第23話 トリまんじゅうの罠

 満を持しての新商品、トリまんじゅうは江戸を席巻した。

 あらゆる木戸番小屋で取り扱われるようになり、一日の出荷数は万に迫る勢いである。製造が間に合わず、泣く泣く新規受注を断ることもある有様だ。とあるボトルネックが存在するため、増産ペースが思うように伸ばせていないのだ。


「カナコ様、また偽物が販売されておりました」

「ちっ、またか。寄越してみろ」


 秘書の黒服が持ってきたトリまんもどきをふたつに割って中身を見る。本家トリまんと比べると半分以下とさびしい量だ。肉をつまんで味見してみる。うむ、これは本物の鶏肉を使っているな。くくく、こちらが仕掛けた罠に見事に引っかかってくれたようだ。


 罠とは、『トリ・・まんじゅう』という名称そのものだ。食感が鶏肉に似ていることを一言で示すプロモーションの意味合いもあるが、それ以上に重要なのがコピー商品の防止である。現代においても料理のレシピには著作権が存在せず、特許の取得も難しかったが、いわんや江戸時代である。売れそうなものはガンガンパクられるし、勝手に元祖を名乗りだすやつまでいる。大江戸経済はまさしく生き馬の目を抜く厳しい社会なのだ。


 というわけで、トリまんじゅうと命名することにより、具材には鶏肉を使っているはずだとミスリードを誘ったわけだ。事実、いまのところコピー商品のすべては鶏やうずらの肉を使っている。それらはマグロの何倍もする高級食材だ。こちらと同等のボリュームを実現しようとすれば、ひとつ五十文で売っても赤字になるだろう。


 この圧倒的コスト優位こそが、トリまんビジネスのコアコンピタンス競争優位の源泉なのである。


「それからカナコ様、餡がまた不足しそうだと工場から連絡が」

「くっ、作っても作っても足りやしねえ……。いまから作業に入る。調理小屋には誰も近づけるなよ!」

「はっ、かしこまりました!」


 そして、その優位性は肉餡の製法がバレた途端に灰燼と帰す。徹底的な機密保持を図らなければならない。情報漏洩とはいつの世だって人間から発生するものだ。従業員が個人情報や技術情報を持ち出したニュースなど、耳にタコができるほど聞いている。


 では、それをどうやって防ぐのか? 答えは簡単である。


 餡専用の調理小屋に入った私は、ひとりで竈門に火を付け、ひとりでマグロをさばき、油のたぎった大釜にそれを入れ、それからひとりで大豆を潰し、茹で上がったマグロの身をほぐし、おからと混ぜて、調味液で煮込み――


「気が狂うわっ!」


 そう、究極の機密保持とは、レシピを私の頭の中だけに留めることだ。餡づくりの作業は他の誰にも手伝わせない。そうやって、1トン近い肉餡を毎日孤独に作り続けているのだ。


「せめて機械化ができれば……」


 船のかいに見紛うほど長いしゃもじで大鍋をかき混ぜながら考える。混ぜる作業は簡単だ。クランク式のミキサー付きの鍋でも開発すればいい。動力は人力ではなく水力や蒸気機関が望ましいが、ひとまずは人力でも……。


 かたっ、という音で目が覚める。いかんいかん、寝落ちしかかっていた。何か落としてしまったかと鍋の中を探すが何も見つからない。異物混入で評判を落とすなど言語道断だ。いや、待て、さっきの音はどこからした。精神を研ぎ澄ます。集中しろ……集中しろ……。


「そこかぁッッ!!」

「うぐわぁっ!?」


 しゃもじで天井を突くと、天井裏から黒装束の男が落ちてきた。男は空中で猫のように身をひねり、地面に着地する。


「俺様の気配に気がつくとは、大したもんじゃあねえか」

「知るかボケ! 貴様こそ何者だッッ!!」


 しゃもじで何度も打ちかかるが、ひらりひらりとかわされてしまう。この身のこなしは――まさか!


「貴様ッ! 忍者だな!!」

「御名答。俺様の名は石川五右衛門。伊賀流忍術の名人にして、音に聞こえた大義賊とはこの俺様のことよ。巷を騒がすトリまんじゅうの具材の秘密、盗みに来たぜ」

「どこまで見た!」

「残念ながらまだ何にもだ。忍び込んですぐ見つかっちまったからよ」


 思わず安堵のため息が洩れる。煮込みの工程に入ってしまえば原材料は跡形も残らない。こいつが来るのがもっと早かったなら危ないところだった。


「カナコ様、カナコ様、何事ですか!?」

「チッ、人が来たか。居直り強盗ってな俺様の趣味じゃねえ。また来るぜっ!」


 五右衛門が足元に何かを投げつけると、ぼんと弾けて白い煙が拡がった。


「カナコ様、入りますよ!」

「ああ、入ってよろしい」


 黒服と警備の冒険人足たちが小屋になだれ込んだときには、五右衛門の姿は影も形も消え失せていた。


 * * *


 深夜の浦賀港。

 黒船が浮かぶその港で、私は金髪縦ロールの少女と商談を進めていた。


「こんなもの、何に使うんデスの?」

「色々と深い事情があってねえ」

「どうせまたろくでもないことをなんでしょうケド」


 呆れて肩をすくめるのはペルリだ。肩をすくめる動作が堂に入っている。さすがは本場のアメリカンだ。


「ろくでもないなんて嫌だなあ。まっとうな商売だよぉ。ただ、流行りすぎて敵が多いんだ」

「深入りはしまセンよ。とばっちりを受けたくはありまセンの。」

「そうそう、お互いビジネスだからね。不要なことまで知らない方がいいのさ」

「ま、ともかく商品は確かにお渡ししまシタわ」

「ぎひひひひ! これさえあれば……」


 私は荷物を受け取って、世境よざかいのトリまん工場へと帰った。


 * * *


「石川五右衛門参上。今夜こそトリまんの秘密を暴いてやったぜ!」


 私がマグロを捌いていると、天井裏から勝ち誇る声が聞こえた。


「ほう、警備は厳重にしてたんだけどねえ。あれをくぐり抜けるとは大したもんだ」

「ああ、随分と苦労させてもらったよ。しかし、妙に余裕だな。この前の焦りっぷりとは大違いだ」


 捌いたマグロを大釜に移している私に、五右衛門が不思議そうな声を出す。


「いいかい、五右衛門さんとやら。情報でも何でもそうだが、盗んだものは持ち帰らなきゃあ意味がないんだよ」

「ンなもんはあったりめえじゃねえか。お前さんに言われるまでもねえよ」


 私やゆっくりと釜の横に隠したものに手をかける。


「そうかい? 私としちゃあ精一杯のアドバイスだったんだが。いや、冥土の土産に聞かせたところで手遅れだったかね」

「どういう意味……あ、な、なんだそりゃあ!?」

「ぎひひひひ! アメリカ直輸入の最新兵器ガトリング砲さぁ! さあ、こいつも冥土の土産だ! 鉛玉をたんとご馳走してやるよぉ!」

「ばっ!? やめろっ!?」


 十の銃口が回転しながら火を吹くと、天井の一角が粉微塵に吹き飛び、空薬莢が雨のように地面に降り注ぐ。破れた天井から、穴だらけになった丸太が一本落ちてきた。ちっ、身代わりの術か。


「な、なんて威力だ!?」

「おやあ、いまのをかわすとはやるねえ。だが、分速200発の銃弾の嵐からいつまで逃げれるかなぁ?」

「うおおおおおおおおお!?」


 狭い小屋の中を五右衛門が縦横無尽に飛び回る。火線がそれを追いかけ、小屋の壁が、柱が、調理器具が弾け飛ぶ。もったいないが、トリまんの秘密に比べたら安いものだ。


「へっ、ずいぶん風通しがよくなった。おかげさんで逃げやすくなったぜ!」

「ぎひーぎひぎひぎひ! いいよぉ、ネズミちゃん。好きなだけ逃げてみせなあ」

「なっ、今度は何だ!?」


 外に出た五右衛門を出迎えたのは、地面からズモモモモと迫り上がる壁だった。竹と針金で作った有刺鉄線の壁だ。それが複雑に組み合わされ、迷路を構成している。小屋で騒ぎが起きたらこの仕掛けを作動させる手はずになっていた。秘密を守るためには侵入者を防ぐだけでなく、侵入者を取り逃さないというアプローチもあるというわけだ。


「さすがのあんたもこの壁は乗り越えられないだろう? さあ、人生最期の追いかけっこを楽しもうじゃないかぁ」

「く、狂ってやがる!」

「ぎひひひひ! 遺言はそれでいいのかい?」


 ガトリングを乱射しながら五右衛門を追い回す。この私をコケにしたこと、たっぷり後悔させてから地獄に送ってやろう。


「ぎひーぎひぎひぎひ! ほら、もっと早く走れよぉ。追いついちゃうぞぉ」

「くそっ、この迷路、複雑すぎる!」


 複雑なんてもんじゃない。出口など存在しないのだ。さらに寄せ場で雇った陰陽師崩れに八門遁甲を応用した設計をさせている。ガトリングに追われながらのパニクった脳みそでは、対策など何も思い浮かびまい。


 そうしてのんびりと追いかけること約一刻2時間。袋小路に入った五右衛門が、でんと地面にあぐらをかいた。


「ぎひーぎひぎひぎひ! いよいよ諦めたのかい? 案外意気地のない男だねえ」

「けっ、この男五右衛門。みっともねえ真似はしねえ。死ぬときゃあ桜みてえにスパッと散るって決めてんだ。さあ、ズバッとやってくんな」

「ぎひひひひ! それならお望み通り、つま先からじっくりミンチにしてあげるねえ」

「あ、悪魔かよ……」


 私がガトリングのクランクに手をかけた、そのときだった。


「御用だ! 御用だ、御用だ!」

「へっ?」


 有刺鉄線の迷宮の向こうに、御用提灯の赤い群れが透けて見えた。


「げえっ!? 火盗改!? なぜこんなところに!?」

「そりゃ、あれだけ派手に銃声を響かせりゃ駆けつけるだろうよ……」


 かくして私は五右衛門とともにお縄になり、ガトリング砲はお上に没収され、騒ぎの原因となったトリまんじゅうのレシピは江戸市中に広く公開されることとなった。


 私は被害者なのに……なぜだ。


 * * *


 日付と所は変わって、世境よざかいの冒険人足寄せ場である。花魁めいた色っぽい頭目に、どうにも薄汚れた格好の少女が手でごまをすりながらすり寄っている。私だ。


「げへへへ、姐さん、姐さん、なんかいい仕事はありやすかねえ……?」

「なんだいあんた、また随分とご無沙汰だったねえ。ずいぶん羽振りがよかったみたいだけど、何してたんだい?」

「なぁに、大したことじゃありやせんよ。そんなことより、何か実入りのいい仕事はありやせんかねえ?」

「ふーん、最近だとトリまんじゅう作りの人手が足りないから手伝ってくれって依頼が多いけどねえ」

「ややや、それだけは勘弁だ! 何か他の仕事はありやせんかい?」


 人間には本分というものがある。料理人でもないのに料理の仕事に携わるなどおこがましいにもほどがあるのだ。やはりこの世界に来てはじめについた仕事、冒険人足稼業こそが私の天職なのである。


「なんか、こういうことになる気がしてたんですよね……」


 ひとつ八文にまで値下がりしたトリまんにかぶりつきながら、コガネちゃんが冷たい視線を向けてくる。しかし、そんなことを気にしている場合ではない。私はこの江戸時代じみた異世界を強く逞しく生き抜かなければならないのだ。




※ガトリング砲:史実では1861年の発明である。発明者はアメリカの発明家リチャード・ジョーダン・ガトリング。本名の時点ですごく強そうである。これがもしポニョリータさんの発明だったらポニョリータ砲と呼ばれていたのだと思うと、歴史の偶然とは実に面白いものである。

※有刺鉄線:こちらは1865年、フランスでの発明。針金さえあれば制作は容易なため、カナコが一足先に作ってしまった模様。

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