

 深夜に蓮の花から這い出てくるやつ?

 見惚れたが最後、襲ってくるんでしょ?

 いや、見惚れなくても会ってしまったら、駄目みたいって。

 蓮の上に顔が咲いたのを見ちゃったら、次の瞬間に足元に真っ黒な髪をたらした蓮女がいて……。

 足元でさ、黒板ひっかいたみたいな声でタスケテって絶叫されるんだってね。

 そうそう、それで、抱きつかれてそのまま噛みつかれるとか。

 この前さ、先輩の同級生が肝試しに行ったってさ。五人で行って、帰ってきたのは一人だけ。あとはみんな……。

 友だちが食い殺される間に逃げたって。

 行方不明の学生がいるって掲示板に出てなかった? 情報求むって。

 そう、あれ。あれ、蓮女に食われたって。

 いざとなったら、肉を差し出せば少し時間稼ぎになるらしいよ。

 深夜に公園でバーベキューやろうとしてたDQNがスペアリブのパック落としたら、それに蓮女が食いついて、なんとか逃げられたって。


 ◆◆◆


 二週間前には、怪談未満の存在だった蓮の上に咲く美女は、気がつくと、S公園の危険な怪異へと変貌を遂げていた。

 「あたしが彼と肝試しに行ったときには、ちょっと怖そうな心霊写真程度のお話だったのに」

 向いに座ったエリちゃんはデザートのヨーグルトのフタを開けながら言う。

 エリちゃんは彼氏ができたけれど、常に彼氏と一緒というわけでもない。

 わたしと学食でランチなんて日もある。それで大丈夫なのと聞いたら、それで大丈夫でない仲ならそれまでと格好いいことを言っていた。

 「心霊写真でも十分、怖いけど……S公園ってね、うちの犬の散歩コースだって、わたし、言ったっけ?」

 エリちゃんは「ポムがいれば大丈夫なんじゃない」と答える。

 ポムはうちの犬の名前だ。秋田犬五歳、男の子。白くて大きなむくむくした毛玉でたしかにとても頼もしい子だ。

 それでも肉食系女子(?)に襲われたらどうなるかわかったものではない。

 「うちのポムすけに何かあったら、どうしようって」

 「え? そっち?」

 「だってね、あの子、とってもおとなしいんだよ。この前だってミニチュアピンシャーの女の子に飛び掛かられてね。ずっと困った顔でもにゃもにゃ言ってたんだよ」

 二人でけたけたと笑っている横をどよっとした空気が流れていった。

 霊感なんてものはないのに、とても嫌なものだった。

 もちろん、昼過ぎの学食のテーブルの間を幽霊や妖怪が歩いていたりなんかしない。

 べたつく空気をまとっていたのは、痩せた男の子だった。

 頬はこけて、無精髭におおわれていたけど、見覚えがあった。

 前、「蓮の上の美女」について、話していた五人組の男の子の一人だ。

 あのときはとても元気そうだったけれど、今はとてもやつれている。


 「こんにちは」

 目が合ったので、挨拶をした。

 すると、彼はぎょっとしたようにこちらを見た。

 わたしは人より少しだけ背が高い。

 だから、たまに視線を感じることがある。別に伸ばしたくて背を伸ばしたわけでもないのに。


 おかしなものでも見たかのように、彼はこちらを見つめる。

 忘れてしまっているのかもしれない。いや、普通は忘れてしまうものらしい。


 「ちょっと前、同じテーブルの横に座ってご飯食べてたよね?」

 少しだけだが彼の表情がゆるんだ。

 よく見ると、無精髭だけではない。目の下にはクマがはっきりとあらわれていた。


 「試験前、大変だけど、無理すると倒れちゃうよ」

 わたしの言葉に彼はぎこちなく笑みをつくってみせた。

 それなのに……。

 「今日はお友達とは別行動? 肝試し行った?」

 こういった瞬間、彼の表情は固まった。

 「知らねぇよ。俺何も知らないから」

 そう言うと、足早、いや駆けて去っていった。

 何か変なこと言っちゃったのかな、私?


 「よく憶えてるよね」

 エリちゃんが目を丸くする。

 特技らしい特技のないわたしの唯一の特技かもしれない。

 人の顔を忘れない。

 何か印象に残る出来事があれば、そのとき一緒にいた人の顔をだいたい憶えているのだ。


 でも、中にはわたしでなくても、忘れられない顔もいる。

 「失礼します」

 そう低い声で告げて、隣に座った人の顔を忘れる人は多くないと思う。

 だって、驚くくらいにきれいな人だから。

 男の人だというのはわかる。でも、なにか色々と負けた気がする。そんな美形だった。

 エリちゃんが息をのんだのがわかる。

 後ろで無造作にしばったやや長めの黒髪に色白な顔、切れ長の目の中におさまる瞳は、髪色と異なり、やや赤みを帯びている。

 ネクタイこそ締めていないものの、細身の黒いスーツに身を包んでいる。ただ、髪が長いので、会社勤めをしているようにはみえない。

 そんなよくわからない細身の男性が蕎麦かうどんのどんぶりをのせたトレイを両手で持って、エリちゃんの横に座ろうとしていた。

 出汁と七味唐辛子の匂いが鼻をくすぐる。


 男性は座ると蕎麦に手を付けずに、口を開いた。

 その風貌にも驚いたが、突然話しかけてくることにも驚いてしまう。当然、知り合いではない。

 「蓮から女性が生えてくるとか、ありえなさすぎますよね?」

 「女性とはいえ肩幅を考えると、出てくるなど考えにくい」、「蓮の花のような不安定なところに頭が生えてきたら、重さと不安定さで水の中に沈み込んでいくのではないか」、綺麗な男性は立て続けに蓮の上の女性の実在性を疑う発言をしてきた。

 たしかにそのとおりなのだけど、ウワサはすでにひろまってしまっていて、今更そのようなことを言っても仕方がない。

 そもそも、そんなこと言い出したら、口裂け女もトイレの花子さんもありえない話なんじゃないかしら。

 わたしの言葉を聞きながら、男性はうんうんとうなずく。

 「そう荒唐無稽であっても広まってしまうこともあるし、荒唐無稽な話を打ち消すのに、事実や合理性というのが必ずしも役立つとは限りません。あなたの言うとおりだ」

 よくわからないが、褒められてしまった。

 少しだけドキッとしてしまった。

 「それでも今からウワサをかき消せるような話はないものでしょうか?」

 男性は少し困ったような顔をして、独り言めいてつぶやくと、蕎麦をすすりはじめた。

 わたしはエリちゃんと顔を見合わせて、首をかしげる。

 何かいいものがないものかしら。そもそも、この人は何を言っているのだろう。

 わたし(とおそらくエリちゃん)は燎原の火のように広がり都市伝説化したウワサ話を打ち消す方策を考えたが思いつかなかった。

 いつの間にか蕎麦をすすりおえた男性は「やっぱりだめだよなぁ」とつぶやいたり、ため息をついたりしたあとに、私たちに「ありがとう」と礼を述べた。

 「ありがとう。僕の戯言につきあっていただいて。恐怖を煽るウワサ話などというのはくだらないものです。でも、僕たち人間はまぁ、くだらないものです。だから、仕方がない。でも、好奇心は猫を殺すといいます。ウワサの土地に行くことなどないように。わかりましたか?」

 男性は席を立つと、返却口に歩いていった。すれ違う女の子たちが二度見していた。


 「あれくらいカッコいいとなんか手が届かないよね」

 エリちゃんがため息をついた。

 カッコいいけどなんか変な人。

 私には変な人という印象のほうが強かった。

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