辛い時は、耐えるよりも頼りたい(4)
『熱、すこし収まってきました』というメッセージに、ほっと息をついた。
風邪をひいた深沢さんのため、コンビニで経口飲料水やゼリー、甘いものを適当に買い揃える。
それらに加えて薬とタオルを袋に詰め、深沢さんの部屋のドアノブに引っかけておいた。
手取り足取り世話をされるのは、彼女も嫌だろう。
着替えは自室にあると聞いたので、あとは任せよう。
と、彼女に伝えたところで返事が来た。
『色々買ってきてくれて、ありがとう。ところで、このスポーツドリンクみたいなの、すごく美味しい。甘さが丁度よくて飲みやすいんだけど、普通に売ってるの?』
『経口補水液のことかな。それ、普通のスポドリと違って、塩分とかも含んでて脱水によく効くんだよ』
『……知りませんでした』
『ちなみに普通の時に飲むと、塩分のせいでちょっとしょっぱくて美味しくないと思う。脱水のとき限定で美味しいやつです』
『へええ』
簡単なやり取りをしつつ、少しは良くなったらしいと安心する。
とはいえ、後になって熱が一気に上がったりすることもあるので油断大敵だ。
ゆっくり休んで……とメッセージを送るか、迷い。
あまり心配しすぎると逆にプレッシャーになるかとも考え、スマホを閉じ。
明日の試験に向けて、最後の追い込みを始めた。
*
夕方になり、部屋を出たところで深沢さんと鉢合わせした。
あ、と呟いて足を止めたのは、格好に気づいたからだろう。
厚手の法被を羽織り、うっすらと汗ばんだ水色のパジャマ姿だった彼女が足を止め、対する僕もすこしドキリとし、それに気づいた彼女が謝ろうとする。
「あ、ご、ごめん……」
「気にしないで。薬は?」
「風邪薬は飲んだけど、解熱剤はいいかなって……38度あったけど、我慢できるくらいだったし。せっかく買ってきてくれたのに、ごめん」
「ああでも、熱は無理に下げないほうが、風邪は早くよくなるって聞くので、我慢できるならそのままでもいいと思うよ」
「……ん。お手洗い、借りるね」
彼女に先を譲り、僕は冷蔵庫からお茶を出しレンジで温める。
必要があれば、生姜湯とか買ってこようかな……なんて考えている間に深沢さんが戻ってきて、ふと、僕にふわりと口を開いた。
「ねえ、葉山君。あとで……ちょっと、電話していい?」
「あ。どうぞ」
珍しいなと思いつつ、僕らは自分の部屋に戻る。
連絡が来たのは数分後だった。
基本的に、僕らはチャットツールでしか会話をしない。
”通話”だと相手の時間をそのまま束縛してしまうし、どうしても、リアルタイムでの反応を返さなければ会話が途切れてしまう、という弊害がある。
考え事をするにも向いてないし、彼女も僕も基本、対面を嫌う性格だ。
なので珍しいなと思いつつ、スマホをスライドして通話を開始。
どうしたのと聞くと、彼女のやわらかい声が届いてきた。
『いきなり電話して、ごめんなさい。ただ、ちゃんとお礼しておこうって思って』
別にいいのに、と、口をついて出そうになったのを止めた。
ごめんなさい、でなくお礼なら、素直に受けておいた方が彼女も気が楽だろう。
『まあ病気は誰でもなるし、仕方ないと思うよ』
『けど、葉山君の試験直前って……タイミング的にどうなのって』
『まあ試験も明日までだし、気にしなくてもいいよ。それより辛いことない?』
といっても、僕に手伝えることは少ない。
せいぜい換えのタオルを持ってくくらいだけど、と笑いかけると、彼女が重い口を開いた。
『……葉山君。ちょっとだけ、愚痴ってもいいかしら。あたしが言えたことじゃないけど』
『もちろん』
返すと、もぞもぞと衣擦れの音が聞こえた。
たぶん、深沢さんが布団に籠もった音だろう。
妙に生々しい生活感にどきどきしつつ、先を促す。
『風邪が辛いっていうのは本当だけど……私やっぱり、こういうことで葉山君に気を遣わせるの、苦手みたい』
『気にしなくていいのに』
『そうなんだけど、私が気にしちゃって。……ほら、家族旅行って、あるじゃない? みんなが楽しみに待ってたのに、あたしだけ直前になって風邪ひいて熱出して、みんなの空気を悪くしちゃうみたいなの』
『ああ、あるね。修学旅行中に風邪ひいて、困った顔されるようなアレかな』
『そう。せっかく楽しんでるのに水刺すなって睨まれそうなやつ……』
深沢さんはおそらく、僕に謝りたいというより、自分自身が辛いから謝っているんだろうと思った。
だから、愚痴。
僕の試験勉強の邪魔をしてしまった。
病気は仕方がないもの、と頭で理解してても、迷惑をかけてしまったことへの、自身の後ろめたさはどうしても、絡みつくように意識に残る。
――やっぱり彼女、僕とちょっと似てるなあ。
そして、似てるからこそ彼女の考えていることも何となく推測できる。
ここで僕が「気にしなくていいよ」と言っても、効果はないだろう。
彼女自身が、迷惑をかけた自分を許せないと感じてしまっているのが、彼女の抱えた辛さの本質だから。
こういうとき、言葉の力はとても弱い。
僕がいくら声をかけたところで、彼女がそうだと思い込んでる限り罪悪感は拭えない。
じゃあ、どうしようか?
僕はしばし考え、手元のペンでコツコツと机を軽く叩く。
明日の試験科目は、数学と現代文。国語はともかく数学は得意分野だ。なら。
『深沢さん。これはほぼ、僕の自己満足ではあるんだけど。明日の試験さ、数学Ⅱと現代文なんだよね』
『え? ……う、うん』
『数学は好きだし得意なほうだし、国語もまあ問題をきちんと読めば、いけると思う。だからさ』
くるり、とペンを回し、大したことのないような口ぶりを装って。
『明日の試験、とりあえず両方90点以上取るね』
『え?』
『まあうちの高校、試験が簡単とまではいかないけど難しくもないから、いけると思う』
『う、うん。……うん?』
よく分かってない深沢さんに、僕は意図を補足する。
『で、僕がそれだけ取れたら、深沢さんも心配しなくていいよね。自分の風邪が、僕の勉強に影響はなかった』
『……あ、ぇ』
『むしろ今日約束したお陰で気合いが入って、僕の成績も上がったっていう証明になる。そう考えたら、気が楽にならない?』
結局のところ、彼女が心配しているのは、僕に迷惑をかけていること。
なら、結果で覆してしまえばいい。
風邪なんて関係ない。
むしろ今、約束したことで僕にも気合いが入り、いい成績が出せました!
という結果にたどり着ければ、彼女の心配は心配でなくなる。
『それって逆に、葉山君のプレッシャーにならない、かしら』
『もともと試験はプレッシャーがかかるし。それに、いい点取るに越したことはないしね』
『……けど』
『で、それで僕がいい点取れたら、今度また漫画を貸して欲しい。いい成績のご褒美にさ』
善意というのは、借金に似ている。
相手から借りてばかりでは重荷になるし、お返しできないことに罪悪感を募らせる。
だから代わりに、僕からも簡単なご褒美のおねだりをして、彼女の荷物を軽くする。
そうして精算したのち、僕らはいつも通り他人同士に戻るのだ。
暗に込めた頼み事に、深沢さんがどこまで気づいたかは分からない。
けど、彼女は電話越しにでも分かるくらい、ほっと落ち着いた息をついた……ような気がした。
『うん。じゃあ、それでお願いしていいかしら、葉山君』
『了解。頑張るね』
『……なんだか、葉山君だけに頑張らせてる気がするわ』
『明日の試験までね。終わったら明日は一日ゲームするために引きこもるよ』
深沢さんがくすっと笑った。
スマホの向こうで、きっと可愛く頬を緩ませてるんだろうなあ、と僕もつられて笑い、――顔が見れないのが残念、なんて考えた自分にすこし驚く。
『じゃあ、その。切るね。葉山君。ごめん……じゃなかった、頑張って』
『うん。おやすみ深沢さん』
『ん』
『ん』
挨拶を挟んで通話を終えてから、妙に心が浮ついている自分に気がついた。
試験への緊張は増えたはずなのに、身体がふわっと軽いような。
僕自身その理由が分からないまま、つかみ所のない心地よさを覚えつつ、ノートと教科書を広げなおす。
何故だろう。
今回の試験、負ける気がしない。
……っていうと、負けフラグ全開の気もするけど、もちろん違う。
下手な点数を取って、深沢さんを失望させたくない。
そう思うといつも以上にやる気が出て、不思議と、集中力が上がった気がした。
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