第10話 白黒将棋
「はい、王手飛車取り」
「ぐっ、ま、待った!」
「おうおう、江戸っ子が待ったかい? ずいぶん粋なことをなさるねえ」
「ぐおおおお……」
「はい、王手。王手。王手。これで詰みっと。んじゃ、こいつぁもらっていくぜ。ごっつぉさん」
将棋盤の向こうでうなだれる男から一朱金(※)を巻き上げて、辺りを見回して次の相手を物色する。湯上がりでほかほかした男たちが、囲碁や将棋、花札などに興じている。しかし、私が視線を向けるとみんな顔を露骨に背けてしまう。ちっ、この湯屋でも少し暴れすぎたか……。
「カナコさーん、そろそろ帰りますよー」
「むう、もうひと稼ぎしたかったが……致し方あるまい。帰るかあ」
「あっ、また賭け事ですか? わざわざ遠くの湯屋に行こうなんて言い出すから何かと思ったら」
「えへへへ、ちょっとだけだってば。そうだ、帰りに稲荷寿司でも買っていこうよ。美味しいお店があるらしいよ」
「もう、いつもそうやって誤魔化すんですから……」
コガネちゃんに怒られてしまいそうなので、食べ物の話題で気をそらす。コガネちゃんはお揚げさんに目がないのだ。口では呆れたようなことを言っているが、ケモ耳がぴくぴくして喜びを隠せていない、ふふふ、身体は正直じゃのう。
というわけで、屋台で稲荷寿司を買って帰る。甘辛いおだしをたっぷり吸ったお揚げの中に、キクラゲやかんぴょうの混ざった酢飯が詰まっている。これでひとつ四文なのだから大したものだ。
「それにしても、カナコさんって将棋が強いんですね」
「大したことはないよ。ハメ技をいくつか知ってるだけで」
「は、ハメ技ですか」
謙遜しているわけじゃなく、私の腕は大したものじゃない。定石で言うと、
「ところで、コガネちゃんは将棋やらないの? 賭けるかどうかは別として、けっこう面白いよ」
「うーん、覚えることが多くて大変そうで。それに、男の人の遊びって感じもしますし」
たまにこうしてコガネちゃんも誘うのだが、将棋にはあまり関心がないようだ。そもそも、湯屋の二階に入り浸って遊んでいるのも男ばっかりだもんなあ。煙管の煙でむわむわしているから、湯上がりの身体に匂いが移るのが嫌だっていうのもあるんだろう。
「はさみ将棋とか、将棋崩しなら付き合いますけどね」
「普通の将棋はルールが複雑だもんなあ」
稲荷寿司をもぐもぐしながら、コガネちゃんの話を聞く。将棋は駒の動かし方がわかれば打てるってものじゃない。序盤の基本定石くらいは覚えないとまるで勝負にならないのだ。麻雀やポーカーなどと違って運が絡む要素もない。初心者が面白さを味わえるまでのハードルがかなり高いゲームなのである。
「もっとルールが単純ならよかったんだろうけど……ん、待てよ?」
私の灰色の頭脳に電流が走る! あったじゃん、将棋よりもずっと簡単で、女子供でも手軽に楽しめるゲーム! これぞ現代知識無双の定番ってやつが!!
「ぐふ、ぐふぐふぐふ」
「カナコさん、また悪い顔になってる……」
ぐふぐふ笑う私をカナコちゃんが半目で見ている気がするが、気のせいだろう。そんなことより、脳内で舞い飛ぶ大判小判を数えることに忙しいのだ。
* * *
長屋に帰った私は、そのへんで拾ってきた木切れを丸く、小さく切っていく。片面を墨で塗ったら完成だ。簡単なものである。
「コガネちゃん、コガネちゃん。ちょっと遊ぼうよ」
「賭け事なら付き合わないですよ」
「賭けないって。ルームメイトから金を巻き上げるほど私は外道じゃないよ。新しいゲームを考えたから、感想を聞いてみたいだけ」
「本当ですかね……」
コガネちゃんの視線が冷たい。まるで信じられていない。なぜだ。なお、私とコガネちゃんはなし崩し的に同棲生活を行っている。長屋の
「えっとね、まずはこうやって四つ並べて……」
私は半紙に格子模様を書いて、その上に作りたての
●○
○●
「えーっと、先手は黒だったっけ? 例えばここに置くね」
私は黒い駒を盤面に置き、間に挟んだ白い駒をひっくり返して黒にする。
●●●
○●
「なるほど、同じ色で挟んだら相手の駒をひっくり返せるってことですね」
「そうそう、さすがはコガネちゃん。飲み込みが早いねえ」
これ以上は説明する必要もあるまい。リバーシである。異世界転移した現代人がパテントやら何やらで儲ける定番のアレだ。ルールはシンプルだし、駒を作るのも簡単。マス目の数が少し違うが、将棋盤をそのまま流用することも出来る。
「そしたら、今度はここに白が置けるってことですね」
「そうそう、置ける場所がないときは交代ね」
「やった! 5つもまとめてひっくり返せました!」
「おお、コガネちゃんは筋がいいねえ」
勝負事にあまり関心のないはずのコガネちゃんが早速ハマってくれている。ぎひ、ぎひひひ……こいつぁ大儲けの匂いがするぜえ!
「ところで、この遊びってなんて名前なんですか?」
コガネちゃんの質問に、私は少し考える。そのまんまリバーシでも構わないのだが、横文字に馴染みのないこの時代の人々にはちょっとおぼえづらいだろう。
「うーん、白黒将棋ってのでどうかな?」
「なるほど、駒が白黒だからそういう名前なんですね!」
こうして江戸風異世界に、白黒将棋なる新しいエンターテイメントが爆誕した。
※一朱金:四文銭の次に用いられた貨幣。一朱で250文、四朱で一分、四分で一両だった。東では金が用いられたが、大阪など西の経済圏では銀貨が使われていた
※湯屋:銭湯である。一階はもちろん風呂で、二階は休憩所になっていた。囲碁や将棋、花札などで遊んだり、軽食を食べていたりしたらしい。現代の銭湯とあまり変わらない光景である
※鬼殺し:大正時代に開発されたと思われる将棋の定石のひとつ。一見愚形と見せかけてから、奇襲を仕掛ける戦法。改良版がプロの棋戦でも使用されている。素人殺しにはぴったりのハメ手らしいのだが……ぶっちゃけ筆者は将棋をまともに打てないのでその威力についてはよくわかっていない
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