辛い時は、耐えるよりも頼りたい(6)
「でさあ葉山。そろそろ話してくれよ、同居相手のこと。どう? なんかこう、すげートラブルとかあった?」
「ないよ。お互い気を遣ってるしね」
試験明けの翌日、僕は近場のファストフード店で男子二人に囲まれながら、ファストフードで注文したポテトをつついていた。
僕の真正面でけらけら笑う尖った頭の男子が、お調子者の友人、山井。
その隣に並ぶ眼鏡をかけた男子が、宥め役の春日部だ。
中学の頃から付き合いがあるゲーム仲間の二人は、学校の中でも比較的よく話す相手だった。
試験明けのストレス発散もかねて暫くオタトークに花を咲かせた後、気づけば今の質問に至っていた。
まあ聞かれるよなあと思いつつ、山井の質問をスルーする。
「えーでも何かあるだろ。相手がついお風呂からバスタオル一枚で出てきて、リビングでばったり! とか」
「ないって。お風呂の時間は、そもそも顔を合わせないよう気をつけてるし」
「夜中にふとリビングで鉢合わせしてさ『ねえ葉山君。ちょっと話……しない?』とかパジャマで誘われて、ちらっと見える鎖骨でドキッとするとかさあ」
「妄想が具体的すぎてキモい」
もちろん夜にすれ違うことはあるが、大抵、会釈だけで終わる。
そもそも相手がリビングにいると足音がするので、その間は邪魔しないよう息を潜めていた。
つまんねー、と山井がポテトを二本咥え、吸血鬼ごっこだとばかりに両歯で尖らせつつもさもさと頬張る。
「あー彼女欲しい。つかエロいことしたい。揉みたい」
「正直すぎだろ山井。お前に”結婚法”が来たら危なかったな……春日部ならともかく」
「僕には来ないよ。あれ審査キツイらしいしね。葉山君はそれ通るんだからやっぱ凄いよなあ」
話を振った春日部に言われるが、僕の場合はどちらかといえば成績の優秀さより、真面目な性格を飼われたのだろう。
まあ実際、そういうことは一切するつもりもないけれど。
「けど葉山だって男としての欲求はあるだろ。こう、ムラっとしないの?」
「欲求はあるけど、だからって少しでも見せたら相手に失礼だろ。それに”結婚法”で万が一そういうことを起こしたら、かなりのペナルティ貰うしさ」
僕も男なので、ざわつく気持ちがない訳ではない。
けど、それ以前にそもそも僕は女性とお付き合いしたいとも思ってないし、僕みたいな性根の歪んだ人間が誰かとお付き合いできるとも思っていない。
深沢さんとの会話を見てればわかると思うが、僕はあまり、他人と深く関わるのが得意ではないのだから。
「で、葉山。結局その子、可愛い?」
「人の見方はそれぞれだからな。可愛いと思う人もいれば、そうじゃない人もいるだろ」
「お前から見てどうなんだ、って話だよ」
「……普通、かな」
頬杖をついて目を逸らした。
深沢さんが可愛いかどうか、一般的な評価についてはもちろん知らない。
重たげな黒髪に、猫背気味でとぼとぼ歩く自信なさげな姿は、人によっては不快に思うかもしれない。
けど別居中とはいえ、日常生活をともにしてる男の贔屓目か。
僕を見上げて、こっそり嬉しそうに薄く綻んでみせたときの笑顔、とか。
何かで失敗し、僕の前でほんのり赤面しつつ「違うの」と否定するようにおたおたと弁明している時は、男の性か。
ああ、この子可愛いな、なんて感情を抱くときがないわけでもない。
でもその感情を、彼女に伝えることはない。
僕と深沢さんは、赤の他人だ。
そもそも僕なんかに、可愛い、と言われて深沢さんが喜ぶとも思えず、むしろ警戒心を募らせるだけだろう。
好意を寄せる、寄せられるというのは相手に深く干渉したいという意思表明であり、僕らにとってそれはあまりに危険な刃だ。
なので僕らはあくまで同居してる他人として、今まで通りに接するのみ――
「けど最近、葉山君なんか調子いいように見えるんだよね」
「……え?」
いきなり斜め前から声が飛んできて、ぴた、とポテトをつまんだ手を止めた。
眼鏡の鼻をそっと押さえた春日部が妙に嬉しそうに、計算高い笑みを浮かべている。
「何となくだけどさ。葉山君、前より楽しそうにしてる。前はもうちょっと、真面目だけど学校つまんないって顔してたし」
「そんなことないと思うけど」
「かもね。ごめん、気のせいかも」
忘れて、と笑う春日部だが、彼の直感が良いことは中学の頃から知っている。
あるいは僕自身に、自分では自覚できていない変化があって、それが空気として滲み出ているのか。
だとしたら問題だな、と後ろ髪を掻いていると、山井がドン、とうるさくテーブルを叩いた。
「けど普通さあ、女と同居したら変わるだろ! あの子部屋で何やってんだろ、今も俺のこと考えてるのかな……ってムラムラしねぇ?」
「山井さ、姉ちゃんいるだろ。お前姉ちゃんにドキドキする?」
「しねーよ、あんなクソ生意気な姉貴とかありえねーっ」
「同居してるってのは、家族みたいなものだよ」
うげぇ、と苦い野菜を口にしたような顔の山井のおかげで話をそらせたが、春日部には含み笑いをされた。
バレてるかもな、と僕も苦い顔をしつつ、そういえば試験どうだったと話題を変えると、山井がまた嫌そうな顔をした。
*
適当に駄弁ったのち山井達と別れ、夕食用の弁当を下げつつ帰宅する。
ポテトは雑談用に三人で分けてつまんだだけなので、小腹が空いてきたな……と靴を脱ぎリビングに上がったところで、テーブルに見慣れないお椀が置かれているのに気がついた。
漆塗りの、和風ファミレスでご飯の隣によくある形。
レンジで温めやすいようプラスチックの蓋がついている。
中は予想できたので、手をきちんと洗ってから蓋を開くと、――特有のしょっぱさの混じった香りがふわりと鼻をつき、食欲をくすぐられた。
インスタントとのものとは異なる、濃厚な味噌の香り。
中を覗き込むと、しっかりと味を吸い込んだ厚揚げと薄切り大根が揺れていて、行儀が悪いけど少しだけ唾が出た。
器の下にメモが挟んであった。
『味噌汁、作りました。良ければ食べてください。口に合わなかったら捨ててください』
「いや捨てないけど……」
お礼で作った味噌汁が、台所の三角コーナーにざばっと流されてたら悲しいなんてもんじゃない。
っていうか、考える余地もなく美味しそうだ。
香りを嗅いでる間に、ぐぅ、とポテトをつまみ食いしたはずの腹が鳴った。
弁当を温めたのち味噌汁もレンジに入れ、自分の部屋に気をつけて運んでいく。
ミニテーブルに並べ、普段なら食事中に立てかけるスマホも閉じ「いただきます」と、大変ありがたいものをいただくように、神妙に丁寧に手を合わせ……
感謝の気持ちを抱きながら厚揚げを口に運んだ。
最初の感想は、やば、うま、としか出てこなかった。
ひとつ口の中で噛むと、じわりと味噌の馴染んだ厚揚げが口の中でほどけ、一口で幸せを届けてくれる。
おお、これは美味しいなぁと続けて大根を頂くと、柔らかすぎずけれど歯ごたえのある、さくっ、と、ふにゃっ、の間みたいな絶妙な柔らかさが口のなかでほどけていく。
何より驚いたのが、ボリューム感、だろうか。
味噌汁って食べ応えのある一品だったのか、という衝撃、というか……正直インスタントの味噌汁って、小さな米粒みたいなオマケの豆腐やわかめが入っている程度のスープであり、野菜を取る品、というイメージに結びつかない。
けど、きちんと豆腐や厚揚げを刻んでふんだんに盛り込まれた味噌汁というのは、なんというか。口にしたときの満足感が全くもって違うものなんだな、という衝撃、というか。
……いやまあ、僕は料理に詳しくないので、あまり言えないんだけど。
これは凄いなあ、と舌鼓を打ちながら白米を掻き込むと、舌の中でほろほろと米が味噌汁と絡んでたまらなく美味しい。
なるほど、ご飯が進む、とはよくいったものだ。
そして――気づけば、あっという間に平らげてしまった。
風邪の看病にしては、お礼を貰いすぎかもしれない……
と、恐縮すら覚えながらメッセージを返す。
『味噌汁、すごい美味しかったです。僕にはとても贅沢な一品でした』
『そ、それは良かったわ。味が合わなかったらどうしようかと』
『や、本当に美味しかったよ。本当に』
毎日作ってほしいくらい。
そう打ち込みかけ、慌てて削除。そんな文章を送れば、相手に余計な意図を与えてしまう。
これはお礼であって、義務にしてはいけない。
正直もう一度お礼を言いたかったが、何度も感謝の言葉を重ねるのは、逆に言葉の重みを失わせてしまうかなと自分に言い聞かせ、返事を打ち切り台所へ。
空になった器を洗いながら、でも――機会があれば、また食べたいなぁ、という贅沢な想いを抱く。
彼女がもう一度お礼をしたいと言い出した時に、頼んでみようか……?
いや。自分には過ぎた願望だ。
そもそも僕と彼女は別居中であり、お互い深く関与しないと決めた間柄だ。
その関係性が喜ばしいのだと普段から伝えているし、ついさっき山井達にそう応えたばかりなのに、こういう時だけ僕が一方的なお願いをするのは不公平だ。
今日はとても嬉しかったけど、初志貫徹。
最初に結んだ約束はきちんと果たさないといけない、と洗い物を終え、食器置きに場立てかける。
けど、全く後ろ髪を引かれないかと言われれば嘘になる気もして。
僕は、きゅっと、自分の唇を堅く結んだ。
余計なことは考えないようにしよう。でないと、僕らの関係はきっと、おかしな方向に崩れてしまうだろうから。
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