第15話 亀の恩返し
風に混じるわずかな潮の香り。青空にはぴーひょろろとトンビが円を描いている。広い通りを着飾った女や洒落た服装の町人が所狭しと行き来していた。派手な着物で肩で風を切って歩く侍は
「あ、カナさん、あっちに見世物小屋があるそうですよ」
「へえ、ちょっと覗いてみようか」
品川宿は、江戸一帯でも有数の歓楽街なんだそうだ。ぶつからずに歩くのが難しいほどに人通りがある。人混みをかき分けて進むコガネちゃんのふさふさした尻尾を追いかけていると、板塀で囲まれた場所についた。木戸銭を支払って中に入ると、むわっとした獣臭さに襲われる。
「へー、江戸時代に動物園なんてあったんだ。あっ、孔雀だ」
「わあ、七色で綺麗ですね!」
まず出迎えてくれたのは極彩色の尾羽根が美しい孔雀だ。竹でできた檻に入れられており、その周りでは縁台に座った若い男女が酒を片手に雑談に花を咲かせている。
「わっ、ラクダもいるよ」
「背中にコブがあるなんて、不思議な生き物ですねえ」
ボリボリと大根を食むヒトコブラクダを、コガネちゃんが物珍しそうに見ている。私的にはケモ耳にしっぽ付きのコガネちゃんもじゅうぶん不思議生物なのだが、それは今更言いっこなしだろう。私に至っては二百年後の未来からやってきた異世界人だ。珍獣具合ではある意味群を抜いているかもしれない。
他にも「ラッシャイ! ラッシャイ!」と鳴くカラフルなインコやら、小銭を放ると拍手をするオットセイ、お次は虎……という看板は出ているが、あの斑模様はどう考えてもヒョウだよなあ。まあ、見物人は本物の虎なんて見たことないだろうし、そのへんは客受け優先で適当なのだろう。これが江戸っ子精神である。今後も見習っていこう。
そんな感じで眺めていたら、ひとつの立て札が目に入った。
「ほう、『珍しい生き物、買います』か。カッパは売れるかなあ?」
「ダメですよ!?」
高く売れるなら白餅カッパどもを捕まえてこようと思ったら、コガネちゃんに速攻で釘を刺されてしまった。仕方がない、カッパを売るのは諦めよう。
「一通り見終わったし、今度は海にでも行こうか」
というわけで、私たちは見世物小屋を後にし海へと向かった。
* * *
「やぁい、やぁい! のろまカメー!」
「どーしてそんなに遅いのかー」
「ほーら、悔しかったらひっくり返ってみろよう」
海岸に着くと、砂浜で子供が集まって何やら騒いでいた。何か面白いことでもあるのかとそちらに行ってみる。すると、ひっくり返ったウミガメがじたばたともがいていた。あっ、カメと目が合った。つぶらな瞳をしてやがる。
「と、通りすがりの方、お助けください! 悪ガキどもに悪戯さられて難渋しているのです!」
「あ、しゃべった」
この世界ではウミガメも喋るのか。
「しゃべるカメなんて気持ちわるー」
「でーものーろまー」
「ほーら、ひっくり返ってみろよう」
あ、しゃべるのって珍しいんだ。ってことは……
「あー、きみたちきみたち。生き物をいじめるのはよくないよ」
「なんだよブース! 関係ないやつは引っ込んでろよー」
「誰がブスだぶっ転がすぞクソガキがっ!」
「うぎゃー!?」
足元の砂を蹴り、悪ガキ共の目を潰す。そしてびびびびーんと頬を叩いてやった。
「あ、頭のおかしい女が来た!」
「逃げろー!」
「うわーん! お前自身がでーべそー!」
「誰がでべそだ煮込みにして食っちまうぞ!」
「うわーん! 鬼婆だー!」
悪ガキどもが砂浜を駆けて逃げていく。ちっ、私は借金取りから時価数千万で売れるとお墨付きを得た美少女だぞ。言うに事欠いてでべそだの鬼婆だの何なんだまったく。一生非モテの呪いをかけてやろうか。
クソガキどもに念波を送っていると、足元から「ありがとうございます、助かりました……」と弱々しい声が聞こえてきた。あっ、本題を忘れるところだったぜ。
「よっこいせっと」
「あ、しかも担ぎ上げてくださるとは。大丈夫です、そのまま下に置いていただければ自分で……えっ、ちょっ、そっちは陸の方なんですけど。自分、海の生き物なんですけど?」
「しゃべるウミガメかあ。いくらで売れるかなあ。まあ、安かったら鍋にして夕飯にすればいっか」
「は!? えっ!? ちょっ、助けてくださったのでは!?」
誰が見ず知らずのカメなど助けるものか。しゃべるカメが珍しいならさっきの見世物小屋に売ろうと思っただけだ。窮地に誰かが助けてくれるなど、白馬の王子様に憧れる少女でもあるまいし甘い考えを持つものじゃない。
「ちょっ、えっ!? 本気ですか!? 少しは話を聞くとか、そういうのないんですか!?」
「うん、話ぐらいは聞いてあげるよ」
「それなら足を止めません!?」
「だって、得な話じゃなかったら時間の無駄だもん。それにいくらで売れるか見積もってもらわないとどっちが得かもわかんないし」
「この人何なのぉ!?」
「カナさん、さすがに話くらいは聞いてあげましょうよ……」
コガネちゃんがドン引きしている。仕方がない、話くらいは聞いてやるか。ウミガメを砂浜に下ろしてやる。
「さて、このカナコ様の貴重な時間を使わせようっていうんだ。半端な話だったら……わかってるね?」
「こ、こんな高圧的な恩返し要求……万年生きてきて初めてだ……」
にちゃあと微笑む私に、ウミガメが震えている。
「へいへい、こうしている間も時間は過ぎているんだ。時は金なり、タイムイズマネーだ。ほら、三十秒以内にお礼とやらを話したまえ。残り十五秒だ」
「下ろした瞬間から数えてる!? こ、このお礼はいつか必ず――」
「ぶっぶー、不合格! いつか、いつかなんて言葉は聞き飽きてるんだよう。そんなセリフを吐くやつは、絶対に何もしない。行動するやつは、いますぐやるか、期日をはっきり約束するもんだ。いつかいつか、明日やろう明日やろうの連続で先送りを続け、何もなさないままの人生を死ぬまで過ごすんだ。そういえば、さっき君は万年生きたと言ったね? 万年生きても砂浜でひっくり返って悪ガキごときにいじめられているその醜態こそが、端的にきみの『いつか』が当てにならないことを表しているんじゃないかなあ」
「そこまで言います!?」
「えっと、カナさん。ウミガメさん、泣いてますよ……」
おお、カメが泣くのは産卵のときだけじゃなかったのか。ますます希少性が高まったな。
「わかりましたから! それなら今から竜宮城にお連れしますよ!」
「竜宮城ぉ~? 海底にあるってやつだろ? どうせ途中で窒息して辿り着けないってパターンだろ? 土産物もトラップ付きだなんていただけないねえ。だいたい、礼を受け取る方から出向くってのも納得がいかないねえ。クレームなんかのお詫びで菓子折りを渡すとしてさあ、相手を呼びつけるやつなんている?」
「窒息なんてしませんから! 行くのもぜんぜん手間じゃないですから!」
ウミガメが前びれで砂浜をぱたーんと叩いた。すると、遠くから「ごごごごご……」と海鳴りが聞こえてくる。
「む、なんだこの音?」
「すごい霊力が近づいてきますよ! 海の方からです!」
コガネちゃんが指差す方を見てみると、海の一部が盛り上がり、津波のように迫ってくる。地面がぐらぐら揺れる。そして盛り上がった水面が海岸まで迫り、目の前でどっぱーんと割れる。浜辺に押し寄せた波が、足首まで濡らしていく。
「龍宮城までは、これでお連れしますから!」
ずざざざざざーんと海から姿を表したのは、透明な半球を背負った、下手な旅籠なんかよりも大きい海亀だった。
※品川宿:鎌倉と江戸(東国)をつなぐ交通の要所として江戸時代以前から栄えていた。遊郭が有名だが、吉原と比べて管理は甘く、風紀の乱れを懸念した幕府が何度も規制を試みたが大抵上手く行かなかったらしい。江戸っ子のフリーダムさが一番。ペリー来航がきっかけで埋め立てが進んでしまったが、かつては遠浅の海で潮干狩りの名所でもあった。
※見世物小屋:江戸中期頃から、海外から取り寄せた様々な動物を見せる見世物小屋が登場した。八代将軍徳川吉宗に献上されたゾウはとくに有名だろう。このゾウは、後に民間に払い下げられ見世物として大変な人気を博したらしい。
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