たまになら、騒がしい日も楽しみたい(1)
試験後の休みを挟んで迎えた、金曜日。
制服を着てリビングに出るなり、びくっと足を止めたのは、まだ日が昇る時間帯であるにもかかわらず、深沢さんがちょこんとテーブルに腰掛けていたからだった。
深沢さんは朝に弱い。
前みたいに寝間着姿でふらつくことはなくなったけど、たまに朝に顔を合わせると眠そうに目を擦っているし、そもそも朝起きてくることが少ない。典型的な夜型だ。
そんな深沢さんが膝を揃え、無地のブラウスにきっちり袖を通したまま座ってる。
失礼ながらも内心すごく驚きつつ、おはよ、と挨拶したら「お、おはよ……」と歯切れ悪く呟き、いつものように俯いてしまった。
とりあえず、……気にしつつも、いつもの朝食準備。
食パンをトースターに入れ、トレーに牛乳を乗せる。
準備を整え、深沢さんの斜め前。直接目を合わせない位置に座りつつ、心当たりがないか考える。
味噌汁の感想は伝えたし、試験の返却は今日だ。
スケジュール的な予定も、特にないけど……。
訝しんでると深沢さんがそっと立ち、僕の真正面に座るよう席を変えた。
さらに驚く僕に、彼女は続けてテーブルに三つ指をそろえ、動画のスロー再生のように、ゆっくりとおでこを下げて平伏する。え? え?
「深沢さん? どうしたんですか」
「……ごめん。直接謝ろうと、思いまして」
「悪いけど、何に対して謝ってるのか分からないんだけど……僕、何かされたっけ」
「ううん。まだしてないけど、未来にしちゃいそうというか」
つまり惨事はこれから起こる、と?
深沢さんとは短い付き合いだが、彼女の性格からして、火種を持ち込むタイプではないと思うが。
ピピ、と、食パンの焼ける音がしたが、席を立つタイミングを失う。
もしや“結婚法”解消に至るようなことか……?
「その。ごめん、葉山君。忘れてたわけじゃないんだけど……悩んでる間に期限が来たっていうか、予定外のことがあって」
「つまり?」
「その……あのぉ……」
慌てないで教えて、と態度で伝えると……
顔を上げた深沢さんが、すっと大きな深呼吸を挟んだ。
「今日、ね? 友達が……うちに来る、かもしれない、ような、来ないかもしれない、ような」
「ん?」
「ま、まだシュレディンガーな友達で、決定したわけじゃないんだけど。葉山君に相談もなしに家に呼ぶのもダメだって分かってて……けど向こうも絶対行きたいっていうから、断れなくて……」
頭から煙を噴き上げる深沢さんによると、どうやら今日の午後、深沢さんの友達がいきなり遊びに来ると言い出したらしい。
聞いて、なんだぁ、と実はちょっと安心した。
深沢さんには悪いけど、もっと深刻な悩みかと予想してたので拍子抜けだった。
本人にとっては真剣な悩みなんだろうけど、まあ。
「別にいいよ」
「……いい、の?」
「そもそもここは、深沢さんの家だし」
「そうだけど、迷惑じゃない?」
「別に。そもそも僕が深沢さんの友達を断るのも不自然だし。……まあ、逆の立場だったら僕も考えるけど」
僕が山井や春日部を家に遊びに連れてくるとなると、気が引ける。
まあそもそも親のいない同居暮らし、という情報を明かす気はないため家に招くことはないけれど。
「ちなみに深沢さん、その人とはよく遊ぶんですか?」
人様のプライバシーに関わるのは御法度だが、少しだけ気になった。
あまり家から出てる様子のない彼女が、人と会う。というのが、失礼だとは思うけど意外だったので――
「は、初めて」
「ああ。家に来るのは初めてなんですね」
「ううん。直接顔を合わせるのは、初めて。webミーティングでは顔見てるけど……」
ん? 顔を見るのが初……?
「二年くらい前から、ネットでお世話になってて。オンラインで遊んでる間に、家に遊びに来たいって言われて」
「一応確認するけど、その人、女性ですよね? 変なおじさんとかじゃ」
「それは大丈夫。声も直接聞いたし、何度もやり取りしてるから」
「ならいいけど……」
本当に大丈夫だろうか? ちょっと心配になる。
深沢さん、たまに抜けてるところがあるし。
「あ。そうだ。友達がくる間、僕、家を出ておこうか」
何はともあれ、お邪魔虫の僕は引っ込んでおくべきだろう。
”結婚法”が理由とはいえ、男女ひとつ屋根の下で過ごしていることを探られたくはないし、彼女も僕を関わらせたくはないだろうし。
と伝えると、深沢さんはふるりと首を横に振った。
「違うの。その……」
「気にしないで。図書館とかで時間潰すから」
「や、そうじゃない。……逆で……」
逆、とは?
深沢さんは頭を抱えて半分、机に突っ伏すような姿勢になり。
「向こうが、葉山君に会ってみたい、って」
「へ?」
「ついでに一晩泊まるから、一緒に遊ぼう、って」
「……ん? んん?」
意味がわからなくなってきた。
相手は深沢さんの友達で、なのになぜか僕と会いたくて、一晩泊まる?
「ごめんね葉山君。急に言われて、断れなくて」
「どうして僕と? その人、僕の知り合いですか」
「面識はないと思うけど、でもさっき新大阪から新幹線に乗ったって連絡来て、ホテルも取ってないし無一文だから宜しくって……」
「新幹線、乗っちゃったかあ」
「本当は来週来るはずだったのに、今朝いきなり、今日よろしくって」
「タイムスリップもしちゃったかあ」
強引な人みたいだけど、大丈夫?
そっちの方が心配だけど、と眉をしかめると彼女は全力で頷いた。
「だ、大丈夫。ちょっと時間にルーズで約束守らない人で、私より適当でずぼらなだけだから」
「説得力があるコメントで何よりだけど、まあ何かあったら連絡してね」
と、話をまとめつつ、遅くなった朝食用のトーストを手に取る。
冷めた表面にバターを塗り、かりっ、と囓っていると深沢さんが恐縮したように頭を下げた。
「本当、葉山君には迷惑かけてばかりで」
「気にしないで。それに僕も沢山、深沢さんにはもらってるから」
「……え?」
ぱちりと瞬きをする深沢さん。
気づいてないだろうけど、僕も彼女には色々とお世話になっている。
味噌汁の件だけじゃない。
毎日僕をそっとしておいてくれるとか、たまに可愛い顔を見せてくれるとか。
そのお返しだと思えば、大した苦でもない。
僕が笑うと、深沢さんはよくわからなさそうに眉を寄せた。
その困ってる顔もちょっと可愛いんだよなあ、という意地悪な感想は隠しつつ朝食用トレーを片付ける。
「じゃあ学校行ってくるね」
「……あ、うん。……行ってらっしゃい」
深沢さんがぺこりと挨拶。
普段チャットでしか交わしていない挨拶を直に交わし、ちょっとだけ温かい気持ちになりながら、僕はそっと家を出ようとして足を止めた。
「あ。ごめん」
「何?」
「歯磨きするの忘れた」
どうやら僕も、いきなりの友達話にわりと焦っているようだった。
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