距離は取るけど、趣味が近いところは仲良くしたい(2)
ぱさり、と本の擦れる音で目を覚ます。
座椅子から顔を上げ、目を細めると眩しい朝日がカーテンの隙間から差し込み、頬を照らしているのが見えた。
「しまった……」
がりがりと寝癖を掻き、胸元に置いていた小説を机へ戻す。
昨晩は、深沢さんから借りた『蒼穹のフリージア』原作漫画を全巻読んでしまった。
アニメ化された部分の先が面白すぎて、つい、のめり込んでしまったのだ。
その勢いのままノベライズ小説を読み始めた途中で寝落ちし、今に至る。
まあ日曜の朝なので、早起きする必要はないのだけど。
……と、目頭を押さえて眠気を払い、トイレついでに部屋を出て。
「……あ」
朝食代わりのココアを口にしていた深沢さんと、ぱちりと目が合った。
瞬きをしたのはお互い様。
僕が学校に行く時間だと、深沢さんが起きていることはなかったため、朝から彼女がダイニングテーブルに腰掛けている姿には妙な新鮮さがあった。
何となく、まじまじと見てしまう。
無地の白長袖に、ゆったりめな緑のズボン。
今日はめずらしく明るい色合いの服だなと思いつつ、彼女のもつ重ためのボブカットとは妙にアンマッチで、けど、何だか様になっている。
深沢さんって、どんな服を着てても図書館の隅で読書をしてるほうが様になってる気がするなぁ。
なんて、寝ぼけた頭で失礼なことを考えていると――
深沢さんが頬杖をつき、ほんのりとニヤつきながら、僕に笑いかけてきた。
「服」
「え」
「葉山君も、そういう服で出てくるのね」
言われて自分を見下ろし、かあっ、と全身が熱を持った。
しまった。油断していた。
寝落ちした格好そのまま――いつもの水色のパジャマ姿で、彼女の前に出てきてしまった。
すみません、と僕は急ぎ部屋に戻り、慌ただしく上下を脱ぎ捨てた。
外出用でもある紺のTシャツといつものズボンに着替え、言い訳がましく扉を開くと、深沢さんはまだのんびりココアを口にしつつ僕を見てくすくす笑う。
「別に、着替えなくても良かったのに……」
「いえ。礼儀というものがありますから。すみません」
「男の人がパジャマを見られても、べつに恥ずかしくない……っていうのは、偏見かしら。ごめんなさい」
「偏見、というより僕が恥ずかしいんで」
「でも私だって見られたんだし、お互い様だと思う……」
深沢さんの眉が上がり、黒髪を流すようにいじる。
先日の寝癖のことを言ってるのだろうが、あれは深沢さんが寝起きだから愛らしいのであって、男の自分がパジャマのまま出てくるのは単に不衛生なだけだろう。
と、いくら語っても言い訳にしかならない。
居心地悪く、けど今から部屋に引っ込むのも違う気がして、僕は最初の予定通り冷蔵庫からお茶を出した。
レンジで温めた後、深沢さんの斜め前に腰掛けつつ、口をつける。
対面に座らないのは、真正面で目を合わせたら「何か喋らなければ」という焦燥感に駆られる気がしたからだ。
その意図を、彼女もすぐに察する。
先程パジャマを弄ったのを最後に、話題には触れてこず黙っている。
元々、僕らは顔を合わせても、喋ることがなければ話をしない。
僕は朝のルーチン通りにスマホを取り出し、彼女も机上のスマホを触り始めた。
朝九時。
二人で初めて迎えた休日の朝は、会話もなく、けれど窮屈な感じもなくゆるりと過ぎていく。
その空気がいいんだよな、と僕は密かに思う。
そうして少し時間が経ち、空になったカップを置くと、深沢さんがそっと手を差し伸べてくれた。
「コップ、洗っとくけど……」
「ああ。えと」
「それくらいなら、べつに、いいかな、って」
今さら遠慮するのも、逆に気を遣わせすぎるかと思い、じゃあ、と差し出しつつ、お互い少しずつ敬語が抜けてきていることに気がついた。
彼女が洗い物を始めた背中に、そっと声をかける。
「ありがとう、深沢さん」
「……別に、これくらい」
「それでも、ありがとう、かな」
細かなお礼を忘れてしまうと、いつしかそれは当然のことになってしまう。
それは僕にとっても彼女にとっても、宜しくない。
「先に部屋に戻るね、深沢さん」
「うん」
カチャカチャと食器を流す音を耳にしながら、部屋に戻った。
自分がテーブル席に残ったままだと、彼女の洗い物が終わるのを僕がわざわざ待っているような意識を与えてしまう、そんな気がしたから。
部屋の戸を閉じて、背伸びをする。今日は休日を楽しもうと思った。
ゆっくり小説の続きを読もう、と勉強机に腰掛け、背伸びをして――
ふと、僕は本棚に並べた漫画原作の山に気づく。
……しまった。
昨晩、読み終わったので、いま返すべきだったか?
けど、いま部屋に撤退したばかりで戻るのも。
それに今返すと「もう読んだの?」と驚かれる気もする……なんてのは、さすがに気の使いすぎか。
だったら今のうちに返そう、と腰を上げて、……ああ、待てよ?
と、僕はいつも通り余計な勘ぐりを始める。
本を返却する際、彼女は感想を聞きたがるタイプだろうか?
僕はいわゆる極端なオタクではないが、貸した本に対する感想を聞きたい気持ちは、分からなくもない。
けど僕は口達者な方ではないし、そもそもコンテンツは一人でどっぷり楽しみたい派だ。
映画を見終わったあと、感想を言い合うのは好みでなく、しかもそれで相手と意見が違ったりしたら大変気まずい空気になるのは目に見えている。
借りた時、そこまでは考えてなかったなと今さら思い、どうしようかなと首をひねり。
けど、今朝の深沢さんの態度……
パジャマ姿は笑われたけど、それ以外ではほとんと会話もなかった彼女の姿勢を思うに、たぶん、感想の押しつけのようなことはしてこない、……と、思う。たぶん。
だったら、いっそ直接。
『深沢さん。漫画原作、読みました。めちゃくちゃ面白かったです。ありがとうございます』
お礼の一文を述べたのち、普通の人には決してしないであろう質問を、付け加えた。
『ところで、深沢さんは感想とか聞きたい方でしょうか?』
こんな質問、誰が見るまでもなくヘンだなというのは分かっていた。
明らかに空気を読んでいないと思うし、そもそも「感想くらい素直に言えば?」と言われる気がしなくも無い。
けど、僕はそれでも相手にまず「感想を述べて欲しいかどうか」と聞いてみたいと思ったし、彼女との関係はそういうものだと考える。
合意のない一方的な押しつけは、僕のもっとも嫌うところだから。
些かの不安を覚えつつ返事を待っていると、すぐに彼女の答えがくる。
少しドキドキしつつ開くと、それはとても彼女らしい返事だった。
『葉山君の、好きな方で構いません。話してもいいですし、話さなくても。……ただ私も、感想を話すのは、苦手です』
『そうなんですか?』
『ええ。正しくは話がズレるのが、苦手、かな』
ズレる。
中々聞かない単語だと感じ、意味を聞き返すと、それは僕にとってとても納得できる理由だった。
『感想を言い合って、感性がズレてるなって思うと……話がしにくくなる、ので。なので私の話は、どうも。……あ、ごめんなさい。これ自体あんまり話さない方が良いことだったかしら……?』
興味深いな、と、僕はその先を促すよう彼女へ丁寧に申し出た。
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