第29話 吾輩は次代を照らす偉大なる思想家、佐久間象山!

「おのれ大場カナコぉぉぉおおお゛! ぶち殺すっ!」

「うわー、怖い。狂犬病の犬みたいですね。お奉行様、怖いので帰っていいですか?」

「待て、まだ何も話しておらぬではないか。鳥立、お主も静かにいたせ」


 今日も今日とて元気にマシラオニ退治……と思っていたら、町奉行所から呼び出しを食らってしまった。なんでも流与ルヨの件で聞きたいことがあるそうなのだ。断るわけにもいかずやってきたら、お白洲で荒縄に縛られた流与ルヨとご対面している訳だった。


 お白洲は白い砂利が敷き詰められていて、座布団代わりに薄い茣蓙ござが敷かれているだけだ。ここに正座をしていると結構痛いし冷たい。もう少し人権に配慮して欲しいものだ。まあ、ここには何度も来てるから、もはや慣れつつあるわけだが。


「この贋金……いや、贋札と呼ぶべきか? どうやって作ったものかわかるか?」

「わかんないっすねー」


 座敷に座ってこちらを見下ろしているのは町奉行だ。1万円札をこちらに見せてくるが、作り方なんて私も知らない。というか、国家のトップシークレットなのだから知るわけがないのだ。


「版画職人に見せたところ、これはとてつもない技術で作られているそうだ。複数を比べても寸分たわず瓜二つ。ただ南蛮文字だけが少しだけ違う。十年かかりきりになっても作れないと申しておる」

「それは大したものですねえ」


 南蛮文字というのはお札の通し番号のことを言っているのだろう。お札なんて普段まじまじと観察する機会はないが、めちゃめちゃ細かい意匠が正確に刷られていることぐらいは当然知っている。極めて稀にエラー印刷されたものが流通し、そういうものはプレミアが付いて高額で取引されているほどだ。


「そこまでの技術があるなら、すでにある藩札を真似ることも容易だったはず。なぜ、わざわざ存在しない贋札を作ったのだと思う?」

「わかんないっすねー」


 そもそも、流与ルヨは贋札など作っていない。令和日本ならばきちんと通じる真正の一万円札である。いくら悪名高い皇國金融とはいえ、贋札作りにまでは手を出してないだろう。贋札は通貨の信用を毀損し、経済を破壊する爆弾だ。それは現代でも江戸時代でも変わらず重罪なのである。


「そこで、そこな女を詮議したところ。奇妙な話を聞いた」

「私たちは二百年先の未来から来たのよ! 大場カナコ、貴様もそうだ! どうせ未来の知識を使って悪行を重ねてきたのだろう! フハハハハ! すべてバラしてやったぞ! これでもう、貴様の思いどおりになることはあるまい!」


 流与ルヨが何やら高笑いしているが、何を勝ち誇っているのだろう。


「大場カナコ、このように申しておるが、お主が未来から来たというのは本当か?」

「うーん、たぶんホントっすねー」

「ほう」「えっ!?」


 納得する奉行と、目を丸くして驚く流与ルヨの表情が対象的だ。できれば記念写真を取っておきたいところだったが、スマホは長屋の床下に隠しているからできない。誠に残念だ。


「そんなあっさりと口にしてしまってよいのか? ここはお白洲。偽証は許されんぞ?」

「うーん、だから『たぶん』なんですよね。私の知ってる江戸時代とはだいぶ違うんで」

「江戸時代? ああ、いまこの時代のことをお主はそう呼ぶのか。具体的に何が異なるというのだ?」

「えっと、まず私のいた世界だとあやかしとかいなかったし、黒船の来航ももうちょっと後だったんじゃないかな? 開国するかしないかで国内が揉めたりしてたし」


 明治維新の話まではしない。さすがに幕府が倒れるなんて刺激が強すぎるだろう。そして、この世界の幕府はアメリカとの交易で財政再建が始まっている。私の知っている史実の通りになる可能性は低いだろう。


「大場カナコっ! 貴様、未来人であることを隠していたんじゃないのか!?」

「いやいや、隠してないよ。普通に未来の話とかしてるし。でも普通に『私は未来から来た未来人デース』なんて言っても誰も信じてくれないし、頭がおかしいと思われちゃうだけでメリットないじゃん」

「えっ!?」


 流与ルヨは私が未来知識を悪用して悪巧みをしていると決めつけていたのだろう。いや、未来知識の活用はしたけど、別に歴史改変とか国家転覆とか狙ってないし、そんな面倒くさいことに手を出すつもりはないんだよなあ。


 なお、未来から来た証明ということであればスマホを見せればそれで済んだだろう。しかし、私はスマホを作れる技術者ではないし、ブツだけ取り上げられておしまいという可能性もありえる。私が未来から来たことを積極的に口にしなかったのは、それをするメリットがなかったからというだけだ。


「大場カナコよ、つまり、お主は二百年後の未来から来たわけではなく、二百年後のこの世界によく似た世界から来た……ということで相違ないか?」

「確証はないっすけど、そんな感じっすねー。なので、私に未来の歴史を教えてくれとか言われてもあまり役に立たないと思うっす」

「ふむ……」


 奉行が考え込んでしまった。私の利用価値について思案しているのだろう。解剖だの何だのってことにはならないだろうが、身柄が拘束されてしまったら困るなあ。まあ、この時代の錠前なら簡単に突破できるし、仮に牢屋に閉じ込められても逃げられると思うが。そうなるとこの世界でもまたお尋ね者の身になってしまうのが嫌だなあ。


「話は聞かせてもらった! 貴公の身柄は吾輩が預からせてもらおうッ!!」


 奥の襖がばーんと開いたかと思ったら、今度はそこから丸メガネの変なおじさんが飛び出してきた。総髪で月代さかやきを剃っておらず、まともに城勤めをしている侍には見えない。


「これ、象山しょうざんよ。詮議が済むまで出てくるなと申し付けたではないか」

「これは異なことを。この佐久間象山、約定を違えることなどありませぬ。つい今しがた詮議が済んだと我が天才的頭脳が判断したまでッ!」

「佐久間象山?」


 聞き覚えのある名前だな。なんか偉い人だった気がする。


「ハハハハ! 吾輩の威名は遠く未来異世界までも轟いていると見える! そう、天才朱子学者にして兵学者、次代を照らす偉大なる思想家佐久間象山とは吾輩のことよ!!」


 なかなか思い出せないでいたら、象山が尖った顎髭をしごきながら勝手に自己紹介してくれた。こっちはまともに学校通ってないからね。そういうの助かるよ。


「ええっと、身柄を預かるって言われても、私も仕事があるんですけど」


 拉致されて座敷牢などに閉じ込められたらかなわない。私は自由を愛するタイプのJCなのだ。


「ハハハハ! 安心いたせ! この佐久間象山、天に誓って無体などせぬ。聞けば貴公、一文寿司や白黒将棋、さらにはポケニンの発案者であるそうだな。それらは未来の知識であるのか?」

「うん、そうだよ」

「ハハハハ! 素晴らしい! やはり智慧とは時代も世界も超越するものッ! 貴公には、吾輩が経営する私塾、象山書院の講師となってもらいたいッ!」

「えっ、私が講師に?」


 そんなこんなで、最終学歴中卒未満の私が教職に就くことになってしまった。一体何を教えればいいのだろう?




※佐久間象山(1811年-1864年):幕末に活躍した開国派の論客。幕末物では大抵登場する。勝海舟や高杉晋作に「ホラ吹き」と評されており、大言壮語の尊大屋だったように見える。

※象山書院:1839年から1844年に佐久間象山が開いていた私塾。儒学を中心に教えていたっぽい。史実では作中の時代(1849年)には存在しないのだが、例によって「細けえことはいいんだよ!」の精神でお許しいただきたい。

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