第6話 屋台寿司屋の悩み事

「どうやらお悩みのご様子。私でよければご相談に乗りましょうぞ」

「へい……変わったお召し物といい、寿司の食べっぷりといい、なによりおいらがトロを工夫していると気がついたその眼力。お嬢さんは若いのに相当な通人つうじんとお見受けしました。てえした話じゃねえんですが、聞いていただけるとありがてえ」

「うむ、苦しゅうない。胸の内、とくと聞かせてみよ」

「カナさん、また人格が変わってる……」


 へへっ、人格キャラなどに囚われるのは未熟者の証拠あかしよ。バリバリ切り替えて臨機応変にやっていけなきゃ、JCのホームレス暮らしなんて即詰んでしまうのだ。人生を幸せに生きるコツは応用力なのだよ、応用力。


「じつは、おいらの幼馴染が漁師をやってまして、うちの仕入れもそいつに頼んでるんですが――」


 大将は渋面を作って話し始める。私はその間もパクパクと他のお寿司を食べる。うむ、蒸しエビもおいしいな。肉厚でぶりっとした歯ざわりがたまらない。尻尾が取ってあるのも食べやすくてよい。


「そいつがですね、『お前にゃ本当のマグロの旨さがわかってねえ。おかもんたちはあんなもん猫もまたぐと馬鹿にしてるが、釣りたてのトロっつったらこれ以上に旨いもんはねえんだ』と言ってやして。そこまで言われたらおいらも職人だ。トロで最高の握りを作ってやろうじゃないかと売り言葉に買い言葉で――」


 あ、グルメ漫画とかでよくある展開だ。たぶんこの大将は幼馴染の妹と恋仲なんだけど、最高のトロの寿司が握れないなら結婚は認めないとかそういうやつだな。私は大将の言葉を待つ。へいへい、どんな修羅場が待ってるんだい? お姉さんに聞かせておくんなよう。


「……」

「…………」

「………………」

「……………………」


 あれ、いくら待っても話が続かない。仕方がない、ここは助け舟を出してやろう。


「それで、大将が結婚するためには美味いトロの寿司を完成させなければならんと、そういうことだね?」

「へ、結婚? 何のお話で?」

「いやだって、トロのお寿司を作れないとなんかマズイことになるんでしょ?」

「あ、いや、ただ悔しいだけなんですが……」

「それだけかいっ!」


 なんだよもう、それだけなのかよ。いい大人がくだらないことで意地を張ってるんじゃないよ。しかし、まあそれはそれだ。私は美味しいトロを食べたいのだ。もう少し付き合ってやろう。


「それで、どうしてこのトロはこんなに生臭いのだね? 赤身は普通においしかったぞ」

「へい、赤身はヅケにして匂いを消してやすから。しかしトロとなると……」


 大将はトロのサクを取り出し、さっと切っつけて刺し身を一切れ作った。カウンターにあった醤油壺の刷毛を取り、醤油を塗りつける。だが、醤油は刺し身に馴染まず、表面からだらだらと流れ落ちてしまう。そういえば、さっき私がトロの握りを食べたときも同じだった。


「こんな具合で。塗ろうが漬けようが脂が弾いちまってどうしようもねえんでさ。薬味で誤魔化すのも色々試したんですが、どうにもこうにも……」


 大将は小さめの握りをいくつか作ってくれる。わさび、生姜、芽葱を載せたものの三つだ。試食してみるが、どれもトロの生臭さを打ち消すまでには至っていない。口に入れたときはよくても、飲み込んだ後に生臭い脂の臭いが残る。


「なるほど、これはネタそのものの問題だね」

「そうなんです。従兄弟の野郎も『漁れたてじゃなきゃトロの旨さはわからねえ。こいつは板子一枚下は地獄で命張ってる漁師の特権だ』なんて言いやがりやして、それがもうおいらにゃ悔しくて悔しくて……」


 なるほど、話はわかった。要するに鮮度が問題なのだ。


「新鮮なのを持ってきてはもらえないの?」

「マグロは傷みが早いんでさあ。網の中で死んでることもある。それを沖から河岸に上げて、そんでもって売るのは日が暮れてからだ。いくら気をつけたって傷んじまうんでさ」

「冷やしておけないの? 雪とか氷とかで」

「お大尽じゃあるめえし、それじゃ一貫一両で売ることになっちまいます」


 うーん、冷蔵車とかある時代じゃないもんなあ。あ、でももっと便利なものがあるんじゃないかな?


「ねえねえ、コガネちゃん。なんか冷やす魔法とかないの?」

「魔法? あ、法術ですか? 雪や氷を生み出す術もありますけど、私には使えないですし、使い手は珍しいですね」

「あ、でもあの水を出すやつをずっとじゃぶじゃぶしてたら冷やせない?」

「とても法力が持たないですね……」


 魔法的なやつがあるならそれで一発解決じゃん! なんて思ったが、そんなに都合よくはいかないようだ。まあ、そういうのが普通に使えたらとっくに利用されてるよなあ。そうなれば、結論は当然こうなる。


「すまない、私では力になれないようだ。トロを食べたくなったら漁船に乗ることにするよ」

「諦め早っ!?」


 大将が目を丸くしているが、解決策が思い浮かばないものをいつまでもうだうだ考えてたって仕方がない。人間、時には諦めも肝心なのである。


「普通に繁盛してるみたいだし、トロのことは一旦忘れたら? あ、締めに赤身をもうひとつ」

「へい……」


 肩を落とす大将を置いて、マグロをもぐもぐしながら橋の下に移動する。ああ、赤身はおいしいなあ。やっぱりトロも食べたいなあ。いまは解決策がないけど、何か妙案を思いついたら教えてあげよう。その辺の雑草を引き抜いて、敷き詰めてっと。江戸時代にもダンボールがあったらよかったのになあ。床にも壁にも天井にも、ベッドにもなる万能素材なのだが。まあ、今日のところは寝床だけでいいだろう。住環境はおいおい整えていくことにする。


「それじゃ、おやすみ」

「おやすみなさい……って、どこで寝ようとしてるんですか!?」

「どこでって、ここだけど?」

「そんなしれっと野宿する人がいます!?」

「ここにいるじゃん」

「いますけど!」


 コガネちゃんちに泊めてもらえることになった。うむ、持つべきものは友である。


 * * *


 翌日、私たちは再び寄せ場にやってきていた。また仕事をもらいに来たわけだが、姐さんに話しかけたら壁の張り紙を見ろと言われてしまった。


 基本は壁に張り出されている依頼票を見て、受けたい仕事を自分で探すものらしい。崩し字で読みづらかったが、慣れれば大体の内容は読み取れた。


「これはマシラオニ退治、こっちはマシラオニ退治、これもマシラオニ退治……なんかマシラオニ退治ばっかだね」

「あやかしの中では一番多いですからね。畑を荒らしたり、鶏をさらったり、女子供なら襲われることもあります」

「なるほどね」


 相手が弱そうだと思えば襲ってくるわけだ。ニホンザルとさほど習性は変わらないっぽい。あれもこっちが子供だと見るとちょっかいをかけてきた。まあ、ことごとく返り討ちにしてやったわけだが。コガネも小柄な女の子だから襲われたんだろう。まあ、実際弱っちかったわけだけど。


「お、違うのがあるね。シモフリウサギって何だろ?」


 どうせなら実入りのいい仕事がしたいと依頼票を吟味していたら、マシラオニではないものを見つけた。畑に出没するシモフリウサギなるあやかしを退治してほしいとのことだ。なお、あやかしとはモンスター的なものの総称らしい。普通の動物とどう区別しているのかは知らない。まあ、有害鳥獣だと思っておけばいいんだろう。


「一匹50文かあ……。ちょっと安いけど、美味しそうな名前だよね」

「美味しそう? 何でですか?」

「だって、シモフリだよ? 脂がたっぷり乗ってそうじゃん」

「何でそう思うのかわからないですけど……霜を降らすからシモフリですね。ウサギですから美味しいんじゃないですか?」(※)


 なるほど。この時代には霜降り牛とかなさそうだもんな。そういう連想はきかないのか。しかし、霜を降らすんじゃあ農家さんには確かに迷惑だろう。


「って、霜を降らすって、周りを冷やすってこと?」

「そうですね。里に出るのは冬場だけなので、普段は気にする人もいないですけど」

「ほほう、さっそく見つかったじゃん、妙案・・!」


 私は口の中に広がる新鮮なトロの味を想像し、じゅるりとよだれをすすった。




※江戸時代と肉食:明治維新以前まで日本人は肉食を禁忌としていた……という誤解・・は最近ではかなり薄れてきているが、まあまあ食べてました。猪肉をぼたん、鹿肉をもみじ、鶏肉をかしわと言い換えていたのは有名ですね。江戸末期になると「ももんじ屋」と呼ばれる獣肉専門店も流行ってました。現代でも東京の両国にある老舗、その名も『ももんじや』の創業は1718年と江戸中期のことである。まあ、隠語で呼ぶくらいだから表向きは忌避されていたのは確かなんだろう。なお兎肉は徳川家康の好物だったこともあり、縁起物としてありがたがられていたという。

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