辛い時は、耐えるよりも頼りたい(5)

 試験最終日を無事にこなして帰宅すると、玄関が開く音に気づいてだろう、深沢さんが珍しく顔を出しぎこちなく「お帰り」と言ってくれた。

 僕は少し驚きつつ「ただいま」と返し、自然と、彼女を見てしまう。


 ゆったりとした紺の長袖に、チェック柄のズボン。

 着飾ってはいないがリラックスしてる感のあるルームウェアに、昨日よりだいぶ血色のいい顔つき。

 まだ少し暑苦しそうではあるものの、昨日よりは大分良さそうだ。


 ……という姿を僕に確認して貰うために、リビングで待っていたのかもしれない。


 彼女が、僕の手元に下げたコンビニ袋に気づく。


「あ。……葉山君、今日も買ってきてくれた? もしかして」

「まあ、うん」


 悪化した時のために、と、インスタントのうどんやプリンを買ってきてしまった。

 まあでも、別に無駄になるものではない。


「プリンは冷蔵庫に入れておくんで、深沢さん適当に食べてください。カップうどんは食品棚に置いておきます」

「ん。まだちょっと喉が痛いから、後でもらうね」


 袋の中身を冷蔵庫と食品棚にわける。その後、昼食用の唐揚げ弁当を抱えて部屋に戻ろうとして――リビングのソファに腰掛けていた深沢さんが妙にそわそわと揺れていたので、足を止めた。

 ん? と顔をちょっと向けると、彼女はお伺いを立てるように覗き込んできた。


「それで、葉山君。試験は……」


 僕は軽く笑って、親指を立てる。

 深沢さんが、明らかにほっとした息をついた。


「よかった」

「まあ、まだ採点返ってきてないから分からないけど」

「そ、そうだったわね。ミニゲームみたいに、その場で成績発表とかないものね」

「でも手応えはあったと思う。マークミスとか回答欄のズレとかなければ、かな」


 ただ、ケアレスミスがないかも今回は二度確認した。

 結果が良ければ、深沢さんのお陰だろう。……とまでは、恥ずかしいので言わないけど。


「じゃあ、ゆっくり。今日は僕もゆっくりするので」

「ん」


 彼女も病み上がりだし、僕も試験明けでゆっくりしたい。

 あとは自由に過ごしましょう、と、僕らは言葉を挟むことなく自然に別れた。


*


 それから数時間たっぷり物語とゲームの世界に浸り満足し、現実に戻るとメッセージが届いていた。


『やっぱり何か、お礼をさせて欲しいの』


 お礼をされる程のことでは……。

 と思うのだけど、僕はともかく彼女の側としては、お礼をした方が気が晴れるのだろう。

 借りを作ったまま、というのは、心の収まりが悪い。


 ただ、じゃあ彼女に何かを要求するか? と言われると、特に思いつかなかった。

 本を借りる約束は既にしたし、ほかに金銭的なものを要求するのも気が引ける。


 うーん。これは逆に難題かもしれない。彼女に負担をかけすぎず、けれど彼女の気が済むもの……

 と、考えこんでいる間に先手を打たれた。


『それでね。葉山君って、好き嫌いとかある?』

『え。とくにないけど』

『普段、コンビニ弁当よね』


 その切り出し方で、予感はあった。


『あのね。余計なお世話だったら、言って欲しいんだけど……もし葉山君が嫌いじゃなかったら……お弁当のお供に、味噌汁、作りましょうか』

『味噌汁?』

『ちゃんと小鍋で作るやつ。インスタントの袋切って、はいコレ、はしないから』

『その心配はしてないけど……』


 そこまで疑うほどひねくれてはいないが、僕としてはつい別の意味を勘ぐってしまう。

 彼女に他意はないのだろう。

 けど一つ屋根の下で、同居してる子に味噌汁を作って貰うというのは、世間一般で考えると別の意味で捉えられそうな気がしなくもない。


 ……いや。それは僕がラブコメに精通しすぎてるせいか。

 深沢さんは純粋なお礼として、僕に一品用意したいのだろう。


『ごめんね葉山君。本当は夕ご飯一食ぶんも考えたんだけど、その。いきなり晩ご飯作る女って、重いっていうか気持ち悪いっていうか。毒でも入ってるかと疑われそうかなって』


 そこまでは考えないけど。

 ただ確かに彼女のいうとおり、いきなり夕食一式は僕の感覚でも、申し訳なさが先に立った。

 そう考えると、味噌汁のみ、というのは丁度いいのかもしれない。


『じゃあ、味噌汁。一回だけでいいから、お願いしてもいいかな』

『了解。でも今日は遅いから、明日ね』

『ありがと』

『嫌いな野菜、ある? 豆腐とネギ、厚揚げあたりだけど』

『大丈夫。……あー、えっと』


 反射的に打ち込んで、余計なことを口走ったかと止めた。

 何でもない。そう返そうとして、けど今さらだなと思い、指を滑らせる。


 あまり、苦手なものを他人に知られたくはない、けれど。

 まあ、深沢さんなら。


『……しいたけとか、イカは苦手かも。かみ切れないのは得意じゃなくて』

『ん』


 深沢さんが了承のスタンプを返した。よかった、笑われなかった。

 スマホを閉じ、味噌汁か、と頬杖をついて一息つく。


 ……よくよく考えると、不思議なことになっていた。

 同居を始めて、はや三週間。

 お互いに距離を取りながら過ごそうと決め、実際に顔を合わせる機会は殆どないのに、彼女にちょっとしたご飯を作って貰うという。


 妙なのは、それを僕自身がそこまで不快に思っている訳ではない、ということだ。

 普段の僕なら、たとえばクラスメイトに何か作ってあげると言われたら絶対に遠慮する。お菓子ですら断る。

 相手に変な貸しを作りたくないというのもあるし、それにもし口に合わなかったら申し訳ないというか、感想を言いづらいし、関係性を破綻しかねないからという意識もある。


 けど、深沢さん相手には不思議と、そこまでの警戒心が働かない。

 単純に、これは風邪の看病のお礼だからという建前もあったが、それ以外の何かがある気もする。

 いやむしろ――僕は案外、彼女の味噌汁を楽しみにしている可能性すら、あるかもしれない。


 もちろん頂くのは今回一度きりだ。

 彼女に余計な負担をかけたくないし、今回の件を機にずるずると何となく、なんて形には絶対にしない。

 あくまでお返し、バレンタインの義理チョコに対して返礼を送るようなもの、と僕はなぜか自分に言い聞かせるように妙な理屈をこねていると、そんな心境を見透かすようにふるりとスマホが震えた。


『聞き忘れたけど、アレルギーとか大丈夫? 大切なことだから、遠慮しないで言ってね』

『特にないよ』

『わかった』


 相変わらず丁寧だな、と微笑んでると、続けて返事がきた。


『適当に作るから、あんまり期待しないで。あ、その、予防線的なものじゃなくて、本当に適当だから』

『まあ、気合いを入れて作られても僕も困るから、本当に軽くていいよ。マナーにうるさい高級レストランより、気楽に入れる牛丼屋のほうが美味しかったりするし。そういう感じ……っていうと、失礼かな』


 それくらい気楽な方が、ハードルが低くていい。

 という意味で伝えたのだけど、もしかして悪口に聞こえただろうか?


 と、僕が密かに焦っていたのだけど、彼女の返事はまた全然違うものだった。


『つまり家庭的なのが好み、ってことかしら……?』

『うj、うん。まあ』


 そうだけど、その言い方は、ちょっと。

 余計な勘ぐりをしてしまいそうな単語に聞こえるが、深沢さんのことだから素で口にしたんだろう。


 彼女ってときどき無防備だよなあと思いつつ、なぜか、気恥ずかしくなるのは自分の側であり、僕は誤魔化すようにそっと後頭部を掻いた。


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