第28話 時を駆ける借金取り
「見つけたぞ! 大場カナコぉぉぉおおお!! げほっ、ごほっごほっ」
今日も今日とて寄せ場で仕事を探していると、ずぶ濡れの女が現れた。黒縁の眼鏡に黒いパンツスーツ。生まれたての子鹿のように全身をぶるぶる震わせている。あっ、唇が紫色だ。真冬だというのに御苦労なことだ。
「毎度毎度マシラオニ退治ばっかりじゃ飽きちゃうよねえ。何か変わった依頼はないもんかねえ」
「あのう、カナさん? 何か呼ばれてるみたいですけど……」
「しっ! 目を合わせちゃいけません! きっとアブナイ人だよ」
「大場カナコぉぉぉおおお!!」
無視しようと思ったら、目を血走らせながら走り寄ってきた。まったくもうめんどくさいなあ。取立屋の中でもこいつが一番しつこかったんだよな。
「ふふふ、上手く逃げおおせたと思ったら思い違いもいいところだ。皇國金融債権回収部隊長、鳥立
「オウ? ユーは誰デスカー? 私はビッグプレイス・カナと申しマース。ルヨさん、ハジメましてデースネー」
「えっ、あれ? いやお前大場カナコだよな?」
「カナコ? ノー、ミーはカナですネー。ナイストゥミーチュー」
「な、ナイストゥミーチュー……?」
私は外人のふりをし、ルヨの手をがっちり握ってシェイクハンドした。こちとら仕事探しの真っ最中なんだ。こんなやつに関わっている暇などない。
「って、そんなので誤魔化されるかボケぇぇぇえええ!」
「あ、バレたか」
「バレるに決まってんだろ! 皇國金融を舐めるなッッ! 貴様の債権74兆3,031億円! 耳を揃えてきっちり支払ってもらうぞ!! げほっ、ごほっ」
「ほーん」
まさか時空を超えて取り立てに来るとは、まったく仕事熱心なことである。まあ、意外と言えば意外ではあるのだが、こういう事態が生じることは想定の範囲内だ。何しろ私がこの世界に流されて来たのだから、他の誰かがやってきてもおかしくはない。
「あの……どこのどなたか存じ上げませんが、まずは体を拭いた方が……」
ぶるぶる震えるルヨを見かねたのか、コガネちゃんが手ぬぐいを差し出した。
「むっ、これはすまん。見知らぬコスプレイヤーの人」
「こす……?」
ルヨは手ぬぐいを受け取ると、髪をがしがしと拭き始めた。ふふふ、この反応から察するに、案の定こいつもまだ異世界に来たことを認識してないな。
「まあまあ、遠路はるばる私を見つけ出したことは褒めてあげるよ。でもさ、そのままじゃ凍え死んじゃうよ? 私もこの期に及んで逃げようなんて思わないさ。居酒屋にでも行ってあったかいもんでも食いながら話そうや」
「珍しく殊勝じゃないか。くくく、ついに降参したか。いいだろう。貴様の最後の晩餐だ。それぐらいはこのルヨ様がおごってやろう」
「わーい! ごちになりやす!」
というわけで、寄せ場の近所の居酒屋へ移動し、座敷席に上がる。
「そいじゃ、芋の煮っころがしと、ねぎま鍋と、豆腐田楽とこんにゃく田楽とふろふき大根とごぼうの煮物とトロロと卵焼きと漬物と茶飯とお味噌汁と甘酒をください」
「一切の遠慮なく注文するな貴様は……」
「だっておごりだもん。食べれるだけ食べないとさあ」
「あ、稲荷寿司と納豆の袋焼きもお願いします」
しれっとコガネちゃんもついてきて、好物の油揚げ料理を頼んでいる。「一人にすると何があるかわからないので……」とかつぶやいていたが、一体何の心配をしているのだろう。
「はい、お待ちどおさん」
居酒屋の女将がやってきて、料理を満載したお盆を畳の上にぽんぽんと置いていく。
「むう、しかしテーブルなどはないのかこの店は」
「オールディスタイルだからねえ」
江戸時代にテーブルなどはない。私も最初は驚いたが、料理は畳や床几に直置きするがお江戸スタイルなのだ。
それにしても、普段こんな派手に注文することはない。とりあえず腹に詰め込めるだけ詰め込んでおこう。
「むう……美味いが、全体的に味付けが濃いな……」
ルヨは何やら首を傾げながら食事を進めている。江戸は肉体労働者ばっかりだから、料理も味付けの濃いものが好まれるのだ。おかず一品だけで白飯を何杯も食べるのも普通である。もっとも令和日本もジャンクフードは塩辛いものばかりだったから、わかりやすい美味しさを追求するのは外食の宿命なのかもしれない。
「それで、このあとどうすんの?」
「決まっているだろう。貴様の債権は締めて74兆3,031億円。いまこうしている間にも千万単位で利息が膨れ上がっている。内臓をすべて売り払ったところで到底届かない額だ。皇國金融の裏カジノで、貴様に恨みのあるVIPたちの玩具として遊ばれる日々が待っているだろうな! くくくく……かかかかかか!」
「ほーん」
まあ、確かに私を恨んでいる人間は多いだろう。カモネギにしてやったやつは多いからなあ。賭場にいる金持ちなんてどいつもこいつも金を持っているだけのぼんくらで、私に言わせれば負けるやつが悪いのだが。
しかし、私が聞いた
「さて、そろそろ腹も満ちたろう。そろそろ行くぞ。おい、会計はここに置いておく。釣りはいらんぞ」
「はーい! ありがとうございます……って、なんです、これ?」
畳に置かれた1万円札に、女将が不思議そうな顔をする。
「何ですも何もあるか。見た通り1万円札だ。足りなかったか?」
ルヨが財布からもう1枚お札を抜き、女将に渡す。
「あのう……珍しいお着物を召されてらっしゃいますが、どこぞのお侍様で?」
「侍? 何を言っている。私は栄えある皇國金融債権回収部隊長、鳥立
「はあ……ええっと、鳥立様。これがどこの藩札かは知りませんけど、お江戸じゃこういうものは使えないんで……。1朱と24文。銭でいただけませんかね?」
「は? 藩札? 1朱?」
「とぼけられちゃあかないませんよ。ほら、こんだけ食べたでしょ? ひょっとしてあんた……食い逃げかい?」
「く、食い逃げ!? 何を言っている! ちゃんと金はあるじゃないか!」
「おっと、食い逃げたぁ聞き捨てならねえなあ。よう、姉ちゃん。この目明しの平次がいる店で食い逃げを企てるたあ、いい度胸じゃねえか」
都合よくに岡っ引きまでいたようだ。十手を肩でぽんぽんさせながら、こちらにやってくる。ま、だいたいこの時間帯にこの店で飲んだくれているのは承知の上だったのだが。
「何を言っているんだ! こうして2万円も出してるだろう! そうか、ここはぼったくり店だったんだな!」
「なんて難癖をつけてくれるんだい! うちは明朗会計でやってるんだ! 料理の値段はぜーんぶ値札に書いてあるだろ!」
壁には白飯四文、田楽八文、卵焼き三十二文などなど、しっかり値段の書かれた札がかかっている。所詮は安居酒屋だと油断していたのだろう。ルヨはメニュー表など確認もしなかったのだ。
「お上りさんにしちゃ様子が変だな。しかも、こんな藩札は俺も見たことねえ。ひょっとして、贋金か?」
「贋金だと!? そんなわけがあるか! よく見ろ! 透かしもちゃんと入ってるだろ!」
「ああ、いちいちよくできてやがるな。こんな手の込んだもんを作るたぁ、てめぇ一人の仕業とは到底思えねえ。おい、ちょいと番所まで付き合ってもらうぜ」
「はっ!? 待て!? 何の話だ!?」
ルヨが岡っ引きにくるくるっと縛られ、座敷から引きずり降ろされる。
「これは何だ!? さては貴様、大場カナコの仲間だな!」
「何を言ってやがるんでえ。って、カナコ……てめえまでいやがったのか」
「はい、いつもお世話になっております。大場カナコです。しかし、私は今回の贋金作りについては完全に無関係であります。そこのお姉さんがおごってくれるというのでついてきただけでして、いやー、まさか贋金でおごろうとしてたなんて驚き桃の木さんしょの木ですね」
「かあっ、相変わらずべらべらと舌だけは回りやがる……。ま、てめえがこんな雑な仕事をするとも思えねえ」
こちらに来てからなんやかんやあったので、このあたりの岡っ引きとは一通り面識がある。嫌な意味で信頼関係が出来上がっているのだ。
「しかし、ケチな詐欺師に騙されてしまった私にも非はあります。お店の方に迷惑をかけるのは偲びないので、お代はお支払いさせていただきます。図らずもお手数をかけてしまったので、お釣りは結構です。あ、それから平次さんにもこちらを」
そういって、私は財布から2朱を取り出して女将さんに渡し、平次にも1朱を握らせる。1朱で250文。手痛い出費だが、これで厄介払いができるのなら安いものだろう。平次も臨時収入にほくほく顔である。ちょろいもんだ。
「大場カナコぉぉぉおおお!! 許さんぞぉぉぉおおお!!」
「こらっ、暴れるな! 大人しくついてきやがれ!」
「ぎひーぎひぎひぎひ! ご苦労さんだったねえ。令和日本の金なんざ、この世界じゃ関係ないんだよぉ! しかし、面白いもんを見せてもらった。メシ代は見料だと思って払っておいてやらあ」
平次に引っ立てられていくルヨを見ながら、私は甘酒を一口すする。うむ、勝利の美酒である。甘くて美味しいのう。
「あの人、あのまま放っておいていいんですか?」
コガネちゃんが何やら心配そうな顔をしているが、いいのいいの。前世のしがらみが追いかけてきただけだ。現世の私には関係のないことなのである。
※藩札:各藩が独自に発行した紙幣のこと。地元では流通しているケースがあったようだが、江戸に持ち込まれるとどうなったのかは正直良くわからない。両替商に持ち込めば換金できたのかも?
※目明し、岡っ引き:町奉行の同心や与力の手下となって犯罪捜査を手伝っていた町人。十手は士分である与力や同心が持つものであり岡っ引きが持つことはないのだが、この世界線では持っているようだ。
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