23 ウワサの動画

 先生を手伝う、先生と一緒に居てあげると宣言はしたものの、先生のマンションはこの前、訪ねたきりだった。

 大学の研究室は何度か訪ねたし、たまに夕方S公園でも出会ったけれど、召命についての話はしなかった。

 

 大学での先生には二つの顔があった。

 ゼミ合宿についての打ち合わせをするときの仏の顔。こちらはいい。

 問題はゼミ合宿での発表テーマについて相談するときの彼の顔である。見た目は、どちらもやさしい。すてきな笑顔を浮かべている。でも、中身が違うのだ。

 先生は、発表テーマについて悩むわたしをやさしく、それでいながら真綿で首をしめるように本の山の中に誘った。ドSのサイモンである。

 「サイモン、にこにこしながら、やばめのことぶっ込んでくるよね。私、先行研究の文献にって英語の論文渡されたんだけど! 私、日本研究なんだけど」

 「日本語だ、助かったと思ったら、武器になりそうな分厚い本の上にマカロンのせて渡してきたんです」

 「え、エリちゃん、マカロンもらったの? わたし、板チョコだったんだけど」

 川上さんやエリちゃんに研究室で会ったら、たいてい愚痴になり、ストレス解消と称して、甘いものを食べに行くことになった。

 ストレスの原因たる鬼は夕方には帰り支度をしていることもあったので、エレベータで一緒になったりすると、声をかけることもあった。

 美しい鬼はパフェで調伏ちょうぶくできること、おごってもらえることをわたしたちは学習した。

 まぁ、彼がかまってちゃんなだけともいえる。ちなみに、鬼の好物はチョコレートパフェであるようだ。ちなみに甘いものはいらないと言った平木さんと山田くんは、飲み屋に連れて行かれたらしい。


 公園で出会う先生はポムをひたすら撫でまわしながら、どうでもよい話をした。

 先生はどこかで買ってきた犬用おやつをわたし経由でポムに貢いでいた。

 多分、犬の食事についての本を調べたのだろう。

 アレルギーや原料についても文句なしの、お高いおやつばかりだった。

 ポムに貢ぐのは結構だけれど、わたしもなにか欲しい。

 それぐらいは言っても良いだろう。

 すると、先生はポムのおやつと一緒にわたし用のおやつもカバンに忍ばせるようになった。

 先日はポムはジャーキー欲しさに、わたしはおしゃれな焼き菓子欲しさに彼にお手をしていた。お手をさせるときのサイモンはなんだか楽しそうである。

 やはり、彼はドSだ。


 ただ、一度だけ公園で先生の師匠に会うことについて話をした。

 たいした話ではない。ただ、自由行動のときに一緒に訪ねてほしいというものだった。布津先生の師匠がわたしの仕事について、もう一度説明をしてくれるらしい。

 「僕からでは、説明しにくいこともあるし、師匠のほうがそもそも詳しいですしね」

 その話をするときの先生はどうにも浮かない顔をしていたし、「人はいつでも引き返すことができるし、それは悪いことではないのですよ」などと言っていた。

 わたしは先生のそばにいると決めたのに、それでもまだ本決まりというわけではないらしい。

 この件に関してだけは、先生はどうも優柔不断だ。

 もっとわたしに頼ってほしいなと思う。


 とはいえ、先生から頼まれたこともある。

 合宿先の旅館について調べてほしいというのだ。

 「富来屋ふくやは、もともとザシキノボウという座敷わらしの亜種みたいなものが出るということで人気の旅館だったのですよ」

 モニタの向こうに映る先生はいつもと違って私服だ。

 真っ白なヘンリーネックのシャツのボタンは上二つ開いている。

 そんなところをいちいち確認している自分が少し嫌だ。

 「それが最近はあんまり楽しくない怪異が出るというふうなウワサがたってしまっているんだそうです」

 オンラインミーティングは自分の目線がどこを向いているのかわからない。とてもありがたい。

 布津先生は、わたしが一人でドキドキしていることなどに気がつくはずもなく、話を続ける。

 「そのウワサがどうも動画投稿サイトやSNSで流行っているらしいことまでは、私も調べられたのですが、肝心の動画なり投稿なりが見つからないのです」

 先生はため息をつく。

 気がつくと投稿されていて、見直そうとする頃には消えている。そのような投稿が無数に存在し、その投稿方法自体の怪しさも不気味なウワサを流すことに一役買っているらしい。

 動画や投稿自体も保存しようとすると呪われる、保存するとモニタから灰色の手が出てくるなど、気持ち悪いウワサがつきまとっているという。

 「志佐さんにも、これらのウワサについて調べてほしいのですが、きな臭い上に嫌な予感がするのです。調べる前にお守りを差し上げますから、今度研究室に来てくださいますか」

 先生がにこやかに笑う。

 「ああ、そうそう、この前の草稿、コメントとか入れたので、今送りますね。これの直しも一緒にやってきてくださいね」

 チャットで送られてきたファイルを開く。

 真っ赤に染まったわたしの草稿、コメントだらけのわたしの草稿。

 「志佐さん、頑張ってますね。だから、僕も張り切りました」

 先生、張り切りすぎ。

 

 ◆◆◆


 富来屋に現れるという怪異について、検索をしたものの、なかなかうまくいかなかった。

 それでも、通常の検索にこそはひっかからないが、SNSや動画サイトを検索すると見つかる、妙な痕跡があった。

 痕跡というのは、リンク先がすべて消えていたからだ。

 キャッシュにも残らず、アーカイブサイトで探しても見つからない。

 おそらくごく短期間で立てられ、消され続けたものらしい。

 いくつか見ていると、アーカイブしたというSNSの投稿が見つかった。

 ただし、そのリンク先もアーカイブサイトであるにもかかわらず消失し、また投稿主の投稿もそれ以降、支離滅裂なものとなっていた。

 投稿主へのリプライには「だから、残しちゃいけないって言ったのに」「おばけだよ」というものだけがつけられていた。

 埒が明かなかった。

 申し訳ないなと思いながらも、再び牧田くんに頼ることにした。


 在阪の牧田くんは高校の時の部活の同期、大学では他大に進学して、情報工学というのをやっている。

 情報工学というのは学科名で、正確な彼の専門はソフトウェア工学というらしい。

 もともとプログラミングが得意で、自作のアプリも交えて分析面で部を支えてくれた秀才だ。

 ゴールデンウィークも彼のおかげでものすごく助かった。

 そんな彼は夏休みも帰れないぐらいに勉強に熱中しているらしい。

 それが嘘でないことは、オンライン会議システムのモニタ越しのいきいきとした顔からわかる。

 「本当に何度も何度もごめんね」

 「気にせんでええで。トラックの女神の頼みやからな」

 モニタの向こう側の牧田くんはエセ関西弁で返してくる。エセ関西弁であっても、合わせる気持ちがあれば皆優しくなるんや、だそうだ。

 「はいはい、お世辞ありがと。それでね、この前、メールで説明したことなんだけどね……」

 「グレイドゥクな、ある程度調べといたで」

 牧田くんはチャットでʞoopʎǝɹƃという謎の文字列を送ってくる。

 「グレイドゥク?」

 「この文字、ひっくり返して読んでみ」

 牧田くんのことばにわたしは首をかしげる。

 わたしの首は上下に一八〇度回転させられたりはしないが、それでもgreydookという単語が見えた。

 「ああ、逆さになってるんだ。面白いね」

 モニタ越しの牧田くんは満面の笑みだ。

 「そやろ。でな、こいつがウワサをばらまく張本人。といっても、どこの誰かもわからへんし、そもそも一人かどうかすらわからん。怪談をばらまくハッカーかハッカー集団か。おっ、今、画面共有するで。間違ってエッチな動画が映し出されても男の友情でだまっといてな」

 「わたしのこと、男扱いするなら、言いふらしちゃうよ」

 わたしの冗談に「堪忍やで」といいながらも、牧田くんが画面共有をおこなう。


 画面にエッチな動画は映し出されずに代わりに灰色を基調とした薄気味悪い動画が映し出された。

 背景は先生が教えてくれた富来屋だった。

 中の一室みたいなところの床の間の裏から手が出てくる。

 「やべぇ」

 牧田くんがつぶやく。

 たしかに気味悪い。

 床の間の裏にスペースがあるとは思えないが、そこから出てきたのは、灰色の子どもくらいのなにか。顔は見えない。

 ずりずりと膝でいざりながら、カメラに寄ってくる。

 そして、顔をあげて絶叫する。

 わたしは両手で身体をかばうように縮こまってしまう。

 これは心臓に悪い。

 「やばい、ちびったで、大のほう」

 牧田くんが真っ青な顔になりながらも、冗談をいう。

 高校時代はもっと見るからに真面目なタイプの子だったから、ずいぶんとはじけたなと思う。

 「やだなぁ」

 わたしは笑いながら返す。牧田くんがおどけてくれなかったら、笑えなかった。

 「ありがとね」と告げると、牧田くんは黙ってしまう。


 動画はまだ続いている。機械音声の抑揚のない口調が、富来屋のザシキノテという怪異についての説明をおこなう。

 先生が教えてくれた名前はザシキノボウだったし、会えば願いが叶う座敷わらし的な存在だったはずだ。

 こんな恐ろしい存在ではない。機械音声は、ザシキノテのことを人をとり殺し、その金品を井戸に隠す存在と語っている。

 白黒の背景で「ザシキノテ」が井戸から這い出してくる場面が流れる。

 富来屋の繁盛の裏には、ザシキノテが隠した金品を横取りしたからであるのだそうだ。

 ザシキノテは怒りくるうが、富来屋の者には手を出せない。だから、宿泊客を狙い続ける。

 最後に「イクナ」という三文字が流れて動画が終わった。

 

 ああ、なにか色々混じっているなぁ。

 布津先生にはやく報告したい。

 そのためにも実際に動画を一緒に見たほうがいいだろう。

 

 「ねぇ、これ、ダウンロードとかできそう?」

 「できないって話だったけど、俺やったら、ちょちょいのちょいやで」

 そういった後に、牧田くんは少しもじもじする。

 エッチな動画の話がまた出てくるのかしらと思ったら違った。

 「これ、落としたら、夜まじで寝られなさそうでな。俺、一人暮らしやん」

 言われてみればそうだ。

 この動画をダウンロードでもしようものなら、なにか呪われそうな気がするし、夜怖くなって寝られないだろう。

 「だよねぇ。わかる。ごめんね、変なこと頼んで。ダウンロードのやり方教えてもらえるかな」

 「ちょっとまっててな。今、ツール送る。ピカピカの牧田印、ウイルスフリーや」

 牧田くんからファイルが届く。これを使うと、ダウンロード不可のファイルも保存できるらしい。動画につけられた情報も解析できる優れものらしい。

 「さすがソフトウェア工学者!」

 「貸しやで。今度、可愛い女の子紹介してな。は地獄や」

 彼の周辺ではリケジョは伝説上の生き物ということになっているらしい。「チュッチュしてくれるチュパカブラを研究室の皆で探してるんや」だそうだ。チュパカブラにチュッチュされたら、危ないんじゃないかな。

 「合コン、合コン」と叫ぶ牧田くんに「まかせて」と返事をする。

 合コンはわたし自身が未経験だけど、牧田くんのために春休みまでにはなんとかしよう。

 わたしは、牧田くんの女の子の好みを聞く。背高めでスラッとしている子、いたかな。

 そんなことを考えながら、ミーティングを終えた。


 すぐにツールを動かしてみる。

 それなりに時間がかかるようだ。

 わたしは画面をぼんやりと眺めなる。

 動画の保存がはじまったときに異変が起こった。


 "Greydook is comming!!"


 モニタが灰色になり、そこに文字列が現れて、溶けていく。

 ウイルス?

 いや、牧田くんのソフトで変なことは起こらないし、わたしのパソコンにだって、ちゃんとアンチウイルスソフトは入っている。


 灰色のモニタの奥の方に家が現れる。

 嫌な音をたてながら、扉が開く。

 中から這い出てくる灰色の水死体。

 べちゃりべちゃりと近づいてくる。

 

 シャットダウン、反応しない。

 電源ボタンを押して強制終了。できない!

 やばい、やばいやつだ。


 どんどん、水死体が近づいてくる。

 べちゃり。眼窩から目玉が転がり落ちる。

 転がる眼球はどんどん大きくなり、わたしの机の上にぼとりと落ちた。

 

 机の上、モニタの外でわたしを見つめる眼球。

 わたしは悲鳴をあげた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る