気遣いも、時には過ぎると恥ずかしい(2)

 学校からの帰宅中、夕食の弁当を買うためスーパーに立ち寄った。

 弁当コーナーに並ぶ豚丼と、インスタント味噌汁セット。ごま塩ふりかけ等を籠に入れてレジに向かう途中……ふと、冷蔵スイーツコーナーで足を止める。


 僕は元々甘党の気があるが、深沢さんは、お菓子は好きだろうか?

 彼女の好みまではさすがに分からないが、そういえば今朝、冷蔵庫を開いたらチョコレートの袋がちょこんと端に置かれていたのを思い出す。


 たぶん、甘党だと思う。

 ……買っていこうか?

 けど、シュークリームだけ嫌いという説もなくもないし、二日目からお菓子なんか買っていったら逆に気を遣った、とヘンに勘ぐられるだろうか。

 ダイエット中で甘いものは……と、言われたりする可能性もある。


「けどなあ、んー……」


 悩んだものの、わざわざメッセージで確認する程でもないと思い、籠に入れた。

 必要なければ、自分で食べればいい。


 余計なお世話と思われなければいいな、と思いつつ、レジに並び。

 ふと、同居してると他人のためにものを買うこともあるんだなという、当たり前のことに気がついた。


*


 エコ袋を下げつつ帰宅し、玄関を開けるとすぐに、入口脇のドアが開いてることに気がついた。

 一瞬ぎょっとしたのは、そこが深沢家のトイレだったからだ。


 深沢さん?

 と、僕はおそるおそる、覗き込んで……ほっ、と息をつく。


 彼女はちいさな脚立に両足を乗せ、んーっ、と背伸びをしながら天井の電球に手を伸ばしていた。

 室内用らしい紺色の長袖に、薄緑の作業着みたいなズボンをぴんと伸ばしながら頑張っている。

 どうやら、電球の交換作業をしてるようだ。


 けど、深沢さんは女子にしては背が小さい。

 両足をつま先立ちにしても、ギリギリ電球に手が届くくらいの危うさ、苦労しながら豆電球をくるくると回していた。


 もちろん、声をかけようと思った。

 代わりましょうか、と。

 けど、いま声をかけるとびっくりして、バランスを崩すかも……?


 と思ったので一旦、買い物袋を脇に置き。

 万が一、彼女が転んでも大丈夫なよう少しだけ距離を詰め、できるだけ脅かさないよう、小声で囁いた。


「……深沢さん」

「ひゃあっ!?」

「っと」


 案の定びっくりしてバランスを崩しかけた彼女の腰を掴み、脚立の上に押しとどめた。


 念を入れておいて良かった、と安心した――のも、つかの間。

 とっさに受け止めた両手からは否応なく、男とは違う柔らかな腰回りの感触が返ってきて、僕は彼女が姿勢を安定させたのを確かめたのち、慌てて離す。

 支える意識までは良かったものの、その拍子に彼女の身体をしっかり掴んでしまったことに対しては、何かしらの反省しなくてはならないかもしれない。


「すみません、驚かせてしまって」

「い、いえ……ありがとう、ございます葉山さん」

「敬語じゃなくていいですよ」

「あ、う、うん。ありがと……帰ってたんですね。ごめん、気づかなくて」


 どうやら僕らに、まだ敬語抜きは早いらしい。


「それ、やりましょうか」


 代わりに僕は手を伸ばし、彼女のLED電球を貰おうとする。

 彼女は一瞬、意味がわからなかったらしく首を傾げ。

 僕が「それ」ともう一度示すと彼女も理解し、けれど少しだけ眉を寄せ、そっと目線を逸らして拒絶の意を示してきた。


「大丈夫です。自分でするので……」

「でも、危ないよ」

「……けど、私の家なので。家のことは、私がやらないといけないと思いますし。お互い迷惑をかけない方がいいかな、と」


 一理ある話では、ある。

 僕と彼女は食事も別。洗濯も別。

 お互い邪魔をせず別居しましょう、という約束に基づけば、彼女のやってることに手を出さないのは大切だが……。


 彼女はひとつ、誤解をしている。


「確かにここは深沢さんの家ですし、僕と深沢さんは別居しようと話しました。……けど、トイレって二人で使うじゃないですか」

「う、うん」

「なら、半分くらい僕が手伝ってもいいと思うよ。リビングやキッチンの掃除も、二人で定期的に手分けしてする、と決めたし」

「ぅ……」


 別居だからといって、無関心というわけでない。

 お互いに心地良く過ごしましょう、というのが僕らの前提。

 そのために協力することは惜しまないよと伝えるも、彼女はふるりと首を振って。


「けど、交換をお願いしたら葉山君に、一方的に頼っちゃうことになるので……」

「LED電球、買ってきてくれたじゃないですか。それに普段の飲み物とかも、買ってきてもらってるし」


 眉を寄せ、ちょっと考える深沢さん。

 不思議なことに、彼女はきゅっと眉を寄せたしかめ面がよく似合っている。


「それに深沢さんが転んで怪我とかしたら、もっと大変だし」

「それは、まあ……」

「大した手間でもないしさ」


 深沢さんはどうやら、とことん他人に迷惑をかけたくないと考える性格らしい。

 けどこれは、彼女の安全に関わる話だ。無茶しそうな深沢さんを放っておくのは忍びない。


 ……改めて、手を伸ばす。


 深沢さんはまだ少し悩んだが、やがてそろりと電球を僕の手に握らせてくれた。


 受け取って、脚立に足をかける。

 古い電球をきゅっと回して外し、彼女に渡すと、深沢さんがぱちくりと可愛い瞬きをした。

 僕はすこしどきりとしつつ、新しい電球を受け取る。


「……男の人って、背が高いんですね」

「僕は、平均くらいだと思うけど」

「あ、ううん。そういう意味じゃなくて……ありがとう。古いやつは今度、家電屋で処分して貰いますね」


 頭を下げる深沢さん。

 重たげな黒髪が揺れ、古い電球を受け取ったのちそろりと廊下を歩いてく彼女を見送りつつ、――小さなことなら頼っていいよ、とその背中に伝えたいなと思った。

 お互い、余計な気は遣わない。

 けど、一緒に暮らすうえで出てくる問題だったら、手伝えるところは手伝うのが普通だろう。


 なんて考えつつ交換を終えると、ふと彼女がこちらを見た。

 いつものように少し猫背ぎみに、でも、ぎゅっと手のひらを握り。がんばって、勇気を振り絞るように。


「あの……」

「はい」

「……電球は、背が高いほうが向いてる、けど。せ、洗濯物は、力仕事じゃないし、男の人より私がした方が、気にならないこともあると思う、から……頼ってもいい、と、思いま……思うます」


 え、と。

 脚立を降りた姿勢のまま固まる僕に、深沢さんも恥ずかしかったのか、すぐに、くるりと背を向け足早に自室へ籠もってしまう。

 パタン、と扉の閉じた音で我に返り、僕は全身の血が沸騰したかのように熱くなってる自分に気がついた。


 いやまあ、理屈はそうだろう。

 女性の下着を僕が洗うより、僕の下着を彼女に選択して貰ったほうがまあ、精神的にも手間としても楽ではある。

 ……けど、さぁ。


「……それは別問題っていうか、普通に、恥ずかしいんだよ……」


 そこは男でも恥ずかしいのだ、と口にして良いのか分からず。

 それでも彼女の配慮ある言葉に、つい口元が緩んでしまい、いまの自分が変な笑顔を浮かべているなと気づいて慌てて顔を隠す。


 他人といると、どうにも心を乱されて宜しくない。

 けど、今の話はそう悪いものではなかったな、とも思う自分に気づいてどうにも居心地悪く、頬を掻いて誤魔化した。

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