辛い時は、耐えるよりも頼りたい(3)

「あーもうマジで勉強してないんだけどぉー!」


 中間試験当日。

 いつものように、やばいやばいと言いながら試験範囲をねだってる山井をあしらいながら、机にノートを広げ最後の確認を行っていた。


 試験直前の、独特の緊張と興奮。

 ああどうしようと騒ぐこと、それ自体が一種のお祭りのようにすら思える空気の中、僕も密かに張り詰めながら、表向きはあえて平静を装い山井に返す。


「まあ、あとは頑張るだけだしね」

「葉山は相変わらず余裕だよなぁ。なんだよその自信、ムカつくわ」

「けど、山井だって本当はそこそこ出来るでしょ」


 試験前に騒ぐ生徒には、二種類のタイプがいる。

 ガチで勉強してない人と、勉強はしてるけど予防線として勉強してないと言い張るタイプだ。


 山井は騒がしいキャラクターに見えて典型的な後者であり、毎回しれっと上位二十位内にいる。

 試験後に発表される成績一覧でも、たまに、僕の後ろにぴたりとつけていて驚かされるし。


「つか葉山、今回お前は余裕だろ。可愛い同居人と一緒に勉強会とか、してんじゃねーのぉ?」

「そういう関係じゃないよ。彼女とは」


 嘘でもなく本当に、僕と深沢さんは、そういう関係じゃない。

 邪魔をせず邪魔をされず、けど、ともに生活をする上でお互いやんわりと気を遣ってくれるだけの間柄だ。


 ……けどそんなの、誰に言っても信じてくれないだろう。

 男女がひとつ屋根の下で暮らしている。それだけで、普通の人は身勝手に恋愛関係を想像するものらしい。

 だから僕は最初から説明する気がないんだよなあ、と、世の中に対する面倒くささを拗らせながら試験の開始を待った。


*


 手応えは、良かったと思う。

 試験二日目が終了し、午前授業のみで帰宅する。


 明日で、試験も一段落。

 あと一息だと自分を奮い立たせながら昼食のカップ麺を片付け、勉強のお供にインスタント紅茶を準備し、自分の部屋に持ち込もうとしたところで――


 ガタンッ! と、何かの崩れるような物音が隣の部屋から聞こえてきて、足を止めた。


 ……深沢さん?


 『どうかしましたか?』とスマホでメッセージを投げつつ耳を澄ますが、彼女の部屋は沈黙したまま。


 荷物が倒れるような音ではなかったが、寝ぼけているにしては、もう昼過ぎだ。

 一旦部屋にカップを置き、リビングに戻って深沢さんの部屋のドアに近づくも、反応はない。

 スマホへの返事もない。


「……深沢さん? どうかしましたか?」


 聞こえる程度の小声で呟き、彼女のドアをノックをすべきか、迷った。


 僕と深沢さんは、未だ、互いの部屋をノックしたことがない。

 前触れなくドアを叩くことが、相手にとってどれだけ神経を逆なでするかを、お互いに理解しているからだ。


 けど、その時はどうにも嫌な予感がして。

 僕はもう一度スマホを確かめた後、遠慮がちに、コン、とドアをノックする。


「あの。深沢さん。すみません、失礼だとは思うけど……いま、なんか倒れるような音がしなかった?」


 心配が過ぎるとは思う。

 けど深沢さんがあんな物音を立てるのも不自然だし、それ以上に、彼女なら僕に不審がられたらすぐ『なんでもない』と返事を返す気がしたのだ。

 と、心配する僕の前でドアが開き、深沢さんがそろりと顔を覗かせたのをみて、ホッとした。

 ……最初だけ。


「……ごめんなさい。驚かせちゃって。……なんでもないから」

「なら良かったです。何か落としたんで……」

「けほっ」


 猫背気味にかがんだ深沢さんが、不意に咳を挟んだ。

 それでよくよく見てみると、彼女はいつもの長袖に重ね着をするように、紺色の法被を被っていた。


 五月とはいえ明らかな厚着。

 にも関わらず深沢さんの顔は青白く、よく見れば、その顔は僅かに汗ばんでいる。

 寝不足と呼ぶには明らかに重たげな瞼に、べったりと汗を張り付かせた黒髪が彼女の頬に絡んでいるのを見た僕は、


 ――深沢さんが引っ込めようとした手を、知らぬ間に掴んでいた。


 自分でもあり得ない行動だと、すぐに気づいた。


 他人に触れたくない僕と彼女の契約において、身体的接触はまさに禁忌だ。

 彼女を驚かせ、深く傷つける行為だと頭では理解している。

 けど、その時の僕はそれ以上に大事なことがあるだろう、という反射的な衝動により、気づけばぐっと手を掴んでいた。


「深沢さん。風邪、ひいてません?」

「……べ、別に。超健康です」

「顔、こっちに向けて言ってくれませんか」


 そんな汗だくで誤魔化せるはずない、と若干怒りつつ、ぺたりと彼女の額に手を伸ばす。

 ひゃあっという可愛い悲鳴とは裏腹に、電気カーペットに触れたような熱さを感じて、やっぱりなぁ……と。


「体温、いくつですか」

「私、平熱が高いってよく言われてて。普段から36度はあるから」

「今日は38度みたいですけど。病院、いきますか?」


 すると彼女は熱っぽい頬をさらに赤らめて、ふるふると首を振った。


「ぜんぜん、平気……葉山君は、気にしなくていいから。試験がんばって」

「試験は試験で頑張るけど、それより何か、飲み物とか買ってくるよ」

「いい。自分でやるから。迷惑はかけないから」


 唇を閉ざし、絶対に止めてくれとばかりに固辞する深沢さん。

 僕は掴んだ手をそっと外しつつ、「深沢さん」と声をかけなおす。


 もちろん、普段の僕なら無理強いはしない。

 お互い合意のうえで、別居しようと提案したのは僕自身だ。


 でもだからといって、お隣さんが風邪で辛そうなのを無視するほど、僕は出来た人間ではない。

 彼女にとって迷惑だとしても、……こういう時だけ言い訳がましいと思われるだろうけど、同居人として放っておくのは、彼女にはもちろん、僕にとっても精神衛生上よろしくない。


「深沢さん。大した手間じゃないし、そういう時くらい僕がするよ」

「けど、あたし達はそういうの、関わらないようにしようって」

「じゃあ深沢さんは、僕が風邪を引いて寝込んでても無視しますか?」


 うぐ、と息を詰まらせる深沢さん。

 そりゃあそうだろう。彼女は無関心を装いながらも夜食を用意してくれたり、事細かくありがとうと挨拶してくれたりと、普通の人以上に気を遣ってくれる人だ。


 顔を合わせず距離を取っていることと、互いに無関心であることは全く違う。

 なら、逆だって成立するはず。


 なのに深沢さんは手を引き、自分の部屋に逃げ込もうとする――のを、強引に捕まえる。


「本当に大丈夫、だから。試験の邪魔とか、したくないから」

「じゃあこうしましょう。深沢さんが風邪のまま無理して引きこもってると、僕が心配になりすぎて、勉強が手につかない」

「そんなの、言い訳じゃ……」

「言い訳でも、僕が勉強に集中できなさそうなのは本当です。だから、僕にちょっとくらい手伝わせてください」


 もちろん彼女の部屋に立ち入って世話をやく訳ではない。

 軽い飲料水や、食べやすいもの。

 ついでに解熱剤や風邪薬を切らしているなら、それらを買ってくるだけ。


「薬局もそんなに遠くありませんし、すぐ帰ります。それくらい、させてください」

「でもぉ……」

「そうしないと、僕も枕を高くして寝れませんから」


 屁理屈を交えて告げると、深沢さんはようやく諦めたらしく、しおれたように頷いた。

 手を離し、じゃあ待ってる……と呟く彼女を見送り、財布を掴む。


 ――まったく。

 ちょっとくらい、頼ってくれても良いのに。


 けど、もし逆の立場だったら僕も言いづらかっただろうな、とは思う。

 警戒心と臆病さ。

 それ以上に、相手に対して迷惑をかけてはいけないという意識があるからこそ、言い出しにくいんだよなあ、と思い……

 だからこそ、こういう時は自分から手を引かなければならないとも思う。


 余計なお世話だとは思うけど、余計なお世話をしたほうが気が紛れることもあるんだ、と彼女に言い聞かせたい気持ちを抱えながら、スマホを手に取り家を出るのだった。

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