近づかない距離でいてくれる、君がいい(6)

 とくんとくん、と、熱が巡る。

 朝から続いていた私の緊張は葉山君が帰ってきた音で最高潮に至り、緊張のあまり部屋をうろうろしたのち、予め考えていたメッセージをぽちっと送る。


『今日は部屋からでないで欲しいの』


 約束を交わしたのち、私は逃げたくなる心をなんとか奮い立たせて、そろりと部屋を出た。


 誰かのために、料理を作る。

 それは私にとって恐ろしく緊張する行為だ。


 失敗したらどうしよう。

 美味しくないって言われたら、どうしよう。

 期待が失望に変わったら。

 私は自分が否定されることにすごく敏感で、そもそも、春のためにご飯を作るときだって緊張していた。あのときだって、彼女にお願いと抱きつかれ、仕方なく作っただけなのだ。

 褒めて貰えたのは嬉しいけど、やっぱり味の好みもあるし、私の料理で……と考えると不安がある。


 嫌だ。逃げたい。

 今すぐ部屋に籠もって、頭から毛布を被ってしまいたい。


 けど、お礼をしたいと申し出たのは私。

 それに、葉山君に感謝したいと思ったのも本心だ。

 最初は母に吹き込まれて“お礼”をしに行ったけど、いまは私が、私自身が、自分できちんと彼に感謝を伝えたいなと思ったから言い出したこと。

 そして滅多にお願い事をしてこない葉山君が、本当に珍しくお願いしてきたことなのだと思うと、私もすこしだけ頑張らなくてはいけないなと思う。


 ……たぶん。

 たぶん彼は、怒らないから。

 ……けどやっぱり震える気持ちを抑え、きゅっ、とエプロンの紐を結ぶ。





 盛り付けて、葉山君がいつでも食べれるようカバーを被せて逃げた。

 投げ捨てるようにメッセージを送り、返事が来るまでドキドキと緊張をかみ殺しながらベッドに籠もる。


 好みに合わなかったら、どうしよう。

 相手が口を開けばまず文句を言われるのでは、という意識が頭にこびりついてる私はふるふると怖がりな犬のように縮こまる。

 その一方で、彼からの返事をほんの少しだけ期待している自分にも気づいている。


 こんなとき、葉山君との連絡が文章だけでいいのは本当に助かる。

 文章なら返信を送る前に考え、読み返して、自分の気持ちを整理することができるから。


 そんな関係を築ける相手であったことに、改めて感謝していると――


 返事が来た。

 私はスマホを一旦裏返し、ベッドに押しつけて。


 ……とくに意味もなく、ちらっ、とおそるおそる覗く。


 と、なんと私の作ったご飯の画像が添付されていた!


『お願いだから撮らないで』

『え、画像送った方がいいかなって』


 慌てて、実際に食べて美味しくなかったら葉山君も反応に困るでしょ?

 と付け加えたけど、本音をいえば画像がもしSNS上に流出して全世界に私の晩ご飯が中継されてしまったら死にたくなる。

 何かのサムネで”結婚法”で結ばれた彼女の野菜炒めを食べてみた、とか書かれてたらどうしよう……!


 あと普通に、葉山君のスマホに私のご飯履履歴が残ってるのが恥ずかしい。

 学校で他人に見られでもしたらどうするのよ、と顔を真っ赤にしつつスマホを握りしめていると、葉山君はそんな私の気も知らず、いただきます、という文章から始まりつぎつぎメッセージが送られてきた。


 野菜炒めのもやしが肉汁に絡んでしゃきしゃきで美味しいね。

 ご飯と合わせて最高だし、味噌汁も美味しいし、本当ありがとう――


『なんか食レポみたいになってるんだけど……!』

『や、でも本当に美味しくて』

『行儀が悪いと思うのだけど』

『けど、食べてるいま伝えた方が伝わる気がしてさ』


 私は彼の態度を文章でたしなめつつ、お願い実況止めてと言いながら。

 ……でも本当は、すごく嬉しくて思わずにまにましてしまった。


 言葉は幾らでも嘘をつける。お世辞を言うのも簡単だ。

 けど葉山君の文章はどれも本当に美味しそうで幸せそうで、私のなかに芽生えていた疑いをゆるりと溶かすには十分なものだった。

 それに、葉山君はお世辞をいうのは得意だろうけど、好きなものはきちんと好きと言うタイプだと思うし……。


 スマホで返信しつつ、あ、いま私顔にやけてるなと思う。

 顔を見られなくて良かった。

 こんな顔、絶対に他人には見せられないなと思いつつ、彼があまりに美味しいと言うから、つい。


『折半』

『?』

『食費、折半でいいなら、……作る、けど』


 送信して、自分の過ちに気づいて慌てて訂正した。

 なんて余計なことを、調子に乗るんじゃない私、と戒めれば、彼からもご遠慮願う返事が来て、……別に、すこしくらいならいいのに、と今度はまったく逆のことを思いながら、あああと唸る。

 わからない。

 私の心はいま妙にくすぐったくて、なんて返事をしたらいいのか分からない。


 悶々としてる間にやがて『ご馳走様でした』と、彼から挨拶が届いた。

 ……最後に要望を聞けば、もっと食べたかった、と言われた。


 実は、わざとだった。

 彼の口に合わなかったらいけないと思い、量を少なめにした。

 葉山君は細身なので沢山は食べないだろうとも思ったのだけど、やっぱり男の子で、あの量では物足りなかったかなと反省する。

 うん。次はもっと、きちんと量を作ろうかな――……と考えて。


 私のなかに、次、という意識があることに自分で驚いた。

 それは私達のルールに反する重大な欠陥だった。


 葉山君はいつも、”距離”を大切にする。

 相手の負担にならないこと。

 過度に関わりすぎないこと。

 必要なときは協力するけど、鬱陶しいと思われそうな距離には絶対に踏み込まないこと。


 ”結婚法”とかいう死ぬほど面倒くさい仕組みの中で出会えた最良の関係を、私の方から壊してはいけない。

 そうに決まっているし、彼もそう望んでいる。

 そんな相手に、一晩だけならともかく毎日ご飯を作ってあげる、なんていう行為は、お互いにとってとても”重い”。


 はず、なのに。

 スマホを抱え、仰向けに寝転がって想像する。


 私の作ったご飯を、美味しそうに食べてくれる葉山君。

 対面を好まない私がなぜか想像のなかでは彼の前に座っていて、もちろん私は緊張しているのだけど、彼は相変わらずいつもの笑顔で箸を運び、いつも美味しいね、ご飯ありがとう深沢さん、と微笑みかけてくれて、それに私も気をよくして――


 ぶんぶんと首を振り、妄想を追い払った。

 いけない。余計なことを考えている。違う。私は他人に触れられることを怖がっていて、面倒くさいと思っていて、同居なんてもってのほかだとずっと愚痴っていた。

 葉山君はその相手として、本当に素敵だなと思う。


 彼は、私を否定しない。

 彼は、私に普通を強要しない。

 彼は、私が間違っていても口を出さず、けれど困っていたらさりげなく手を差し伸べてくれる。

 だから、私も……と、またまた妄想を膨らませそうになり、今日は早めに寝ようと決めた。


 布団を被り、まだ夜八時なのに潜り込む。

 意味もなく睡眠用BGMをかけて心を落ち着けようとするけど、もちろんそんなもので収まるはずもなく、私はベッドの上でごろごろと寝転がる。

 まるで自分が自分でなくなってしまったような感覚を抱えながら布団の端を握り、今日一日の出来事を繰り返し忘れよう、忘れようと思えば思うほど印象に残ってしまい、どうしようもなくなって私はぽふんと布団を叩く。


 ただ手料理を一度振る舞い、喜んで貰えただけなのに、どうしてこんなに落ち着かないんだろうか。

 春にだって、同じようにご飯を振る舞ったのに。

 葉山君が相手だと、ちょっと違う気がする。


 私はもどかしい気持ちのまま唇をもにょもにょさせる。

 ああ。なんだか妙に、もどかしい……。


 結局、私はその日寝落ちするまで自分のなかに生まれた疑問の答えが分からず、いつものように結論を先延ばしにし、そのうち忘れるだろうなと思いながら瞼を閉じる。





 なのに。

 その熱は夢の中でも、朝起きてもまだ、私の心の奥底のどこかで燻り続けていることに――

 この時の私はまだ、何一つとして気がつかないまま。

 朝、リビングで葉山君が準備をする物音を耳にしつつ、もそもそと、布団の中から挨拶のメッセージを送信する。


『行ってらっしゃい』

『行ってきます』


 いつの間にか、このやり取りもとても自然になっていたことに。

 私はまだ、気づいていない。


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人が苦手な僕と陰キャな彼女は、恋人(偽)だけど自分の部屋でゆっくり自由に過ごしたい 時田唯 @tokitan_tan

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