辛い時は、耐えるよりも頼りたい(1)

 五月中旬。

 しとしとと降り続く雨粒を黒傘で弾きつつ、そろそろ梅雨かなと思いながら帰宅していた夕方、見覚えのある後ろ髪が目についた。

 水色の傘を揺らし、近場のスーパーへ足を運ぶ背中に、最初は気のせいかなとも思う。

 けど何となく気になったのと、夕食ついでに食パンも買って帰ろうと思ったことも踏まえ、自動ドアをくぐり傘を閉じた。


 スーパーっていつも特有の香りがあるよなあと見渡しつつ、深沢さんを探してそっとお菓子コーナーを覗く。

 案の定、彼女は買い物籠を片手に下げ、きのことたけのこで有名な箱のどちらを入れるか、しかめ面で長考していた。


 声をかけようかと思い、けど、いきなり目の前に現れたら深沢さんがびっくりするかもしれない。

 驚かせるのは本意じゃないな、と、彼女を遠目に見つつスマホでメッセージを送った。


 気づいた彼女が顔を上げ、こちらを見つける。

 ちいさく驚いた彼女に軽く手をあげつつ、「こんにちは」と近づくと彼女も薄く笑って返してくれた。


「驚かせるつもりはなかったけど、たまたま入ってくのを見かけてさ。あと、僕も夕飯買おうかなと」

「うん。まあ、偶然だとは思ったけど……あ、えと」


 深沢さんが目をそらし、手元のパッケージ二つを棚に戻した。


「別に、買ってもいいと思うけど」

「最近お菓子食べすぎかな、って、ちょっと気にして」

「じゃあ半分にしようか。僕と深沢さんで」


 提案をして、失敗したかなとも思った。

 男とお菓子を分けるのは嫌だっただろうか? けど、前もシュークリームを分けたしな。


 と、提案すると彼女はちょっと恥ずかしそうに俯きつつ、どっち、とパッケージを示す。


「葉山君はきのことたけのこ、どっちがいい?」

「どっちでも」

「うーん……」


 彼女はちょっと迷って手を伸ばし、籠に入れる。

 中にはすでに、ふりかけセットや牛乳、調味料がいくつも放り込まれていた。


「持とうか、籠」

「……別に、大丈夫だけど」

「いいよ。僕も夕食と食パンとか買いたかったし、一緒に買ってこう」


 食事は別にしてる僕らだが、調味料や飲料水の買い出しはいつも深沢さんがしてくれていた。

 たまには荷物持ちくらいしないと、申し訳ない。


「荷物持ちくらいはさせてよ」


 深沢さんが伸ばした僕の手を見て、籠を見て。

 どうしたものか迷った末、おずおずと差し出した。

 片手で受け取り、ついでに日用品も揃えておこうとスーパーを巡る。


 同居人の女子と、揃って買い物。

 傍目に見れば慎ましいデートのような光景だが、僕も深沢さんもとくに雑談せず「あれ」、「うん」と必要なものを籠へ入れていく。

 ちなみに、僕も深沢さんも自炊はしない。

 いつもの雑貨とお菓子に加え、食パンと牛乳、あとは惣菜コーナーで夕食用のフライ弁当を籠に入れた。

 頭では野菜も必要だと分かってはいるが、ずぼらな一面が先だってつい楽をしてしまう。


 野菜、値段高いしなぁ……。

 と、惣菜コーナーに並ぶ温野菜を眺めていると、深沢さんが「それも」と示す。


「買っていきましょうか」

「健康的だね、深沢さんは」


 彼女はきちんと野菜も取っているらしい。

 感心していると、しかし深沢さんはそっとこちらを見上げ、唇をつんと尖らせて。


「シェア」

「え」

「同居してるなら、お菓子だけじゃなくて、野菜も分けたほうがいいかな、って。……あ、でも葉山君、野菜嫌い?」

「確かにちょっとは食べないとなあ」


 けど、そうか。お菓子が分け合えるなら、野菜も分け合えるか。

 当たり前のことに気づかなかった僕は、なるほどと思う一方、気を利かせてくれた深沢さんにありがとうと笑いかける。

 彼女は視線に気づいて困ったように頬を掻き、ふい、とそっぽを向いてしまった。その仕草がちょっと可愛い。


 深沢家にくる前から一人暮らしをしていた僕としては、同居の利便性(?)についてまた一つ新しい知見を得た気がした。

 もちろん彼女の好みに合わない野菜は選べないので要相談だけど、一緒に買い物する時くらい、こういうのも良いだろう。


「深沢さん。買い物の時、欲しいものがあったら連絡しあおうか。相手に繋がらなかったら無理しなくていいし」

「……うん」


 彼女が頷き、僕らはのんびりと買い物を続けた。


*


「葉山君。持つけど。学校帰りなんだし、鞄もあるのに」

「これくらい気にしないって。それに生物学的にも、男の方が筋肉あるんだから使わないと。得意な人が得意なことすればいいし」

「ちょっと、屁理屈っぽい説明に聞こえるかも……」

「まあいいじゃない」


 深沢さんから預かったマイバックを肩に引っかけ、二人、傘を差しながら歩く。

 ぽつぽつと弾ける雨音と車の走行音を耳にしつつ、赤信号で足を止める。


 とくに話題もなく家につき、深沢さんが鍵を開け、荷物を抱えた僕が先に入った。

 ただいま、と誰にともなく言うと、彼女が続けて「ただいま」と。


「葉山君、荷物ありがとう。冷蔵庫にしまうのはしておくから」

「じゃあ冷蔵庫前まで運んでおくね」

「ん。お弁当は棚に置いておくわ。……お風呂、入る?」

「ああ、うん。ちょっと濡れたし、シャワーだけ……と思ったけど、もう溜めて入ろうかな」


 普段は夜遅くに入るのだけど、今日はなんとなく先に入ってしまおうかなという気分だった。

 いい? と視線だけで許可を願うと、深沢さんはこくりと頷き、冷蔵庫の仕分け作業を始める。


 濡れた靴下を洗濯籠に入れつつ、上着と換えのズボンを持ってきてお風呂の準備。

 少し待ち、お湯が張られた頃合いを見計らってそろそろかな、と洗面所に足を運んだところで、荷物を片付けた深沢さんがそっと顔を覗かせた。


 どうしたんだろう。

 僕、そろそろ服を脱ぐけど……と、気恥ずかしさを覚えていると、深沢さんが四角いふりかけのようなパックをそっと差し出してきた。


「……使う?」

「何それ」

「温泉のもと」


 入浴剤の一種のらしい。

 お風呂にふりかけのように入れることで、本物の温泉みたいにリラックス効果のある香りや色を楽しめるのだとか。

 入浴剤なんて全く使ったことがないので不思議に思いつつ、でもせっかくならと頂いた。


「すいません、恥ずかしい話だけど、どうやって使えばいいのかな」

「入れて、混ぜるだけで大丈夫です」

「了解です」


 まあものは試し、とお風呂に入るなりさっそく湯船に投入してみた。

 すると化学実験のように、もわんと乳白色の煙みたいなものが湯の中で溶けていく。

 おお、と驚きつつかき混ぜるとあっという間に腕が見えなくなるくらい真っ白になり、本当の温泉みたいにふんわりと溶けるような、僅かに甘い香りが鼻をついた。

 シャワーを終えて湯船に浸かってみると確かに、普通のお湯と違って柔らかみがあって、自然と張っていた気がゆるりと和らぐような感覚がある。

 面白いなあと思いつつ、こういうちょっとした変化を、不思議に思う。


 僕は正直、日常生活にあまり興味がない。

 食事はコンビニ弁当で事足りるし、ファッションにもさして頓着しない。

 ある程度の機能さえ果たしてくれれば問題ないと考えてしまう節があって、だから、こういうのにはとんと疎いのだけど。実際に使ってみると案外良いものかもしれない。


 そんなことをぼんやり考えている自分自身に、ふと気づき。

 僕は、もしかしたら、最初は嫌で仕方なかった同居生活をちょっとずつ受け入れ始めてるのかな、なんて、ぼんやりと考えた。

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