第18話 破廉恥はいけませんデスの!
「オー! ジャパンの蛮族は
「いいから黙って食え」
ペルリの口にねぎとろの巻物を突っ込んでおく。ちなみにねぎとろとは「ネギとトロ」を混ぜた食べ物ではない。マグロの肋骨から身をねぎ取ったものだからねぎとろなのだ。トロなんて臭くて食えないというのが江戸っ子の常識であったが、一文寿司の流行でトロもすっかり寿司ネタとして定着している。
お上の方針でシモフリウサギの飼育はご禁制となったが、「たまたま懐かれてしまった」という名目でシモフリウサギを飼う寿司屋や漁師は増えているらしい。くそっ、特許法さえ整備されていればいまごろは左うちわだったのに!
「むぐむぐ……ワオ! これはデリーシャスですの!」
黒船のジャックに成功し陸に戻ってきた私は、ペルリを連れて
「ペルリさん、このお稲荷さんも美味しいですよ」
「オウ! 布袋ごとライスを食べるのデスか!? さすがは極東の蛮族デスね!」
コガネちゃんが勧める稲荷寿司にペルリが眉にしわを寄せる。それは布ではなく油揚げだ。あまり食いもんをバカにすると日本人はキレるから気をつけろよ。
「いいから黙って食え」
「むぐむぐ……ワオ! 甘じょっぱくてデリーシャスですの!」
鎖国政策を敷くこの日本に黒船を普通に停泊させることなどできない。とりあえずウミガメ号で密入国させたわけだが、こんな調子じゃ目立って仕方がない――と心配したのだが、予想以上に溶け込んでいた。服は着物に着替えさせたし、金髪が目立つかと思えばコガネちゃんも金髪だった。縦ロールが多少目を引くぐらいである。
江戸は元々日本全国からの出稼ぎに来た者や、参勤交代の武士、他にも旅芸人やら山伏やら渡世人やらそういう胡乱な人間でごった煮になっているのだ。いまさら髪型が変わっている程度のことを気にする人間など存在しない。
「それで、アメリカさんは何がしたいんだっけ?」
「ステイツは綿花や綿布、農産物の輸出を望んでマスの。そしてチャイナや東南アジアからお茶と香辛料を輸入するんデスの!」
そして、日本はその航路における中継地点というわけだ。日本列島は中国を覆うように拡がっている。絶好の補給地点と見ることもできるし、反対に中国に行くには邪魔くさい障害物とも言える。そして、いずれの見方であっても日本そのものは交易相手として見られていないのだ。
「たとえばこの海苔とか売れないかな? 日持ちもするし、単価も高くてかさばらないんだけど」
「ウーン、これは売り物にはならないデスね。わたくしは船乗りだから食べられましたが、ステイツの国民の多くは海産物に不慣れデスの。こういう潮の香りがするものは受けつかない方がほとんどだと思いマスわ。見た目も黒い紙にしか見えないのデスの」
ペルリはポンコツだとばかり思っていたのだが、商売の話になると意外にまともになる。江戸幕府へ開国を要求する艦隊の提督に任命されたのは伊達ではないということか。
「こっちから売れるものがないなら、開国なんか要求してもダメだと思うんだよね」
「だからわたくしたちは砲艦で以ってそれをこじ開けようと思ったのデスわ。わたくしたちが欲しいのは水や食料の補給地点。それさえできればジャパンなんて素通りしたってかまいませんデスの」
大国ゆえの自信なのか、ペルリはこういうことをあっさりと口にしてのける。二百年あまり国を閉ざし、戦争をしてこなかったのが江戸幕府であり日本という国だ。文化面ではともかくも、軍事面では周回遅れもいいところだし、侮られても仕方がないと言えば仕方がない。
「バット……みなさまきちんとした服を着ていらっしゃるのデスね……」
一方、ペルリの日本に対する認識も上陸してから変わってきている。沿岸から漁師ばかりを見ていたせいで、日本人は上流階級以外はふんどし一枚で暮らしている蛮族だと誤解していたらしい。しかし、国産の生地が高級なのは事実だ。現代のように品質がどうだこうだとかいう話ではなく、単純に生産が間に合っていないせいである。
アメリカで大量生産した安い綿布を輸入すれば、飛ぶように売れるのは間違いないだろう。しかし、それは同時に日本の繊維産業の壊滅を意味する。一方的に布を買うだけの関係では、幕府が開国に同意するはずなどない。
ペルリをわざわざ江戸に連れてきたのは、アメリカ市場で売れそうなものを探るためなのだ。対等な取引ができ、そして利益が確保できるのならば幕府としても願ったりだろう。歴史の教科書によれば幕府が嫌ったのはキリスト教の布教らしいし。民主主義と合理主義の国であるアメリカ合衆国にはそんな宗教的情熱は存在せず、平和的にやり取りができるのであれば幕府としても組みやすい相手のはずだ。
「号外ー! あの玉之丞がいよいよお上にとっ捕まったんだってよォー!」
「オウ! ジャパンにもニュースペーパーがあるのですか!?」
「ニュースペーパー……あ、瓦版のことか」
あーでもないこーでもないと考えながら歩いていると、ペルリが瓦版売りに関心を示した。人気の歌舞伎役者が大奥に出入りをしていたとか、そんなニュースが話題らしい。政治家だの芸能人だの不倫が話題になるのはいつの世も変わらないようだ。個人的には一切興味がわかないのだが。
「むむむ……たったの十六文で多色刷り……これは一体どうやっているんデスの?」
「あー、それはね。木版をたくさん作って別の色で何回も重ね刷りするんだよ」
「そんなものを毎日のように刷っているのデスか!?」
「そこは職人さんの技術だよねえ」
出版関連は一文寿司や白黒将棋の宣伝でかなりお世話になった。そのあたりの事情には多少詳しくなっている。ついでだから手近な蔦屋の支店にペルリとコガネちゃんを連れて行ってみる。
軒先には歌舞伎役者や相撲取りなどの色鮮やかな錦絵が並び、平台には各地の名所を描いた浮世絵が並ぶ。中には多くの武士が合戦をしている様子も描かれたものもある。東海道五十三次だとか南総里見八犬伝だとかそんなのだ。昔の武将を当世で人気の役者に似せて描いたものなども人気らしい。
「ホワッツ!? こ、これはなんと冒涜的な……デ、デビルフィッシュがそんなところに!? こ、こちらは女同士……こちらなど男同士じゃないデスの!?」
店の奥で、ペルリが顔を真っ赤にして震えている。何を見ているのかと思えば、あー、なるほどなるほど。大人向けのコーナーだったか。
「こ、こんな蛮国とはやはり対等な国交など不可能デスの! こ、こちらは資料として購入していきマスわ! こんな破廉恥なものが売られている国など、ステイツの貿易相手としてふさわしくございませんデスの!」
「ほーん。んじゃあ、ペルリから見て破廉恥だと思うものを教えて。なぁに、お代はこのカナコ様がすべて出してやろう」
「ほっ、本当デスの!? そ、それじゃあ、これとこれとこれとそれと……」
鼻血を出しながら春画を買い漁るペルリに、私はにちゃぁと笑いを浮かべる。あったじゃないか、クールジャパンらしい輸出品が!
「カナさん……また悪い顔で笑ってる……」
例によってコガネちゃんから冷たい視線が向けられているような気がするが、きっと錯覚であるので忘れることにする。
※海苔:海藻は日本人にしか消化できないという与太話があるが、あれはデマである。正確には、日本人の多くの腸内に海藻類の消化を助ける酵素を分泌する細菌がいるというだけだ。これも日本人限定というわけでなく、中国や東南アジアにも、そして少数ではあるが白人にもこの腸内細菌を持つものがいる。南米あたりだと海藻が海の野菜として日常的に食べられてたり。なお、この細菌がいなかったとしてもまったく消化できないわけではない。たとえば海苔はイギリスでも古くから食べられており、ラバーブレッドという「ご飯ですよ!」みたいな食べ物があったりする。
※十九世紀のアメリカ:工業国のイメージが強いアメリカだが、この頃はばりばりの農業国である。史実ではペリー来航の8年後、1861年から始まる南北戦争を経て本格的に工業国家としての道を歩んでいくことになる。
※布製品:日本は古くから布製品の需要を海外からの輸入に頼っていた。しかし、鎖国政策により輸入品が激減し、国内生産に頼らざるを得なくなったのが江戸時代である。布は貴重品であり、着物の仕立て直しは普通であったし、端切れを専門で販売する店があるほどに大切に扱われていた。
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