近づかない距離でいてくれる、君がいい(4)

「いや、あ、あのね? いま私、葉山君とすごく真面目で、大切な話をしたと思うの。それはそれで凄く嬉しかったんだけど、けどこのままだと、明日話すとき、空気が重たくなる気がして。……だからこう、すこし緩くなる感じのこと言おうかなぁ~と思って、あ、いや、本気じゃない……ていうか……あは、あはは……」


 爆弾発言に続いて、言い訳を並べる深沢さん。

 けど、会話の中身よりもあたふたと汗を流し、身振り手振りで弁明をしている姿にこそ彼女の本音が現れている気がして、僕はカチンと固まってしまった。


 つい、無意識に、誘われるように視線を下ろす。

 理性では顔を逸らしたはずなのに、気がついた時には自然なまでに、彼女の緩やかなカーブを描いたそれをうっかりなぞるように視線を動かしていた。

 僕だって、どんなに着飾っても男の端くれ。

 そんな話を聞かされれば顔は火照り、どうしようもなくなってしまうに決まっていて。


 深沢さんが慌てて「違っ……」と悲鳴をあげた。


「っ、ご、ごめん……。変なこと言って。忘れて。それに、よく考えたら私なんかに興味ないわよね、葉山君。思い上がりだった、からっ……」

「いや、その」


 違う。

 興味がない、なんてことは、絶対になくて。

 けど、それを否定するのも、間違いな気がして。


「……興味が無い、なんてことは、なくて」

「ぇ」

「いや、あ、っ」


 しまったなにを言ってるんだ僕は。

 ぶわっと全身から汗が吹き出て、でも今さら、こぼれた言葉をなかったことにはできない。できるはずがない。

 であればせめて、何かで上書きしなくては。


「あー……っと。僕は、深沢さんは胸だけでなくて、いろいろと面白くて素敵な人だと、思う。価値観っていうか、あり方っていうか」


 確かに彼女はちょっと変わっているけど、それは同じく変わっている僕にとって、丁度いいというか。

 深い関係ではないし顔を合わせての会話も滅多にないけど、でも、顔を合わせるだけが人付き合いでないことを、きちんと理解してくれる。

 そのあり方がいいな、っていうか――


 そこで、自分が余計に大胆なことを口走ってしまったと気づいたがあまりにも遅かった。


「…………」

「…………」

「……は、葉山君? あ、っ。その。あ、ありがとう?」

「ど。どういたしまして?」


 疑問に、疑問で返す。

 お互いの頬はいつの間にか林檎のように真っ赤に火照っていて、でも、きっと僕も同じ顔をしている気がして、お互いそっと顔を逸らす。

 余計な火種をばらまいた挙げ句、双方いたたまれなくなるという大惨事を迎えただけに終わった会話は、最後、彼女が折れるように頭を下げたことで解消される。


「お、おっ……」

「……お?」

「おや、お、休み、なさい。きき、今日は……帰る、り、か、っ、帰ります。あとの細かいことは、また、いつもので」


 舌足らずな言葉を残し、パタパタと走り去る深沢さん。

 その背中が消えるまで、本当にあっという間で。

 けれどその一瞬見せた恥ずかしそうな横顔は、なぜか、僕の記憶にまるで焼き付くように焦げ付き、いつまでもうまく消化できないまま心の底に残ることになる。




 で。

 彼女が去ってからしばらくして、僕はぽふんとベッドに突っ伏し、ばたばたと足をばたつかせた。


 ああ。何を言ってるんだ、自分は。

 状況が状況だからって、変なことを。

 だから僕は対面での会話が苦手なのだ。

 これがDiscordなら会話の編集も削除もできるし、自分の発言が不適切であるかどうかを事前にチェックできたのに。

 もっと冷静で、論理的な返事もできたはず、なのに。


 なのに、なんで。

 少なくともあんな事故みたいなことは起きなかったはず、なのに。


 後悔が雪崩のように襲ってくるが、もう遅い。

 せめてもの弁明を込め、いつも通りにメッセージを送る。


『さっきはごめん。全部忘れてください。ヘンなことを口走ってしまいました』


 返事はすぐに来た。


『私の方こそ、ごめんなさい。本当に変な話をしてしまって』

『いえ。僕も配慮が足りませんでした』

『ううん。なんか、雰囲気に飲まれちゃって、ってのは、あったと思うし』


 相変わらず僕らの会話は敬語が入り交じっていたし、もう何に謝っているのかも意味不明だ。

 けどそれは、僕らの間に生まれた恥ずかしさを誤魔化すための必要な儀式で、深沢さんもそれを知ったかのように『ごめんなさい』を連発する。


 私の方が。

 僕の方が。

 わちゃわちゃとメッセージを送り合い、そうして一連の謝罪合戦がある程度収まった頃、深沢さんが思い出したように呟いた。


『……なんだか、葉山君と話してると、不思議な気分になる』

『っていうと?』

『こういうやり取りの後でも、何もなかったみたいに話すのが許される相手なんだな、っていうのが、不思議で。……全然、あとが締まらなくても許される感じが、いいな、っていうか』


 言われてみれば、そうかもしれない。

 深沢さんが僕の部屋に乗り込んでくるというアクシデントはあったものの、結局最後はいつも通り、僕らは壁一枚を挟んで、ずーっとくだらないメッセージをぽちぽちしている。

 締めになる格好いい告白もなければ、決め台詞もない、日常の延長。


 ……けど、それもまた僕ららしい気がするし、何より。


『まあでも、お互いの合意が取れてるなら、良いんじゃないでしょうか。これが僕らのやり方ですし』

『……まあ、そうね』

『それに、この形のほうが言い訳しやすいですし』

『わかる』

『きちんと向き合った会話って、すごく疲れますし』

『うん……』


 大事なのは、僕と深沢さんがお互いどう感じているか、だ。

 面と向かっての告白を喜ぶ人はもちろん多いだろうけど、こうしてくだらないメッセージをつなぎ、ちまちまとコミュニケーションを取ってる方が落ち着く人だっていると思う。


 と、僕がようやく心の落ち着けどころを見つけていると、深沢さんから別の話が飛んできた。


『けど、葉山君には本当に助けられたと思ってるの。これは、本当。だからやっぱり、お礼……ああ、違う。うん、違う』

『何が?』

『お礼を伝えたい、じゃなくて。私が勝手に、お礼を押しつけたい、かな。葉山君の気持ちに関係なく』

『ああ、うん』

『本当は、ルール違反だとも思うけど……私のワガママだと思って、一回だけ、受けてくれない?』


 そうお伺いを立てられると、断れないのが僕であった。

 彼女も押しつけと理解した上でやってるし、それが好意だと理解もできるので。


『葉山君。何か私にして欲しいこと、ない? ……さっきの、私のお馬鹿な話以外で』

『そういわれても、うーん』

『本当に、ちょっとしたことでもいいの。気持ちの問題。けど、葉山君が困ることをされても嫌かなって』


 そこできちんと要望を聞こう、というのが深沢さんらしい。

 この子はきっと、バレンタインでも誕生日でも相手に欲しいプレゼントを尋ねると上手くいく気がする。


 ……でも、何をお願いしようか?

 キッチンの洗い物一回引換券?

 リビングの掃除を深沢さんが一回多くやるとか、そういった簡単なものでもいい気がする、けど。


 ……ああ、いや。

 そうだ。欲しいもの。あったじゃないか。

 ついこの間、僕の目の前にありながら惜しくも逃してしまったなと、心の底で密かに悔やんでいたものが。


 うん。あれがいい。

 もし彼女が許してくれるのなら、是非――


『じゃあひとつ、お願いしてもいいかな。深沢さんにとって、結構な負担になるかもしれませんけど』

『ぅ。あんまり重いのは無理だけど、何かしら』

『…………野菜炒め』

『は???』

『深沢さんの作った、野菜炒め。食べてみたい、です。できれば目玉焼き付きで』


 つい先日、薬池さんがそれはもう美味しそうに平らげていた、豚肉ともやしの野菜炒め。

 カリッと焼けた目玉焼き付きに舌鼓をうつ薬池さんを見ながら、あの時は口に出さなかったけど、正直とても羨ましく思っていたのを思い出す。


『すみません。重いお願いですけど』

『いや、ぜんぜん重くないけど……』

『深沢さんの味噌汁、美味しかったし。久しぶりにインスタントじゃないものを食べれたな、っていう感じがあって』

『そ、そう。うん……じゃあ明日、この前とおなじ野菜炒めセットでいい?』

『え。セットで?』

『白ご飯とお味噌汁と、あと適当な野菜でよかったら』


 なんと贅沢な、と驚いてると彼女から笑顔と了解のアイコンが返ってきた。


『それで葉山君が喜んでくれるなら。そこまで大した手間でもないし』

『すごく嬉しいです。なんか同居してるみたいだね』

『同居してるわよ』


 そうだった。

 僕達、驚くべきことに同居してたのだ。

 なんということだろう……。


 深沢家に来てそろそろ一月経つが、今さらそんなことに驚きつつ、お礼の落とし所が決まったお陰もあり。

 ようやく緊張もほぐれ、僕らはしばらくの間、深沢さんととりとめもない話を交わした。


 先日貸したゲームの進捗度合いとか。

 料理の好みとか、最近の漫画について。

 お互いの家庭事情や学校行事に触れるようなことはなく、さっきの件にも触れず、ホントにどうでもいい雑談をだらだらと語り合う。


 それは全くもって無駄な時間であったけど、でも僕達にとってはとても自然体でいられる、本当に穏やかな時間であった。


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