第11話 博徒は踊るよどこまでも
「おお、坊や。よくがんばったねえ。ほら、初段の免状だ。持っていきなさい」
「わぁい! ありがとう!」
私は白黒将棋の道場で生徒たちに免状を発行していた。広い板間のあちこちで老若男女が白黒将棋に興じている。道場は私が経営するもの以外でも何軒も現れた。いまや大江戸八百八町は白黒将棋ブームに沸いている。
「す、すごい大流行ですね……」
「色々と工夫をしたからねえ」
道場の盛況ぶりに目を丸くするコガネちゃんの言葉に、これまでの苦労の数々が蘇ってきた。最初は湯屋という湯屋に無料で駒とルールブックを配った。大した材料は使わないし、ルールブックも半紙一枚だ。支出自体は大したものではない。だが、それらを何日も何日も徹夜で作る生活はかなりきつかった。
ある程度普及したところで、今度は段位を制定し、道場を借りて指導を行う。十歳未満は無料。それ以上は指導料や免状の発行料を取る。初めは無料で通える子供ばかりだったが、そのうち子供有段者に負けた大人が通い始める。なにしろ負けん気の強い江戸っ子だ。子供に負けたままではいられないとムキになったのだ。
「大場先生、大場先生、ちょっとよろしいでしょうか」
「急用かね? それじゃコガネちゃん、ちょっと失礼するよ」
アシスタントとして雇った黒い着物の男を連れて別室へ移動する。この男には色々と生臭い仕事を任せているのだ。生徒やコガネちゃんのいる場所でうかつに話などできない。
「大場先生、公式駒の在庫がなくなりそうです」
「おおっと、そんなに売れ行き好調とは笑いが止まらないねえ。工場に増産指示を出しておきな」
「材料の仕入れが間に合わないとかで……」
「馬鹿だねえ。ちったぁ頭を使いな。質屋や蚤の市で、箪笥でも戸棚でも買い叩いてくるんだよ。そいつを叩っ壊して材料にしちまえばいい」
「し、しかし公式駒は
「どうせ白黒に塗っちまうんだ。誰にもわかりゃしないよぉ」
こんな具合で毎日が大忙しだ。まったく充実している。額に汗して労働に勤しむのは素晴らしいことだ。
「ところで、裏大会の件は順調に進んでるかい?」
「はい、ちょどいい廃寺が見つかりましたので、そこを押さえています」
「博徒どもは?」
「清水の次郎長、国定忠治、黒駒の勝蔵。名の売れた親分さん方には片っ端から案内を済ませました」(※)
「でかした! こいつぁ一晩で数千両が動く大勝負になるぜい。ぎひーぎひぎひぎひ!」
チャンスとなればアクセル全開で踏み込む。これもビジネスにおいては肝要なことである。
* * *
新月の晩である。破れ屋根の廃寺に、続々と人が集まってくる。三度笠を目深に被り、道中合羽を羽織ったヤクザ者たちだ。これから始まる、メンツと大金を賭けた大勝負に全員がぴりぴりしている。
「ぎひーぎひぎひぎひ! ひりつくねえ、ひりつくねえ。この鉄火場の空気!」
ヤクザたちがすし詰めになった廃寺の一角で、私は密かに笑う。勝負の場に流れる空気は心地よい。切った張ったの修羅場には、独特の匂いが満ちるのだ。
何よりそれを、安全圏から見物ができるというのがたまらない。
「さあ、お立会いの皆々様。白か黒か、張った張った!」
「次郎長一家がこんな勝負に日和るかよ! 白に百両だ!」※
「おっ、忠治んとこの代打ちは真剣師の辰じゃねえか。俺ァ、黒に二百両!」
今宵は博徒たちの代打ち勝負なのだ。当人たちも大金を賭けるが、その勝敗を見物人も賭けられるようにしている。私自身は試合にも賭けにも参加せず、手数料としてテラ銭を頂戴するだけだ。要するに、賭け金が動けば動くほど私の懐も潤うという寸法である。
いくら白黒将棋の発案者だとは言っても、代打ちとして雇われてきた囲碁や将棋の達人に本腰を入れられたらとても勝てる気はしない。負け戦を挑まないこともビジネスにおいて肝要なことである。
「黒駒の親分さん、悪りぃが白黒将棋でも最強の博徒の名は譲れねえんでやすよ」
「カーッ! 田舎もんが吠えやがる。寝言は寝てから言いやがれ」
勝負は並行していくつも行われている。リバーシは1試合15分程度とこの手の盤上遊戯の中では短いが、律儀に1試合ずつやるのでは効率が悪いのだ。トーナメントやリーグ戦などと言った生ぬるいことはなしない。これはタネ銭を命にしたバトルロワイヤル。いわばデスゲームなのである。
「ぐああっ、負けた! もうひと勝負だこの野郎!」
「おいおい、これで三連敗だぜ? 銭は残ってんのかい?」
「おい、大場の。回銭まわしてくれや! 百両……いや三百両貸してくれ!」
「はいはい、毎度あり。一応念を押しとくけどね。賭場の借金はカラス金だ。カラスがかぁと鳴くごとに、1割ずつ増えていくが構わないね?」
「けっ、こちとら博徒でぇ! きっちり勝って返してやるよ!」
手文庫から二百七十両を取り出してやくざ者に渡してやる。引いた三十両は利息だ。これを今日中に返済できなければ、一晩ごとに1割の利息が増えていく。現代令和の上限利息が年20%くらいだから、ゆうに百倍を超える超高金利だ。
そして、これこそが今回の仕掛けの本丸である。借金を返しきれない者が増えれば増えるほど、私の安定収入源となってくれるわけだ。生かさず殺さず、金利を貢ぐだけの奴隷となって生きてもらおう。
勝負に負けた者の悲鳴が上がるたび、私は高笑いを堪えるのに苦労するのだった。
* * *
江戸の一角。とある町家に博徒たちが集まっていた。誰も彼もがげっそりとやつれ、目に力がない。
白黒将棋賭博は大いに盛況し、繰り返し繰り返し開催された。一部の者は大金を得て、ほとんどの者が莫大な借金を負った。ここに集まっているのは、そうして莫大な借金を背負った者たちだ。
「くそっ……何者なんだあのカナコって小娘は!」
「気がつきゃ江戸どころか関八州の博徒共が借金漬けだぜ……」
「こりゃあ俺たちでいがみ合ってる場合じゃねえんじゃないか」
「ンなこたぁわかってる。だが、殴り込みでもしようってのか?」
「勝ち目がねえよ。あいつ、金に飽かせて腕の立つ冒険人足どもを何人も護衛にしてやがる……」
場にため息が満ちる。家の外からはかぁかぁとカラスの鳴く声。
「はああ……これでまた借金が膨らみやがった」
「もう何をしたって返せる額じゃねえよ」
「ははっ、もう大店に押し込みでもするしかねえか」
押し込みとは強盗のことだ。博徒である彼らは盗賊とは異なる。そうした荒事は本来苦手なのである。
「俺ゃあよう、もう足を洗いたくなってきたぜ……」
「稼業を捨てても借金は残るぜ。あいつなら地の果てまでも追ってくるにちげぇねえ……」
金を貸し出すとき、利息を受け取るとき、少女の瞳の奥底に灯る昏い輝きを思い出し、一同はぶるりと身を震わせる。とても同じ人間だとは思えない。
「いや、足を洗うんなら
「なんでえ、その
男が口にした「手」に、一同は目を丸くする。「それじゃあ仁義が……」「だがしかし……」「いまさら義理も仁義もねえだろうが!」と、ひとしきり言い合ったあと、結局その
* * *
――ピィィィィィイイイ……
――ピィィィィィイイイ……
江戸の夜に呼子の笛の音が響き渡る。
「御用だ!」「御用だ!」「御用だ!」
提灯を持った同心や与力たちが走り回っている。
私はその目を盗み、路地から路地を、ときには土塀や屋根に登って全力で逃げる。腕に抱えた千両箱が重い。
「ぎぃぃぃ、ぎぃぃい! やつら裏切りやがったなあ! お上に頼るなんざ極道の風上にも置けやしねえ!」
もはや恒例となった大会を開いたときだった。百を超える
「こっちだ! こっちにいたぞ!」「あの女が頭目だ!」「絶対に逃がすな!」
「ぎぃぃぃあああ!? 見つかった!!」
刺股や十手を持った男たちがわらわらと追ってくる。逃げて、逃げて、逃げて、何かの建物の屋根まで追い詰められる。あの煙突は……湯屋か。そういえば白黒将棋は湯屋の2階で始まったのだった。ははは、はは……始まった場所で終わるとは……出来すぎじゃあないか。
「って、ぅぉぉおお終わってたまるぎゃぁぁぁああああ!!」
「うわっ、何か降ってきたぞ!?」「こ、小判だ! 大判まで混じってやがる!」
「おらぁぁぁ! 拾え、拾え! 数千両はぶちまけた! 拾えば自分のものだぞぉぉぉおおお!!」
私は千両箱の中身をぶちまけて、大声で叫ぶ。眼下の家々から町人が飛び出して、ぶちまけた大判小判を必死に拾い始める。
「こっ、こら! 捕物の邪魔をするか!」「ええいっ! 散れっ、散れ!」
火盗改が野次馬を追い散らそうとするが、大金が目の前に転がっているのに簡単に諦めるやつはいない。その混乱をかいくぐり、私はなんとか火盗改から逃げ出した。
* * *
日付と所は変わって、
「げへへへ、姐さん、姐さん、なんかいい仕事はありやすかねえ……?」
「なんだいあんた、また随分とご無沙汰だったねえ。ずいぶん羽振りがよかったみたいだけど、何してたんだい?」
「なぁに、大したことじゃありやせんよ。そんなことより、何か実入りのいい仕事はありやせんかねえ?」
「ふーん、最近だと白黒将棋の材料に使う材木や板っ切れを集めてくれなんて依頼が多いけどねえ」
「ややや、それだけは勘弁だ! 何か他の仕事はありやせんかい?」
白黒将棋プロジェクトは、儚い夢に終わってしまった。いまから再び、冒険人足としてイチからやり直すのだ。人間、ギャンブルなんかにうつつを抜かしてはいけない。真面目が一番である。
「なんか、こういうことになる気がしてたんですよね……」
コガネちゃんから冷たい視線が注がれている気がするが、そんなことを気にしている場合ではない。私はこの江戸時代めいた異世界で生き残らなければならないのだ。
※博徒:江戸時代には講談などでおなじみの博徒たちがいた。要するにヤクザの原型なのであるが、アウトローがしばしば人気者になるのはいつの時代も変わらないようだ。なおそれぞれの生没年は清水の次郎長(1820-1893)。国定忠治(1810-1851)、黒駒の勝蔵(1832-1871)であり、本作の舞台である1849年に一同に介するのはやや無理があるかもしれない。しかし、「細けぇことは気にすんな!」の精神で引き続きよろしくお願いしたい。
※一両:およそ4000文。先述したが、長屋の家賃が500文だったので8ヶ月分の家賃に当たる。百両、二百両と言ったら一般人からしたら目玉の飛び出る大金である。ちなみに作中の時期に流通していた天保小判の重量は1枚3匁(11.25g)。これを何千両も抱えて逃げ回っていたのだから、カナコの火事場のクソ力は大したものである
※関八州:関東八か国の総称。武蔵、相模、上野、下野、上総、下総、安房、常陸の8つだが、要するに現代で言う首都圏だと思っておけばだいたい問題ない
※火付盗賊改(火盗改):鬼平犯科帳のアレである。1683年に創設。町奉行では手に負えない凶悪犯罪を取り締まった
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