第21話 木戸番ホットフード

「腹が……減った……」


 冬である。せんべい布団の隙間から冷たい空気が入ってくる。横ではコガネちゃんが自前のふさふさ尻尾を抱きながらすやすやと寝息を立てていた。セルフ暖房付きとはケモミミ巫女とは完成度の高い生命体だ。


 寒い上に空きっ腹となるとおちおち眠ってもいられない。行灯から油を取って鍋に塗りつける。小麦粉を取り出して適当に水で伸ばす。そして醤油を垂らして適当に味をつける。開国のおかげで小麦はすっかり安くなった。最近では蕎麦だけでなく、うどんの屋台も出るほどだ。


 熱した鍋に水溶き小麦粉を垂らすと、じゅうじゅうぶくぶくと香ばしい匂いを発する。それを菜箸でこそぎ取りながら食べる。超簡単もんじゃ焼きである。しかしこれは――


「まずい」


 出汁も何も入っていない代物だ。小麦粉と醤油の味しかしない。そして魚油の香りが生臭い。おまけに具材もないものだから腹にもたまらない。余計に腹が空いてきてしまった。


 遠くでコーンと拍子木の音がする。誰かが木戸を通ったのだろう。江戸の町は案外夜が早く、夜四つ(午後10時頃)になると町ごとに区切られた木戸が閉じられてしまう。別に通行不能になるわけでなく、木戸番という住み込みの係員に許可を得れば通れるのだが、江戸時代の人というのは随分と面倒くさい仕組みを作り出したものだ。


「ちょっと行ってくるか……」


 しかし、木戸番があるのも悪いことばかりではない。長屋の引き戸をすっと開けて、夜の町に出る。吹き付ける風が冷たい。首をすくめて小走りで駆け出す。乾いた風が身にしみる。通りの先に、木戸に掲げられた赤提灯が見えてきた。


「こーんばーんわー」

「おう、人足長屋の嬢ちゃんか。今日は何の用事でい?」

「焼き芋、ふたつ頂戴」

「あいよ。ふたつで八文だ」


 木戸番のおっちゃんから蒸したサツマイモをふたつ受け取る。夜四つを過ぎると飲食店で火を使うことは禁止されているが、木戸番だけは例外である。江戸の夜は冷え込むから、火を使わずに毎晩見張りをしろというのも酷な話だと思われたのだろう。江戸時代の労務環境は思ったよりもホワイトである。


 そして、深夜でも火を使えるという特権を活かし、こういう温かい食べ物を売っているというわけだ。令和日本で言うならばコンビニのホットスナックと言うところだろう。肉まん、あんまん、おでんに唐揚げ。それらはもはや日本人のソウルフードと化したと言っても過言ではない。


「んん、おかえりなさい。なんだかいい香りがしますねえ」

「はい、お土産」


 焼き芋をもふもふかじりながら長屋に戻ると、コガネちゃんが鍋に残ったもんじゃ焼きの残り滓を舐めていた。その姿はもはや化け猫である。焼き芋をひとつ渡してあげると、一心不乱にかじりついた。


「ああ、ひさびさに肉まんが食べたいな」

「肉まんってなんですか?」

「ふかふかに焼いた小麦粉の生地の中に、お肉の餡が入ってるお饅頭だねえ」

「へえ、それはおいしそうですねえ」

「お肉さえあれば案外簡単に作れるんだけどね」


 小麦粉が安価に手に入るようになったことで、肉まんの生地くらいなら簡単に作れるようにはなっている。しかし、問題は中身の具材だ。牛肉なんてほぼ手に入らないし、豚肉も高くて手を伸ばしにくい。どうも江戸時代の人々は食肉用に家畜を増やすという発想に至りづらいらしいのだ。かつてシモフリウサギを飼う牧場を作ったが、あのときも周辺の農家さんからは変な顔で見られていたことを思い出す。


「鶏はいっぱいいるんだけどなあ」


 うちにはいないが、長屋の裏庭で鶏を飼っている人も珍しくない。しかし、これらも食べるためではなく観賞用のペットという位置づけらしい。卵は食べるが、品種改良が進んでいないので令和日本のように毎日ひとつずつ律儀に生んでくれるというわけでもないようだった。


「せめて鶏肉が安ければなあ」

「そんな贅沢を言ったって始まらないですよ」


 そう、比較的手に入りやすい鶏肉も高いのだ。じゅうじゅうじゅわじゅわの唐揚げも食べたいが、なかなか気軽に作れるものではない。安価な肉といえば魚しかないのが江戸時代なのである。江戸っ子に寿司が好まれたのも、不足しがちな動物性タンパク質を無意識に求めた結果なのかもしれない。


「お肉……お肉が食べたい……」

「もう、そんなことばっかり言って。明日も早いんですからきちんと寝てくださいね」


 焼き芋を食べ終わったコガネちゃんが布団をかぶって早くも寝息を立てている。肉まんも唐揚げも食べたことがないからこんな淡白な態度でいられるのだろう。飽食の時代を体験してしまった我が身が恨めしい。


 とはいえ、働かなければ食えなくなるのは世の道理である。私も布団に潜り込み、きちん・・・と眠ることにする。


「きちんと寝ますよ。きちんとね。明日も朝からマシラオニを狩りますよっと。……って、きちん・・・?」


 そのとき、私の灰色の脳髄に電流が走った!

 きちんきちんきちんきちんきちん……チキン! そうだ、あれを使えばチキンが再現できるじゃないか!




※行灯の油:魚油、あるいは鯨油だった。油を取るために使われた魚の搾り滓は肥料として農家に販売されていた。化け猫が行灯の油を舐めるという話を不思議に思った人は多いかもしれないが、江戸時代の行灯は食用油で灯されていたのである。

※サツマイモ:十八世紀半ば、蘭学者の青木昆陽によって広められたと言われる。埼玉県川越市が名産地であり、そこが江戸から十三里ほどの距離だったため、「栗(九里)より(四里)うまい十三里」などと言って売っていたと言う。

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