第8話 一文寿司大作戦

「い、一文寿司……ですかい? そりゃどういうこって?」

「こういうこって」


 私は大将から包丁を借りると、作りおきの寿司を十文字に切り分けた。


「いっちもーん! いっちもーん! 一文寿司だよぉ~! ひと口、お手頃、お蕎麦や天ぷらそのあとに。お腹にちぃと隙間があったら、一文寿司はいかがでえ! ナウなヤングに大流行おおはやりの一文寿司でえ!」


 私が適当な口上を叫ぶと、そのへんの屋台で食べていた人々がわらわらと集まってきた。


「おい、嬢ちゃん。寿司が一文ってほんとかい?」

「ホントも本当。正真正銘一文だい。江戸っ子ならしゃらくせえこと言ってねえで、黙って食いやがれってんだ!」

「しかし、ちっちぇ寿司だねえ」

「かーっ! 旦那は立派に見えて粋ってもんがわかってないねえ。あんた、蕎麦は喉で味わうって言うだろう? つるーってやってごっくんだ。無駄にもぐもぐ噛んだりはしねえ。これが江戸っ子の粋ってもんよ。そこをいくとどうだい? 寿司を食うってなりゃもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐ……あーっ、みっともないったりゃありゃしない。そこへ行くってえとどうだい? この寿司は。パクっていってゴクッてもんだ!」


 私はこれみよがしに四つ切りにした寿司を手に取り、一気に食べてみせる。うむ、うまい。本当ならもっと味わいたいものだが、まあ仕方がない。


「ひゃあ、美味いねえ。こりゃあ粋だねえ。これがわからねえやつぁとんだ唐変木だ」

「ぐっ、お、おいらにもひとつ寄越せや!」

「ははっ! たった一文だ。そうイキりなさんなや。好きなだけ食ってくんな」

「はっ! これでまずけりゃ醤油壺にしょんべんひっかけてやるからな! ……んぐんぐ、おっ、こりゃうめえ」

「こっちに新しいネタもあるぜえ。ここでしか食えねえ上物じょうもんだ」

「なんだこりゃ? なまっちろくて気味が悪りぃな」

「なんだいもう、情けないねえ。いい大人がこれこれはどちらの産のなんとかという魚でございます。なにがしという漁師が漁りまして……なんてトレーサビリティ満載の説明をしなくっちゃあ恐ろしくって喉も通らないってのかい? ああ、情けねえ情けねえ。世境よざかいもギリギリ江戸の端って聞いたが、こいつぁおいらの空耳だったみてえだ」

「何だこの野郎! いや女郎めろう! おいらぁ三代前から生粋の江戸っ子でい! こんなもんにビビるかよ!」


 ってなもんで口八丁。煽れば煽るほどに注文が入る。最初のうちは男どもばかりだったが、だんだんと女衆も増えてくる。


「やあ、姐さん。綺麗な口紅だねえ。女の私でも見とれっちまうよ」

「やだねえ、この娘は。おぼこだろうに一丁前の口を聞いて。女の化粧なんて褒めるもんじゃないよ」

「ややや、こりゃ失礼を。化粧を落としたらまぶしくって見られなくなっちまいそうで、つい化粧を褒めちまったもんで。このトロみてえに綺麗なお肌なべっぴんさんなもんだからさあ」

「まあ、お上手ねえ。じゃあ、そのトロってのをひとつもらおうかい」

「へい! きっちり一文で! コラーゲンたっぷりで姐さんの美肌に磨きがかかりますぜ!」

「なんだかわからないけど、こりゃ食べやすくって美味しいねえ。でも少しさっぱりしたいもんだけど」

「へいへい、コハダは二文でやすよ」

「じゃあ、それをもらおうかい」


 そんなこんなでパクパクパクパク。小さい食べ物ってのは噛む回数が少なくて済むから満腹になりづらい。おまけに酢飯の酸味が食欲を刺激する。普段食の細い人でも回転寿司に行くとついつい食べ過ぎちまうってのはこういうからくりなんだよなあ。


「ってなもんよ、どうだい大将?」

「すげえ……あっという間にネタが切れちまった……」


 圧倒的な売れ行きに、大将が目を丸くしている。そう、これが現代知識チート。薄利多売の術である。まあ要するに一皿百円の回転寿司の江戸時代バージョンだ。ひとつひとつは安いから、ついついもうひとつ、もうひとつと頼んでしまう。気がつけばお会計は数千円に膨らんでいるって寸法だ。


 さらに、女性向けの需要をがつっと掴めたのも大きい。このあたりで夜食を食べているお姉様方はみんな厚化粧で、夜のお仕事についていらっしゃる感じであった。大口を開けて寿司など食べていたら、食後の化粧直しが大変だろう。しかし、四分割することでさっとひと口で食べられるようになったのだ。


「ってわけでだね、大将。こいつを本腰入れてやらないかい?」

「へっ、へい!」


 こうして、ホームレスJCによる江戸時代寿司屋のプロデュースが幕を開けた。お江戸八百八町の寿司業界を支配する覇道の第一歩を踏み出したのである。


「なんだか嫌な予感がするんですけど……」


 コガネちゃんが何やら不吉なことを言っているけれども、それは聞こえなかったことにする。


 * * *


「ぎひーぎひっぎひっぎひっ! こいつぁ儲かって儲かって笑いが止まらないねえ!」


 あれから数週間、一文寿司屋台は十数軒に増え、世境よざかいの外にも進出していた。遠くは江戸の中心地、日本橋や浅草にまで支店網を広げている。寿司を四つ切にして一口サイズにするという工夫はすぐに他店に真似られた。


 しかし、我々のコアコンピタンス競争優位の源泉はシモフリウサギによる冷蔵輸送網だ。シモフリウサギに多額の懸賞金をかけ、寄せ場を通じて何十羽も確保している。これは寿司職人なんていう冒険人足稼業なんてものからは程遠い人間にはそうは真似られない。


 帳場で金勘定をしながらぎひぎひ笑っていると、心配顔の大将がやってきた。


「カナコ姐さん、こんな調子で店を増やしていったら職人の数がとても間に合いやせんぜ」

「ぎひぎひぎひ! そこはぬかりなしよ。この新兵器を見てくんな!」


 私が取り出したのは、格子状に組み合わせた木枠だ。こいつに米を押し込めば、素人でも決まった量のシャリが握れる。こいつにネタを乗っければ、それだけでお寿司の完成ってわけだ。これも現代知識チートだ。こうやってシャリを作る店は珍しくない。


「し、しかし、これじゃ職人の仕事が……」

「ぎひひひ! どうせトーシローにゃ握りの違いなんてわかりゃしねえんだよぉ! 二百年後の未来にゃな、寿司からネタを引っ剥がして刺し身だけ食ってる阿呆までいやがるんだぜ?」


 こちらの優位はネタの鮮度なのである。他の部分で勝負する必要もないのだ。ネタを酢締めにしたり、蒸したり煮たりする必要もない。ほどよい大きさの酢飯に、ほどよい大きさの刺し身が乗っかっていれば寿司という食べ物の最低限は成立するのだ。


「というわけで、こういうものも作ってみました」

「こ、こいつぁいくらなんでも外道が過ぎますぜ!?」

「ぎひーぎひぎひぎひ! 何が外道なもんかい! 舌馬鹿の阿呆共にはどうせ違いなんかわかりゃしないんだよぉ!」


 私が取り出したのは、シャリ用と同じサイズで作った刃物の格子だ。見た目は裁断機に似ている。こいつをがっちょんと下ろせばひとつ分の握りのネタがワンタッチではい完成ってなわけだ。これで包丁修行なんかも要らなくなる。


「こ、こんなんを使ったら切っつけがガタガタで、ひでえ刺し身になっちまいますよ!?」

「ぎひーぎひぎひぎひ! 何度言わせるつもりだい! 舌馬鹿の阿呆共に、どうせ味の違いなんかわかりゃしないんだよぉ!」


 世界の正義は効率だ。効率さえ優れていれば大抵のことはなんとでもなるのだ。妙なところで職人の気概的なものを見せられても困るのだ。


「あのう、カナさん? シモフリウサギの牧場の方からも苦情が上がってまして……」

「ああン? なんだってんだい?」

「周辺の気温が下がって、農作物の育ちが悪くなってるとか……」

「そんなのは知るかい! 適当に銭喰らわせときゃあ黙るだろ!」

「はっ、はい!」


 秘書を勤めてくれているコガネちゃんが時折クレームを上げてくるが、基本的に大した話ではない。そんな具合で、我々の一文寿司事業は至って順調である。世が世なら、このまま東証一部上場も夢ではないだろう。


 だが、私が気がついていなかったのだ。やつら・・・の凍りつくような冷たいまなざしを……。




※一口サイズのお寿司:すでに本編で述べたことであるが、江戸時代のお寿司はひと口ではとても食べられないほど大きかったらしい。それを2つ切りにし、食べやすい工夫をしたのが現代握り寿司の祖と言われる華屋与兵衛である。この世界では、現代知識チートを用いたカナコに先を越されてしまったようだ。

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