第32話 大怪獣ゴメラ江戸に現る
尖った岩山が海を引き裂き、その下にあるものが明らかになった。
爛々と赤く燃え上がる巨大な双眸。自動車も丸呑みに出来そうな巨大な口腔。海上に出ただけでも100メートルはゆうに超える巨大な上半身。輪郭は直立するワニのよう。最初に見えた岩山は、この怪物の背ビレだったのだ。
「なにッ!? あれはまさしくゴメラではないのかッ!? まさか二百年も早く現れるとは、この象山の慧眼をもってしても見通せなかったぞッ!!」
「あれがゴメラ……! わたくしは船に戻って砲撃の準備をしマスわ!」
象山とペルリが色めき立っている。辺りにいた幕府の軍隊も、ペルリが連れてきた水兵も大騒ぎだ。私は私で「マジかよ!?」という顔になっていることだろう。瓢箪からコマどころではない。瓢箪から大怪獣が現れてしまった。どうしたらええねん、これ?
――
ゴメラの口から青紫の光線が吐き出される。それはさながら天を貫く巨大な柱。雲が割れ、空気が焼け、辺り一帯にオゾン臭が漂う。やべーよ、熱線吹いたよ。ガチモンの大怪獣だよ。
「わぁぁぁあああ!? にっ、逃げろ!」
「あ、あんなの勝てるわけがない!」
「ぶ、武士の戦場はケダモノと戦うことではないでござる」
「馬鹿者どもッ! 早く持ち場につかぬかッ! この象山が発明した超電磁エレキテルキャノンの力があれば必ず勝てるッ!」
「あなたたちも勝手に逃げては駄目デスの! ステイツの威光をあのモンスターに見せてやりマスの!」
象山とペルリは悲鳴を上げて逃げ惑う兵士たちを叱咤するが、誰も話を聞いていない。まあそりゃそうだろう。あんな大怪獣に生身で挑める人間などいるはずもないのだ。
私にしても、いつまでも固まっている場合じゃない。少しでも早く逃げ出さなければ。象山とペルリにはせいぜいがんばってほしい。なんとか粘って私が逃げる時間を稼いでほしいものだ。しかし、避難に使えそうな船はみんな逃げ出した兵士や人足で押し合いへし合いになっている。くそっ、いっそ海飛び込むか……。
そんな覚悟を決めた、そのときだった。
『ちょろちょろやかましいんじゃ、ゴラァッ!!』
「へ?」
どすの利いた声が待機を震わせた。その場にいた全員の動きが止まる。そしてゴメラがざっばーんざっばーんと大波を立てながら歩いてくる。
『何いたずらし腐ってんのや、このクソガキどもが。気持ちよう昼寝しとったっちゅうのに、くっそやかましいもんぶっ放しよって。なんだあ、イタズラしたんはこの玩具か!』
「ああッ! 吾輩の超電磁エレキテルキャノンが!?」
ゴメラが巨木を束ねたよりも太い尻尾を振り下ろすと、超電磁エレキテルキャノンは一撃で真っ平らに潰されてしまった。車に轢かれたカエルを思わせ無惨な姿に、象山が思わず悲鳴を上げる。
『まったくもうしょうもないもん作りよってからに。ホンマ人間は海に気軽にゴミ捨てるのう。自分ちの庭やったらと想像してみい。絶対ぶち転がしたるってなるやろ? まあおっさんは優しいから、一回くらいは見逃してやるけどな。次やったら承知せんでホンマにまったくもう……。あ、もうこんな時間や。忘年会に遅れてしまうわ。それじゃ、おっさんはもう帰るけどな。くれぐれももうこんなイタズラするんやないで?』
ゴメラはここまで一気にまくしたてると、背を向けて海中に消えていった。なんかボールが窓に当たったのをキレる近所のおっさんみたいな感じだった。つか、忘年会って。怪獣にも忘年会があるのか?
「超電磁エレキテルキャノンが……吾輩の象山砲が……」
「い、一体なんだったんデスの……」
象山とペルリが呆然としているが、聞きたいのはこっちだ。さっぱりわけがわからねえ……。
* * *
あの怪獣を刺激してはならぬということで、超電磁エレキテルキャノンの開発と、台場の埋め立て工事は無期限凍結となった。象山が毎日怒ったり泣いたり情緒不安定になっている。
だが、泣きたいのは私だって同じだ。一世を風靡したネオ江戸シティシリーズが、人心を惑わすものとしてお上から禁止されてしまったのだ。ゴメラの巨体は多数の江戸市民にも目撃され、噂が飛び交っている状況である。幕府の誇る最新秘密兵器も一蹴されてしまったのだ。噂が落ち着くまで箝口令を敷きたいのだろう。
そんなわけで、先行生産していたグッズの山は屑屋に引き取られて二束三文に変わった。そろそろ年の瀬だと言うのに、懐には寒風が吹きすさんでいる。
「カナさーん、そろそろ行きますよー」
「はいはーい」
まあ、しかし今日はそんな辛気臭いことは忘れよう。乙姫から忘年会に誘われているのだ。タダメシを食らうチャンスである。正月明けまで何も食わなくていいくらい食いだめしてやるぜ!
そんな決意を胸に秘めコガネちゃんとともにひさびさに竜宮城を訪れる。ビッグタートル号による海中遊覧事業は引き続き順調らしい。地上で仕入れた肉や野菜がたっぷり使われたご馳走が並んでいる。よし、あっちの雉の丸焼きは私が頂こう。
「カナコちゃん、おひさしぶりね。景気はどう?」
「最悪も最悪よ。せっかく講師業が上手くいってたのにさあ、なんか変なのが出てきて邪魔されちゃって」
乙姫が話しかけてきたので、雉肉を食べながら愚痴を言う。私が大人なら大酒をかっくらっていたところだ。叔父さんはギャンブルで負けるとよく高濃度チューハイにストローを突っ込んで飲んでいた。
「色々と大変そうねえ。ところで、ご飯もお話もいいんだけど、今日は世界中からお友だちが来てるの。カナコちゃんもみんなに紹介していいかしら?」
「おっけーおっけー。コネは作って損はないからね。大歓迎だよ」
そういえばと辺りを見渡せば、忘年会場にはこれまで見かけなかった魚や海獣が何匹もいる。ペンギンやシロクマまでいるな。南極から北極まで押さえているとは、乙姫の人脈もなかなか侮れないようだ。
「それで会場に入りきれないお友だちもいるんだけど――」
クジラかなんかだろうか? 乙姫が窓に近づき、カーテンを開いて外を見せる。そこにいた巨大な黒い影の正体は――
「ゴ、ゴメラ……!?」
「ゴメラ? こちらはウミボウズさんだけど……」
『むう? 小娘、どこぞで会うたか? なにやら見覚えがある気がするんじゃがのう……』
「いえ、はじめましてです。間違いなくはじめましてです。正真正銘紛うことなくはじめましてです。あっ、すみません。食べすぎたせいかお腹が痛くなってきました。いたたた! いたた! いたー! これは耐えられません。すみませんがこちらで失礼しますね。では、お達者で!」
「えっ、カナコちゃん?」
三十六計逃げるに如かず。私は全速力で竜宮城を脱出し、地上に逃げ帰った。なんだよあの大怪獣、乙姫の知り合いだったのかよ。砲撃の原因が私だったと悟られたらどうなるかわからん。まったく、心臓が止まるかと思ったぜ……。
長屋に帰って一息つくと、思い出したようにお腹がきゅうとなった。忘年会で食べまくるつもりだったから、朝も昼も抜いてたんだよな。ああ、さりとて夜鳴き蕎麦さえ苦しい懐事情。仕方がない、明日まで我慢して、寄せ場で稼いで何かを食おう……。
「ほら、やっぱりろくなことにならなかった」
無理やり眠ろうとしていたら、コガネちゃんが帰ってきた。空腹を抱えている私に呆れた顔をしている。今回は私は悪くないはずだよう。ただ、口からでまかせを言っていたらみんなが信じただけだよう。騙すやつより、騙されるやつが悪いんだよう……。
「はあ……またそんなこと言って。悪い子にはお土産あげませんよ」
「誠に申し訳ございませんでした。たいへんに反省をしております。騙される者に罪はありませんよね。騙すやつが一方的に100%疑いようもなく悪いのです。神様仏様コガネ大明神様、どうか、どうかわたくしめにお土産を!」
「まったくもう、少しは反省してくださいね」
コガネちゃんは、忘年会のご馳走を包んで持って帰ってきてくれたのだ。私は「ありがてえ、ありがてえ」とむせび泣きながら、それに食らいつく。何はともあれ、持つべきは友である。
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