たまになら、騒がしい日も楽しみたい(4)
人と人との距離はある種の化学反応のように、ちょっとした薬液の量で劇的に変化する。
そして科学物質も人間関係も、一度間違えたら元に戻すのは困難を伴う。
『葉山君、晩ご飯一緒に食べるー? ひまりが作ってくれるって』
『や、待って。葉山君の好みの味付けとかわかんないし……た、大したもの作れないし』
『でもひまり、ちょっとは料理できるって言ってたよね? あたし食べたーい。葉山君もどう?』
賑わうチャットの誘いに、とっさに『自分のぶんはあるので大丈夫です』と返答してしまった。
帰宅前に夕飯を買っていたことも理由だが、さっきの下着姿の話がまだ心の隅に残っていたのと、深沢さんに夕飯作りを押しつけるのは申し訳ないなという気持ちが強かった。
男としての恥ずかしさがあったのも、事実だ。
――白状すると、あとで、失敗したなと後悔した。
夕食を終え、たまたまお手洗いもかねてリビングに出れば、ちょうど深沢さんが二人分の夕飯をテーブルに並べている最中だった。
ふと、そのテーブルに目を流して……僕の心が大きく揺れる。
深沢さんの今日のメニューは、野菜炒めとひじきの和え物らしい。
さっと炒めた豚肉に、もやし、にんじん、キャベツをざっくり平皿に盛り付け、さらに上にはすこしお焦げのついた目玉焼きまで乗ってる一品。
和え物はスーパーの惣菜らしいけど、底の深い小皿にきちんと盛られているお陰でとても贅沢に見えた。
さらに出来たてでご飯と味噌汁を添えられ、なんともいい香りが漂っている。
おおー、と薬池さんが瞳を輝かせた。
「すごっ。野菜炒め作れるとか、ひまり天才じゃん。しかも目玉焼きまであるし」
「別に、大したものじゃないけど……」
「分かってないなあ、ひまり。フライパンすら使えないあたしにとって、お焦げがついてパリパリっとした白身つきの目玉焼きは馳走なの。この目玉焼きに野菜炒めの豚肉をとろっと絡めて食べたら最高じゃない?」
頂きます! と手を合わせ、さっそく頬張る薬池さん。
はわー、美味しい! と大げさに頬を膨らませて喜ぶ彼女を見つつ、正直にいえばちょっと……いやかなり羨ましいなと思いつつお手洗いに行こうとしたら、やはり見咎められた。
「んふふ。しあわせ。葉山君も作って貰えばよかったのに」
「……そういうのは、契約違反なので」
「ええ。それにほら、好みとか分からないし……下手なもの、出せないし」
深沢さんと揃って否定するも、薬池さんは「そうだけどさぁ」と、ご飯粒のついた頬をゆるめる。
「線引きは大事だけど、ちょっとくらい甘えたり頼ってもいいんじゃない? その分きちんと相手に返せばいいだけでさ」
「けど、僕には料理を作ってもらうのに返せる程のものもないので」
「私も……それに毎日作って、とかいう話になると、負担になると思うし……どっちにとっても」
深沢さんの言うとおりだ。
作ってくれる側はもちろんのこと、作って貰う側もまたお返しできなければ居心地が悪くなる。
それでは別居関係が維持できなくなるからこそ、僕らは食事を別々に取っているのだ、と僕は帰す。
「僕は、安易に約束を破って、ずるずると彼女任せにしたくないので。そこはきっちり分けた方がいいかな、って思います」
「律儀だねえ。まあでも、それくらい律儀だから、ひまりも安心できるんだろうね」
薬池さんが笑って野菜炒めを口にし、これご飯とめちゃくちゃ合うねと褒めていた。
対面の深沢さんは平静を装ってるけど、褒められて嬉しいのか、隠しきれない喜びにより眉をひくつかせているのが見える。
……正直、いいなぁと密かに羨みつつ、それは僕らにとって禁忌だ、と自分を戒めた。
*
その夜。
ふと目が覚めた僕が寝転がりながらスマホで確認すると、時刻は夜半前だった。
変な時間に目が覚めたのは、夕食後にうたた寝をしてしまったせいだろう。薬池さん達と遊ぶのは楽しかったものの、あとで疲れが出てしまったらしい。
けど、しまったな。この時間に目が覚めると寝付けなさそう、と顔をしかめつつ、一息つこうと部屋を出る。
冷たいお茶で喉を潤し、ふぅ、と一息ついて――
「夜更かし悪い子、みーつけたっ」
いきなり声をかけられ、つい、小声が漏れそうになるくらいには驚いた。
振り返れば、薬池さんが「しーっ」と口元に指を当てている。
キッチンの蛍光灯しかつけてないため、ダイニングの椅子に腰掛ける彼女の姿はうっすらとした幽霊のようにしか浮かび上がらない。
それでも明るい薄水色の寝間着といい、明かりの下で悪戯好きな妖精のように浮かべる笑顔といい、薬池さんらしさが失われないのはさすがだと思う。
学校で人気が出るタイプの子だろうなあと眺めていると、おいで、と手招きをされた。
「ねね。ちょっと話しない?」
「……僕で良ければ。深沢さんは?」
「寝ちゃった。昨日も夜更かししてたみたいだし。あたしが今日来るって聞いて、緊張してたみたい」
「まあ突然のことで、びっくりしたとは思います。……ココアでも入れましょうか? インスタントのしかありませんけど」
お願いと頼まれ、二人分のスティックの封を切りお湯を注ぐ。
熱くなりすぎないよう牛乳を少量加えスプーンで溶かし、テーブルに並べると薬池さんが感謝ですと片手で礼をした。
「ん。美味しい。……さっきはごめんね? うっかり恥ずかしい話聞かせて」
「いえ。まあ恥ずかしかったですけど。それより、昨日の今日で突然でしたね本当。前から計画してたんですか?」
思い立ったが吉日、で、会ったことのない相手に大阪から来るのはすごい行動力だと思う。
ただ、事前に言ってくれれば準備もできたのだけど、と思っていると、彼女は長袖のパジャマをパタパタと振って曖昧に口元を緩めた。
「ごめんねぇ。わざとなんだ」
眉をひそめた僕に、彼女はきちんと両手を合わせて謝った。
「一週間前っていったら、事前の打ち合わせができるでしょ? 葉山君が予定を立てて友達の家にいったりさ。今日はひまりに会いたいのが半分、君に会いたいのも半分だったから」
「どうして僕なんでしょうか」
「心配だったからね。ひまりが一人暮らしなのは知ってたし」
納得がいった。
彼女が深沢さんの親友なら、“結婚法”で見知らぬ男を招くのは気が気でなかっただろう。だから不意を突きたかったのだ。
素敵な友達だな、と僕が勘づいたことに彼女が勘づき、頬杖をついて笑みを深くする。
「聞いてるかわかんないけどさ、ひまりの親って癖があってね。知ってる?」
「直接は聞いてませんけど、少しは」
「それで変なことになってないかなあ、って。余計なお世話だったみたいだけど」
「いや。……それなら来てくれて有難かったです」
「そう?」
「だって、見知らぬ他人なんて信用できないじゃないですか」
”結婚法”はその建前上、成績および生活態度が優秀な若者だけが、対象に選ばれる仕組みになっている。とはいえ選定に人間が関わる以上ミスはあるし、そもそも学校での素行の良さだけで人柄を計るのは無理がある話だ。
上手な詐欺師ほど、人当たりがよく物腰柔らかいと聞くし。
それに僕自分、自分のことを疑わしい一人だと思っている。
「深沢さんを心配して、家にまで押しかけてくれる薬池さんは、友達思いだな、と」
「葉山君って変わった人だね。いまの話、葉山君を疑ってますよって言ってるようなもんだけど」
「疑うくらいでないと不味いと、僕も思うので大丈夫です」
とくに深沢家は普通の”結婚法”と異なり、両親が不在の一対一だ。
普通の人が聞けば邪推するのは当然で、そこを心配してわざわざ遠方から押しかけてきてくれる人がいるなら歓迎すべきだろう。
そもそも他人を苦手とする深沢さんが、自宅に招いてよいと判断する程の相手でもあるし。
「薬池さんも良かったら、これからも時々遊びに来てください。毎日だと大変ですけど、僕の様子見もかねて来てくれると嬉しいです」
「うん。けど葉山君は大丈夫な気がする」
「そうでもないと思いますよ。人って、口での嘘ならいくらでも言えるので」
人の本性は、言葉ではなく態度に出る。
――あなたのためを思って言っている。
家族だからそれが普通でしょう。
君のことが好きだから、僕は頑張っている。
綺麗事を並べるのは簡単で、嘘をつくのも簡単。
そして人間の多くは、その建前を理由に他人を無理やり抑えつけてくる。
それは僕自身にも言えることだ。
自分にとって、その場その場で都合のいい嘘や建前を自分自身を言い聞かせ、本来してはいけないことをやってしまう――そんな可能性は十分にあるし、僕は僕を信用していないので、そういうお節介は時々焼いて欲しいなと思う。
「葉山君って、変わってるね」
「そうですか?」
「うん。すごく普通に見えるけど、よく話してみると変わってるな、って気づかされる感じ?」
そうだろうか。僕には普通の基準がよく分からない。
とはいえ、他人とちょっとズレてる部分はあるかもな、と感じる時もなくはない。
まあそれを言ったら薬池さんの方が断然変わってるよなあと眺めていると、ふいに彼女が笑みを深くして僕を見た。
「葉山君さ。良かったら、ひまりとこのまま同居してくれない?」
「……? そのつもり、ですけど」
「そうだけど、あたしから改めてお願いしたいなあって。”結婚法”って、片方が拒否すれば解消できるんでしょ? そうすると、ひまりのことだからまた別の人と仲良くしなさい、って言われそうだし。なら、君の方が良さそうだし」
それはちょっとね、と言いにくそうにする彼女。
なるほど、深沢さんを心配する彼女らしい発言だ。
けど今のところ、その心配をする必要はないだろう、と僕は考えている。
まあ深沢さんの心まで知ることは出来ないので、彼女が何をどう考えているかは分からないけど。
お願いするのは、むしろ――
「深沢さんの気持ちまではわかりませんけど、僕の方から解消するつもりはありません」
「そう? でもひまりって、ときどき面倒な時ない?」
「いえ。というより、実際には逆かもしれません」
「ん?」
そういえば、深沢さんとこんな会話を直接やり取りしたことはなかったな、と思いつつ。
眉をぴょこん、と可愛らしくつり上げる彼女に、僕はとくに気負うことなく自然体で言葉を繋いだ。
「僕も、深沢さんにはとても助けられているので、今のままのほうが有難いんです」と。
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