気遣いも、時には過ぎると恥ずかしい(3)

 宿題を片付けている間に、すっかり夜も更けてしまった。

 ぐっと腕を伸ばして身体をほぐし、そろそろ夕食にするか、とリビングに出たところで思い出す。

 しまった。

 そういえば、スーパーで買ったシュークリームの件を、深沢さんに伝えるのを忘れていた。


 連絡しようにも、ついさっき洗濯物に関するやり取りをしたばかりで、声をかけるには恥ずかしさがある。


 ……どうしよう。

 どうしたものか……。

 アプリに文章を打ち込んだのち、そのまま送信して良いかどうか首をひねって悩んだものの、結局、言葉は伝えないと伝わらないなと考え直す。

 相談事はしていいよ、と言ったのも僕だ。

 それに、シュークリームを奢ります、というのは悪い話でもないし、と、ぽちりと送信。


『すみません。一つ忘れてたんだけど、今日スーパーで美味しそうなシュークリームがあったから買ってきました。良かったら食べてください。いらなければ後で僕が食べますので』


 つい、変な敬語が混じってしまった。

 本当、小さなメッセージでも送信するのに悩んだ末、変な文章になるときあるんだよなあ……

 と苦笑いしつつ部屋を出ると、同じタイミングで隣のドアが開いた。


 深沢さんがひょこんと顔を出し、僕に気づいてすこし驚く。

 タイミングがたまたま合い、どうも、と僕はいつも通りに会釈。


「さっき、メッセージ送ったので。良かったらどうぞ」

「あ、うん……」


 いつも通り俯いてしまった彼女から、僕はさりげなく視線を外した。

 深沢さんはどうやら、相手にじっと見つめられるのが好きではないらしい。それは僕も同じだ。


 であるなら顔を合わせず、会釈していつも通りに過ごそう、と冷蔵庫に向かい、


「あ、っ、ま、待って……っ」


 くい、と引かれて驚いた。

 振り返ると、深沢さんが俯きがちなまま僕の袖をちまっと掴んでいる。

 正直、彼女は自分から人に触れようとするタイプの子ではないと思っていたので、意表を突かれた。


 深沢さんは呼吸も荒く、俯きがちな顔を上げて、一生懸命に。


「あ、あのね」

「はい。あ、チャットの方がいいですか?」

「っ、う、ううん。全然、大した話じゃないんですけど……あの、どうでもいいけど、どうでもいい話で……けど、ちょっと困ってて」


 それは、どうでもいい話ではないんじゃ……?

 と待っていると、彼女もまた冷蔵庫を開き、その奥から小さなケーキ用の箱を取り出す。

 あれ? と首を傾げる僕に対し、彼女は申し訳なさそうにぺこぺこと頭を下げつつ。


「……ごめんなさい。夕方のとき、買ってきて……なんか、美味しそうで……けど、さっきのメッセージで、その」

「あー……」


 箱を受け取り中を覗くと、中身はコンビニ限定、たっぷりクリームが売りの……

 見事なまでに、シュークリームであった。

 同じものではないが、めちゃくちゃ被っていて、……その可能性は、正直まったく考えていなかった。


 うん、とも。

 はい、とも言えないまま硬直する。


 しかしまあ、こんな偶然が起きるとは。


「すみません。スーパーで何となく見かけて、深沢さん好きかなと思って勝手に買ってきてしまって」

「私も、コンビニに寄ったついでに美味しそうだったから、葉山君も食べるかなって」

「ありがとうございます」

「ちなみに私のぶんも買ってきたので、いまうちにはシュークリームが三個あって……」

「二人で三個。中々ですね」

「ひとつはもう、あたしのお腹の中に旅だっていきましたけど……」


 ほんのり頬を赤くする深沢さん。


 ……もう食べたんだね。

 でもまあ、お菓子に罪があるわけでもないし、致命的な失態でもない。

 別居しましょうといいつつ、お互い何となく気を遣って買ってきたお菓子が被っちゃった、というだけの、ちょっとした日常の小話である。


 で、結局どうしようかなぁと考えた結果。


「じゃあさ、深沢さん。余った一個は、半分にしない? 包丁で切ってシェアしましょう」

「……あ。そ、そっか。分けれるんですね、よく考えたら」

「はい。同居してますので、僕ら。それに、一日に二個食べると罪深い気がしますけど、1.5個なら神様もぎりぎり許してくれそうな感じ、ないですか」


 電球交換の件と同じく、協力できる部分は協力する。

 相手に無理を押しつけはしないが、双方に利益がありコンセンサスが取れるのであれば、二人で暮らしているという利点を生かそう、という約束に基づいた結論だ。


「じゃあ僕が切っておきますけど、包丁どこでしたっけ」

「あ、私がやっておきます。大した手間じゃないですし」

「あー……」

「それ位は、させてください」


 任せて、というので彼女にお任せした。

 まあ、頼ってもいいよと彼女に言いつつ、僕が全く頼らないのは宜しくない。


 彼女はすぐキッチンに立ち、コトン、という軽快な音とともに切り分けてくれた。

 小皿に載せてラップをし、「冷蔵庫に入れておくので、好きな時にどうぞ」と柔らかく口にする。


 僕は何となくこそばゆい気持ちになって、誤魔化すように頬を掻いた。


「ちなみに、深沢さんは甘い物は好きですか?」

「まあ、はい。洋菓子はだいたい好き……葉山君は? アレルギーとか、ないですか」

「大丈夫です。深沢さんは」

「私も大丈夫。……けど、被ると恥ずかしいので、つぎに買っていく時はメッセージ送ります」

「だね。まあ食べなかったら、自分で貰えばいいだけだけど」

「うん」

「……なんか、同居初心者って感じしますね」


 会話の端々に入り乱れる敬語。

 メッセージを送るまでもないか、と遠慮したら思いっきり被ってしまったお土産といい、僕らはまだまだ同居生活というものに慣れていないらしい。

 まあでも、最初はそんなものかなと思いつつ「じゃあ」と、僕は曖昧な返事を残して部屋に戻った。


 自室で夕食を口にしつつ、ちょっと考えはしたものの、まあ何か致命的な失敗をしたわけではない。

 シュークリームもただ分けただけだし、相手に不快感は与えてないよな……?


 と、食事を終えて一息ついていると、遅れて彼女から返事が来た。


『でも、悪い気はしなかった、です』と。


 ん?


『タイミングはかみ合わなかったけど、葉山君が気を遣ってくれていることは、わかりました。電球の件も含めて』

『別に、大したことはしてませんよ』

『けど、大したことでなくても手伝ってくれるって、すごく助かります。……そういうことをしてくれる人は、私も、相談しやすい相手だと思います、し』


 ――。

 不意に投げられた言葉に、ちょっとだけ、ドキリとした。


 高校生にもなると、面と向かって『嬉しいこと』だなんて言われる機会はない。

 もちろん、それが彼女のお世辞である可能性は十分あったけれど、それでも素直に好意をつぶけられると正直、ちょっと恥ずかしいというか……。

 心の中が、むずむずする、ような。


 ああ。今が、対面でなくて良かった。

 もし直に言われてたらきっと僕は赤面してただろうな、と、照れを隠すように頬杖をついて、返す。


『僕も嬉しいです。こうしてきちんと話せる相手で、助かります』


 こちらも面と向き合ってないからこそ言える言葉だよなあ、と思いつつ本音を綴り、妙にこそばゆい気持ちになった。

 お礼にお礼を返す、ただそれだけの台詞だけど、妙にくすぐったい。


『では今後もよろしくお願いします』


 あえて堅い文面を返し、この話は終わりにしましょうと暗に告げると、深沢さんも乗ってくれた。


『はい。こちらこそ宜しくお願いします』

『はい。ではまた』

『ん』

『ん』


 アプリをスワイプして消し、ほっと息をついた。

 照れくさくむず痒い会話であろうと、人と言葉を交わすのには神経を使う。


 会話から解放されたことに、僕はようやく身体の力を抜いて。

 ……けど、今の話はやっぱり嬉しかったな……

 と、アプリを再度開き、深沢さんからのメッセージを読み返す。


 ちょっとキモいな僕、と自分でも思いつつ、デザートのシュークリームを取りに席を立った。


 綺麗にラップされた包みを剥がし、半分こされたそれを、フォークでちまっとつつく。

 柔らかなクリームがふにゃっと潰れ、口に運ぶと、半分なのにずいぶんと甘い味がした。

 深沢さんが買ってきたシュークリームが高級品だったんだろうな、と思いつつ、ゆっくり綺麗に平らげた。



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