距離は取るけど、趣味が近いところは仲良くしたい(1)
深沢さんと同居を始めて数日が過ぎた。
最初こそ照れる出来事はあったものの、その後はお互い会釈する程度の挨拶しかしなかったこともあり、トラブルは起きていない。
お互いに少しずつ慣れもでてきて、言葉遣いもちょっとずつ、砕けたものになってきた。
食事やゴミ出しなど、自分の部屋のことはきちんと自分でする。
お風呂の時間はチャットツールで『先に頂きます』と一言つけ、必ず連絡する。
洗い物は、そのつど自分で片付ける。
共用してるものは、冷蔵庫の飲み物くらいだろう。
自分のことは、自分で。
同居しつつも、一人暮らしと同じような気楽さを貰えることは、僕にとってとても有難いことだった。
*
「……ふぅ」
テレビを消し、うーんと身体をほぐすための背伸びをする。
顔を上げ、僕は現実へと帰還する。
深沢家ではじめて迎えた週末、僕は座椅子にもたれかかり、前から気になっていたアニメを一気見していた。
基本、僕は生粋のインドア派だ。
ゲームもアニメも、漫画も小説も雑多に楽しむタイプである。
今日見ていたのは、異世界ベースの冒険譚だ。
無双物ではなく、魔法使い一行の静かな旅を書いた物語だが、どこかしんみりくる世界観と独特の台詞回しに物寂しさに胸打たれる作品だった。
原作漫画はすでに一千万部も売れているらしい。後でアプリで探してみようと思う。
瞼を閉じ、胸の内でかけ巡る感情を舌の上で転がすように楽しみながら、感傷に浸る。
僕は、物語の読後感をすごく大切にしたいなと思っている。
面白い映画を見終わった後。
壮大な漫画のエンディングを迎えた後。
キャラクターが危機的状況を乗り越え、素敵な結末に着地した時に感じられる高揚感。そして物語が終わりを迎えた喪失感は、スポーツや普通の動画では得られない大きな感情の塊となって胸の内に響いていく。
読後感、とでも表現すべきその気持ちを、僕は何よりも大切にしたいしその時間を楽しめるのがとても嬉しい。
他人と、感想を共有したい訳ではない。
「楽しかったねー」とか、「あのシーンはちょっと」と、意見交換や品評会を行いたいわけでもない。
ただゆっくりと自分の内側に抱き留め、ありのまま、物語の世界に浸るように。
自分はこの物語が好きなんだ、という感情を誰にも邪魔されず、妄想に浸るのが好きなのだ。
……なんて話、他人にしても理解されないだろうなあと諦めつつ、身体をねじってストレッチ。
「よし、と」
今日はもう宿題も片付け、ご飯も終わり、あとはのんびりお風呂だ。
いつもの時間よりすこし遅いけど、……深沢さんはまだ入ってないだろうか?
確認のメッセージを送りつつ、乾いた喉を潤そうとドアを開けようとして――
今さら、僕は自分がちいさな失態をしたことに気がついた。
……しまった、と焦りを覚えながらドアノブを掴み、一旦引いてパタンと閉じる。
そう、閉じる。
アニメの途中で一旦トイレに寄ったのだが、続きを見たいと逸る気持ちを抑えきれず、少しだけ開きっぱなしになっていたようだ。
大音量とまではいかないが、リビングまで音漏れしてたかもしれない。
他人の部屋からの音漏れなんて、聞きたくもないだろうしなぁ……
と頭を掻きつつ、深沢さんの返信をもらって、お風呂に入った。
その日の夜キッチンに出た所で、たまたま深沢さんと顔を合わせた。
冷蔵庫前でかがんでいた彼女が、あ、と僕を見上げ、……手にしたミニスプーンとプリンをポケットにねじ込んでいた。
恥ずかしそうに会釈をしながら一生懸命に隠してたけど、残念、ちょっと遅かった。
まあ、気にしないけど。
くすりと笑いつつも指摘はせず、彼女と交代する形で冷蔵庫に手を伸ばす。
お茶を一杯そそぎ、リビングのテーブルに置いて、一口含んでいると。
「あの、は、葉山君」
「え?」
「……えっと」
「……どうしました?」
珍しく声をかけられて、すこし驚いた。
改めて顔を向ける。紺の長袖シャツに、カーキ色の長ズボンがぱっと目につく。
色の濃い服が好みなのかなと思いつつ見れば、彼女は戸惑ったようにもにょもにょと、何か言いたげだけど口に出来ない、そんな空気を醸し出しながら……
「な、なんでもない。ごめん」
そのままプリンを抱え、部屋に戻ってしまった。
僕はちょっと気にしつつ、カップを洗いシンクの籠に立てかけて。
部屋に戻り、スマホを開いた。
『どうかしたの、深沢さん』
『ごめんなさい。なんでもないので』
『本当に何もないなら気にしませんけど、べつに、遠慮なく話してもらって構いませんよ。それで不機嫌になったりしないし』
同居して分かったが、深沢さんはすこし気を遣いすぎるところがある。
またトイレの電球交換の件でも分かるとおり、彼女は人に頼ってもいいところで頼らなさすぎる節がある。
僕としては大変接しやすい相手だけど……
色々と抱え込みすぎてないか、心配だ。
『深沢さん。大したことでなくてもいいですよ、本当』
『けど……ああ。でも、変なところで話を区切ったら逆に気になる、よね』
『うん。正直、気になる』
『……じゃあ、その。本当に迷惑だったらメッセ無視してくれていいんだけど』
『はい』
『……ていうか、ごめんなさい。たまたま、聞こえちゃって』
話が見えない。
よく分からずスマホの前で首を傾げていると、ようやく、彼女からハッキリとした返事が来た。
『さっき葉山君が見てたアニメって、蒼穹のフリージア、でしょ? 前期覇権の』
『わかるの?』
『わ、私も見てたから……面白かったし、BGMに聞き覚えがあって……』
確かに僕も、友人のスマホから聞き覚えのあるゲームミュージックが聞こえるとつい耳をそばだててしまう。
それにしても、深沢さんもアニメ好きなのだろうか?
まあ自宅に長時間いるようだし、趣味がインドアに偏ってるのは自然だけれど。
『それでね、葉山君。……私、原作漫画を全巻、紙の本で持ってるんだけど』
『え』
『ついでにノベライズ小説も、ファンブックも紙で持ってるけど……気になるなら、読むかな、って』
好き、どころかガチ寄りだった。
そして原作はもちろん、ノベライズにも興味がある程度には面白い作品だったので、彼女の申し出はとても有難いものだった。……けど。
『いいのかな、借りても』
『うん。もちろん葉山君が原作を自分で買いたいって言うなら、いいけど』
『んー。僕は漫画アプリで原作読んで、面白かったら原作買う方だから、読んでから考えてもいいかな』
『もちろん』
快く了承を頂き、やった、とつい弾んだ声が出てしまった。
……ああけど、これって普段の貸し借りに換算されるんだろうか?
自分のことは自分でする。
協力作業は惜しまないけど、相手に借りを作ったなら、やっぱりお礼はしたいなと考えるのが普通だ。
『すみません、深沢さん。借りるのは良いのですが、お返しするものが思いつかなくて』
『別に、そのまま借りてもいいと思うけど……』
『そう? でも、僕が貰ってばかりというのも』
『私は葉山君にいろいろ貰ってるから、別に。それに』
深沢さんの返信が一旦途切れ、すこし遅れて。
『友達との貸し借りで、お金取ったりしない、よね。なら、同居してる相手でも貸し借りなしでいいんじゃないかな』
『なるほど』
『葉山君だって、うちにある食器を使って、お金を要求されたら困るでしょ?』
それは例えが違う気がしたが、深沢さんの好意は理解できたので、素直にご厚意に預かろうと思う。
しかしなるほど、似通った趣味をもつ相手と同居すると、こんな便利なこともあるんだなあ。
……そういえば”結婚法”についてSNSで調べたついでに見かけたが、将来の結婚相手に望むもので一番多いのは『価値観の一致』らしい。
価値観の一致とは趣味に限らず、金銭感覚や主義主張が似ていること、一緒にいても気を使わなくていい……といった面も含まれるんだとか。
婚活サイトの受け売りそのままだけど、確かに自分の趣味を否定されたり、価値観を否定されるのは面倒くさいし、そういう相手と長時間過ごすなんて苦痛極まりないだろうなと思う。
人が苦手な僕だと、一月持たなかったに違いない。
その点で考えると、深沢さんは僕にとって有難い相方だった。
深入りせず面倒事を押しつけず、けど、気がついたらこうして手助けをしてくれる。
彼女は些細な失敗をよくするけど、そこも愛嬌があって良いと思うし。
――っと、いけない。なんか変なことを考えてしまった。
『じゃあ、借りてもいいでしょうか。リビングに置いてて貰えれば、あとで持って行きますので』
そう返事をした十分後に顔を出すと、リビングのテーブルにきっちり目的のものが並んでいた。
なんと、すべて自前の透明ブックカバー付きだ。
本を大切にしてるんだなと感心し、そこに彼女の細やかな性格を見た気がして、汚さないよう丁寧に自室へ運ぶ。
これから誰にも邪魔されずゆっくり物語を楽しめるな、と想像するだけで。
今夜はとても、気分が良かった。
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