第22話 お肉を作りましょう
深夜。一人の若い男が通りを歩いている。懐手に白い息を吐きながらの千鳥足。しこたま酒を飲んできた帰りなのだろう。
「うーい、木戸番さん。通しておくんな」
「あいよー」
木戸番小屋から笑顔もまばゆい美少女が姿を表す。私だ。
「ついでに焼き芋でも買ってくかなあ」
「それならお兄さん、とっておきの新製品がありやすぜ」
「塩まんじゅうか何かかい?」
「いえいえ、もっと面白いもんですよ。名付けてトリまんじゅう。お肉たっぷりで身体が温まりやすぜ」
「じゃあそいつをひとつくんな」
「へい、十六文で」
「げっ、いい値段しやがるな」
寿司が一貫四文から、蕎麦が一杯十六文で食べられるのがこの江戸の町だ。肉まんひとつで十六文は令和日本の感覚ではかなり攻めた価格設定だ。
「何しろお肉をたっぷり使ってるんでねえ。この値段でもかなりがんばってるんですぜ」
「まあ、薬食いなら小鍋でも五十文からだしな。それと比べりゃ安いもんか」
「そうそう、そういうこってすよ」
が、そもそも肉が高いのだ。肉料理の中で考えれば破格と言える。そして深夜に木戸を通るものは酔っ払った男が多い。金銭感覚はバグっているし、焼き芋よりも食いでのある肉の方が好まれるだろう。
「あつつっ、こりゃ熱々だねえ」
「ふたつに割って冷ましながら召し上がってくだせえ」
「おお! すげえ、本当に肉がぎっちりじゃねえか!」
ふたつに割られたまんじゅうの中から、茶色の具材が姿を表す。醤油、味噌、肉、にんにくなどの香辛料がまざった香りがあたりに漂う。
「はふっはふっ、こりゃあうめえ! おい、お嬢ちゃん。もうひとつくんな!」
「へい! 毎度ありっ!」
「しかし、こんなにどっさり肉を使ったんじゃ儲けなんて出ねえんじゃねえか?」
「ご心配ありがとうございやす。なんとかかんとか、工夫をしながらやらせていただいておりやして」
「若けぇのに大したもんだねえ」
男はトリまんを片手に、上機嫌で木戸を通り抜けていく。
くくく、これならもう少し踏み込んで、二十四文……いや、三十二文くらいで売ってもいいかもしれない。
* * *
「カナさん、何してるんですか?」
「うーんとねえ、お肉を作ってるところだよぉ」
「お肉を作るって……それ、マグロですよね?」
「そう、マグロだよぉ。でもマグロだって魚肉だからねえ、つまりはお肉なんだよぉ」
「はあ……」
トリまんじゅうの具材の正体……それはマグロである。その身を鯨油で煮込み、ツナを作っているのだ。
「でも、トリまんじゅうの中身がマグロっていいんですか?」
「うぐいす餡にうぐいすは入ってないだろう? 歌舞伎揚だって歌舞伎役者を揚げているわけじゃあない。トリまんじゅうに鶏肉が入ってないのも当然だとは思わないかい?」
「それは何か違う気がするんですけど……」
ツナが煮えたらそれを細かくほぐし、さらに潰した大豆とおからを加えてかさ増しだ。それを醤油とみりん、甘味噌、にんにく、胡椒などの香辛料で煮込む。濃い味付けと香辛料の香りで魚臭さを隠すためだ。
「ほら、味見してみなよ」
「もぐもぐ……たしかに鶏肉っぽいと言われればそんな味もするような……」
「だろぉ? そして食べるのはアルコールで舌が馬鹿になってる酔っ払いだ。肉だ肉だってみんなありがたく食べてるよぉ」
「最近夜中によく出かけてると思ったら、そんなことしてたんですか」
連日の深夜労働ですっかり睡眠不足だが、テストマーケティングは十分にできた。あとは量産体制を確立し、江戸中の木戸番小屋でこれを販売させればいい。現状、ひとつあたりの原材料費は2、3文ってところだ。三十二文で売れば、利益率90%超えのドル箱商品の爆誕である。
「ぎひーぎひぎひぎひ! さあ、江戸のホットスナック市場に大革命を起こしてあげるよぉ」
「なんだか嫌な予感がしますけどね……」
コガネちゃんの冷たい視線を感じる気がするが、きっと気のせいだろう。美味しいものを作って適正価格で売る商売だ。お天道様に誓ってやましいことなの何もないのだから!
※胡椒:「江戸時代に胡椒?」と疑問に思われるかもしれないが、じつは日本における胡椒の歴史は古く、奈良時代に持ち込まれて正倉院にも収められている。江戸中期に七味唐辛子が人気を博すまでは、うどんや蕎麦に振りかける薬味は胡椒が定番だった。白飯にだし汁と胡椒をかけた「胡椒飯」という料理も人気だったという。
※にんにく:にんにくの原産地は中央アジアといわれ、日本には奈良時代に渡来し、古事記にも記載がある。健康オタクで知られる徳川家康もにんにくのすりおろしを好んでいたそうだ。江戸中期に書かれた百科事典『和漢三才図会』には、青森のにんにくはでっかくて2寸もあるぞなんて話も載っているらしい。いまでも青森県の名産品と言ったらにんにくだが、かなり昔から栽培が行われていたようだ。
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