僕らは結婚し、そして離婚した(3)
『ひまり、説明して頂戴。確かにお母さんは”結婚法”に申し込むよう言ったわよ? でもそれは一対一の形じゃなくて、複数人でのシェアハウスの方でしょう? どうしてそんな話になってるの?』
「っ……ごめんなさい。応募用紙、間違えて」
『嘘つかないで。事前に学校から説明もあったはずでしょ、その時に訂正できたはずでしょう?』
スマホから響くひりついた声に、深沢さんがびくっと震えた。
確かに、結婚法――政府推奨の少子化対策プログラムには、複数人で同居するシェアハウス型もある。
複数の男女がともに生活をする中で交流を深め、コミュニケーション力や恋愛観を養おう、という安っぽい計画だ。
実際、応募としてはそちらが多いと聞いてるけど……。
『ひまり。嘘ついてもお母さん分かるんだからね。あなた、本当は行きたくなかったんでしょう。たくさんの人と一緒に生活するのが怖かったから、わざと書類を間違えて、自分の家に来るのにしたんでしょう? けど、わかってるの? 一人暮らしさせてるあなたの家で、同年代の男と一緒だなんて、あなたが怖い思いするだけよ?』
「っ、だ、だから本当に間違えて……」
『なんで嘘つくの! そんなにお母さんを困らせて、あなた何が楽しいの?』
きんきんと耳に触る怒声。
ごめんなさい、と頷く深沢さんだが相手の勢いは留まることなく続く。
『あのね。お母さんも好きでひまりに怒ってるわけじゃないの。私はあなたのお母さんだから、仕方なくこういうことを言ってるの。なのに、ひまりはどうしてお母さんの気持ちを分かってくれないの? 今のまま引きこもって将来どうするの? 同い年のみんなは普通に学校に行ってるのに、あなたはなんとも思わないの?』
「……ごめんなさい」
『それ、何に謝ってるの? お母さんはね、難しいことは言ってないのよ? ただ普通に学校に行って、普通に生活して普通に結婚して欲しい、それだけなの。べつに本当の結婚しろとか、そういうことは言ってないの。ただ、ひまりにごく普通の子に育って欲しいってお母さん思ったから、その手伝いをしたいだけなのよ?』
なんで分かってくれないの。
恥ずかしいと思わないの。
難しいこと言ってないでしょう?
深沢さんはリスのように背を丸めて「はい」と「ごめんなさい」を繰り返していた。
彼女が今どんな顔をしているのか窺うことは出来ない。それを、見るべきでないことくらいは理解できる。
『分かったなら、ひまり。相手の方がきたら今すぐごめんなさいして断りなさい』
「っ、でも、もう」
『何?』
「……なんでも……はい。わかりました」
『わかったならいいのよ。ごめんね、怒ったように言いつけて。でもこれは全部あなたのためなの、分かってね? 愛してるわ、ひまり』
通話が切れる。
青ざめた深沢さんがスマホから耳を離し、そこでようやく、会話がスピーカーになっていたと気づいてぎくりとした。
慌ててスマホをしまい、……深沢さんがおそるおそる僕を見上げる。
「あ。え、と……その……ご、ごめん……」
その顔ははっきりと蒼白になり、泣きそうなほど辛そうで。
僕もまた、なんともいたたまれない気持ちのまま、どうしようかと考え――
「すいません。ちょっと、時間をくれませんか」
「え」
「考える時間を、ください」
一旦、会話を止めよう。
僕はあまり頭の回転が速いほうではない。
まず、状況を整理しよう。
……落ち着いて。
冷静になれ自分、と、深呼吸を挟んで考える。
図らずも、他人の家庭事情を垣間見てしまった。
正直、他人の家庭事情を勝手に推測するのはまずいなとは思うけど、……いまの会話から察するに、深沢さんはこの家で一人暮らしをされている。
母親との関係はよろしくなく、一人暮らしということは、父親との関係もよくないのかもしれない。
そして彼女は母親から、シェアハウス型の同居を要求されていた。
僕がここで断れば、今回の話は破談になるだろう。
ではもし、破談になった、その後は?
――結婚法はすべて無かったことになるか?
そんなことは無い。
僕はおそらく学校側から、また別の縁談を持ち込まれ、面倒事が増えるだろう。
深沢さんも、おそらく行きたくもないシェアハウスを押しつけられ、酷く苦労するだろう。
僕だって一対一ですら辛いのに、見知らぬ複数人と家族のように過ごすなんて、もっとキツイと思う。
要するに、いまの状況を断ると……、いや。その前に確認しよう。
思い込みだけで、話を完結させてはいけない。
僕はもう一度頭の中でくるくると言葉を回す。
どう話せば通じるかな、と整理しつつペットボトルの蓋を開き、一口、喉を潤してから顔を上げた。
「深沢さん。すこし、話をしませんか」
「っ、はい……」
「ひとつ聞かせてください。他人と同居するのは、嫌ですか?」
顔を引きつらせる深沢さん。
ああ、これでは答えにくいか。
……なら、自分の話を先にしよう。
「実を言うと、僕も、他人と同居するのは苦手です。先生や親に言われて、仕方なく”結婚法”に同意しましたけど……正直、他人と一緒に暮らすって、めちゃくちゃ気を遣うじゃないですか」
現実はラブコメのように甘くない。
他人と空間を共にするということは、つねに相手を気遣い、困らせないよう礼儀正しく立ちふるまう必要がある。
それを二十四時間ずっと続けるのは、息が詰まる。
「いつも他人の目があるのは、正直、辛い。それが見知らぬ人となると、疲れませんか」
「っ……はい。私もすごく疲れるというか、神経を使って」
「僕は、自分のことをコミュ障だと思ってまして。一応こうして話はできるんですけど、他人と話してると、常にMPが減っていく感じっていうか。話してるだけで、疲れてしまう方でして」
世の中には人と話してると元気になる人がいるらしいが、僕は全くもって逆だった。
一人の方が心地良く、誰にも気を遣わない時間が一番好きだ。
「それで、深沢さん。ここから、ご相談なんですけど」
口を開きながら、本当にこんな提案をしてもよいのか?
という不安はあった。
ただ、もしここで彼女との同居を破談にし、また別の人と生活を共にしろと言われるくらいなら……。
そして彼女のように、僕に似た特有の”陰”の気配を色濃く漂わせている人なら、もしかすると。
じんわりと汗ばんだ手を握り、僕は次の言葉を考える。
「深沢さん。いきなりの話で、申し訳ないのですが……僕からひとつ、提案があります。もしかしたら、怒られるかもしれませんが」
「……ええと。何、でしょう」
身を引きながら、見上げる深沢さん。
彼女の小柄な身長だと、僕がすこし怖く見えるかもな……と思い、すこしだけ膝をかがめて、彼女に笑う。
僕にとっても、そして彼女にとっても厄介な”結婚法”を攻略する。
その最良の方法は――
「よければ予定通り、同居しませんか。その上で、離婚しませんか」
「……え」
彼女がぱちくりと瞬きし、小さく、小首を傾げた。
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