たまになら、騒がしい日も楽しみたい(5)

 ぼんやりと光るキッチンの蛍光灯に照らされながら、今日の僕は、普段よりテンションが高いのかもしれないなと思った。

 薬池さんが来て、久しぶりに騒いだせいか。

 或いは、夜の魔力か。

 僕自身よく分からないまま、考えるより先に口が動いていた。


「じつは僕も元々“結婚法”を受けたくはありませんでした。友達の男子には、可愛い子と二人暮らしなんて最高だろって言われますけど、見知らぬ他人と生活をともにするなんて、気が重いなんてものじゃありませんし」


 他人と暮らすということは、他人の目に晒されるということだ。

 相手に気を遣い、相手を不快にしないよう言葉を選び、細かなすれ違いを起こすたびに我慢を強いられる。そんな日々を二十四時間過ごすなんて想像するだけできつい。


 学校だけの人間関係なら、そこまで問題はない。

 クラスには三十を超える生徒がいて性格も様々だし、先生もいるし、そもそも大半は授業時間なので会話をする必要がない。

 さらに言えば、気が合う部分だけ話を合わせることも出来る。

 実際、山井や春日部とは普段から楽しくオタトークできているし、それを悪いとは思っていない。

 文化祭や体育祭にしても、積極的ではないにしろイベントの手伝いをしていれば、そう咎められることもないはずだ。


 けど、自宅は違う。

 目的もないまま、場合によっては相手の機嫌を二十四時間ずっと取り続けなくてはならず、どこに導火線があるかも分からない地雷原を歩き続けて、神経をすり減らさないはずもない。


 ――家族は大切に。

 人との縁は素敵なもの。

 なんて言う人もいるけれど、人と人との密度が深くなるほど、相手の気に入らない部分や嫌な面が見えてしまう、なんてことも沢山あって。

 そういうのが煩わしいと思う僕は、できる限り、他人との関わりを抑えたいと思っている。


「……なので僕としては、本当は断りたかったんです。けど先生の推薦と、父親の許可もあったせいで断りにくくて。僕も元々一人暮らしをしてて、金銭面で父親に迷惑をかけてることは理解してたんで、仕方なく引き受けたって感じです。……けど。本当に、偶然なんですけど」


 そう。ここからは本当に偶然。

 これが物語の世界なら、運命の出会いに繋がるような劇的な出会いがあったんだろうけど、もちろん平凡な一学生である僕にそんなドラマチックな出来事が起きるはずもなく。

 けど彼女と話をしていくうちに、自分達には共通点があることに気がついた。


「深沢さんも僕と似てて、自分に強く関わってこない人のほうが、嬉しいようです。なので、お互い様なんです、本当に」

「ふむふむ。それで、葉山君にとっては、今のままが都合がいい、と」

「はい。それに、必要なところはすごく気を遣ってくれますし」


 彼女は口数こそ少ないが、決して無関心ではない。

 むしろ必要以上に気を遣い、約束をきちんと守ってくれる性格の子だ。それも、僕にとって大変有難いなと思う。


 仮に自分の相手が深沢さんでなく、目の前にいる薬池さんであったなら。

 僕は彼女の騒がしさに理解を示しつつも、心が疲れてしまったことだろう。


 皮肉なことに、僕は、僕を放っておいてくれる人の方が、相性が良いらしい……。


 空になったマグカップを置いて、ふと、話しすぎたかなと思った。

 薬池さんとは今日が初対面だ。自分語りをし過ぎるのは宜しくない。


「葉山君と深沢さんって、面白いねぇ」

「変、ではなく?」

「変わってるとは思うけどね。仲良しならご飯くらいは一緒に食べたりするだろうし、そこまで遠慮しなくても、とは思うけど」

「まあ、普通じゃないのは理解してます」


 普通の人から見れば、仲が悪くないのに別居状態というのは理解し難いだろう。

 おかしい、異常な関係だと揶揄されても仕方ない。……けど、それが僕らの――


「けど逆に夫婦らしい、って思うなあ」

「え」


 薬池さんが笑う。含みのある、ふわっとした喜び方。


「まあそもそもさ? 普通の人って葉山君はいうけど、じゃあ普通って何だろ? っていう話よね。ひまりは分かりやすいけど、じゃあ他の人はすごい癖とか無い? って言われたら、結構あるでしょ? だったら当然、相性もあるしさあ。……そういう癖が誰にでもあるなかで、二人の気が合うなら、合うやり方でやってくのはいいじゃない?」

「いいんですかね、そういうの」

「バレなきゃ大丈夫じゃない? 他人に迷惑かけてるわけでもないし、それに葉山君もひまりも、その方が過ごしやすいって言ってるならいいんじゃない?」

「まあ確かに」

「自宅で裸族でもバレなきゃ犯罪じゃないしね!」


 ぐっと親指を立てる彼女だが、その言い方は昼間の出来事を思い出すから止めて欲しい。

 けど、彼女の言い分は分かる。


 普通じゃなくても、他人に迷惑さえかけなければ許される。

 そして僕らは普通からちょっとズレてるけれど、互いに合意を取って別居し、それを心地良く受け入れている。

 それはそれで別にいいよ、というのが彼女の主張なのだろう。


「ありがとうございます、薬池さん」

「お礼言われるようなことは言ってないよぉ。代わりに、ひまりを宜しく」

「僕こそ、お世話になります。……あ、すみません薬池さん。この話は、深沢さんには秘密と言うことで」

「なんで? 可愛く照れそうだけど」

「そうですけど……」


 深沢さんに面と向かってこんな話をするのは、恥ずかしい。

 今日の昼のことも合わせて、ぎくしゃくした関係になりそうだ。


「それにまあ、深沢さんには話さなくても分かって貰えると思いますし」

「いやぁ、あの子たまに勘違い凄いからどうかな……? ま、アイス一本で手を打とうかね」


 つぎは人差し指を立てる彼女に、冷凍庫から賄賂を渡すと、彼女は嬉しそうに外袋を破って口にくわえた。

 しゃくしゃくと音を立て、棒アイスが消えていく。

 ちなみにこのアイス、深沢さんの私物だけど今は許して欲しい。


「でも葉山君さ、余計なお世話だろうけど、もうちょっと深い話くらいしてもいいと思うけどね」

「そうですかね。深沢さんは、深入りされるのが嫌そうなので……」

「けど、お互い遠慮しすぎるから逆に面倒になることもあると思うよ」


 そうかもしれないけど、僕はそこまで彼女に深入りする気は無い。

 相手の負担になる行為には、距離を取る。

 その方針をぶらしてはいけない。


 ご馳走様、とアイスを平らげ、余り棒を外袋にしまって捨てる彼女。

 空のカップをもらうと、あんがと、とにんまり瞳を緩めて猫みたいに笑った。


「葉山君って将来いい旦那さんになりそう」

「なりませんよ。そもそも僕が、誰かとお付き合いできるとも思えませんし」


 そもそも一人が好きな僕が、他人と深い関係を築けるとは思わない。

 そうかな? という疑問を聞き流しつつコップを預かり、丁寧に洗っていると薬池さんが「お休み」と笑って部屋に戻ろうとしたので、一言。


「薬池さん。アイスを食べた後はもう一度、歯磨きしましょう」

「そこは指摘するの?」

「遠慮しない方がいい時もある、とさっき聞いたので」


 薬池さんが嫌そうな顔をしながら洗面所に向かう姿を見送り、コップの水を払う。

 シンクに洗い物は残さない。

 自分のぶんは毎回、自分で洗いましょう。

 僕と深沢さんはあくまで協力関係。居心地が悪くないのは確かだが、それ以上の関係なんてありえないし、そもそも彼女も望んでいないだろう。


 食器カゴに戻しつつ、なぜか、僕は自分に言い聞かせるように深沢家のルールを改めて再確認した。


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