僕らは結婚し、そして離婚した(5)

 会話には勢いというものがある。

 興奮したその瞬間はノリで話せても、後になって顔を合わせると、話すきっかけがない……という場面に遭遇する。



 深沢さんと別れ、部屋で休憩している間に冷静になったせいか、自分が割ととんでもない約束をしてしまったのではないかと思えてきた。

 相手の母方とも話した上、当人といきなり「別居しましょう」って。

 あまりにも勢い任せ過ぎてはないか? と。


 もちろん口にした言葉は本音だが、自分でも前のめり過ぎた提案では頭を抱え、しかも、これから深沢さんとどう話を詰めていけばよいのか悩ましい。

 一旦、部屋を出て隣をこっそり覗くも、深沢さんはまだ部屋に籠もったままらしく物音一つしなかった。


 ……ノックしてみるべきだろうか?

 けど、突然ドアを叩いて気分を害してしまうのは、僕の望むところではない。


 こういう時、どうしたら良いか困るんだよな……。

 と、悩んでいたその時、ぴこんとスマホが鳴った。

 開くと【葉山、同居生活どうよ?】と、クラスメイトからメッセージと、冷やかしのアイコンが届いていた。


 気楽でいいよな……と溜息をつきながら適当に返事をしようとして、ふと気づく。

 考えてみたら、同居してるからといって顔を合わせて相談する必要もない。


 別居をしましょうと提案したのだ。

 なら、自宅に居ながらLIMEで返事をするとか……?


 果たして、そういう会話はアリだろうか?


 考えた末、僕は鞄からレポート用紙を一枚破り、ボールペンでメモを走らせる。

 それをリビングのテーブルに置き、返事を待った。




『深沢さんへ

 いきなり声をかけると驚くかと思い、メッセージを残しました。

 提案ですが、対面で話にくければ、電話、もしくはLIME等を使ってはどうでしょうか?

 対面で話すと、僕も緊張してしまって、うまく返事ができない時があります』



 返事が来たのは、三十分後。

 再び部屋を出ると、テーブルの上に新しいメモが増えていた。



『葉山さんへ

 メモ書きありがとうございます。私も、そのほうがとても助かります。

 可能ならLIMEではなく、Discordを使っても大丈夫でしょうか?』



 マニュアル作成に続き。

 僕らの初の相談は、対面ではなくチャットツールから始まった。


*


 Discord。配信サイトで聞いたことはあったが、自分で使うのは初めてだ。

 LIMEと何が違うのだろう、とアプリを導入してすぐに分かった。


 まず便利なのが、LIMEと違って文章を修正できること。

 書き間違いや表現間違いを修正できるのが、とてもよい。

 既読がつかないのもいい。

 LIMEに『既読』の文字が表示されると、自分がいま文章に目を通したという意思が相手に伝わるせいで、返事をせかされてるような束縛感があり苦手なのだ。


 テストをかね、深沢さんにメッセージを送る。


『葉山です。この文章、きちんと届いてますでしょうか?』

『深沢です。大丈夫です。先程は、私の母へのご連絡ありがとうございました。とても助かりました』


 深沢さんは文面だと、丁寧な口調になるようだった。


『こちらこそ、突然、別居の提案などしてすみませんでした。驚いたかと思いますし、何でしたら今から拒否してもらっても構いませんので』

『いえ。私もさっきまた考えたのですが、集団行動は苦手で……考えてみたら、この方が良かった、です』


 そう言って頂けるなら、僕としても頑張った甲斐があったし、安心する。

 もちろん彼女のためだけでなく、僕自身のためでもあるのでお互い様だ。


『それは良かったです。それで、深沢さん。これからの事ですけれど……あ。会話はdiscordのままで大丈夫ですか?』

『はい。私も、こちらの方が落ち着きます』

『ありがとうございます。僕も直接の会話だと、とっさに変なことを言ってしまいかねないな、と不安になるので。そのぶん、チャットツールだと考えて文章を送れるので助かります』


 直接の会話は、やっぱり焦ってしまうので苦手だ。

 とくに、相手に急かされたり空気を読んだりするのが嫌いな僕としては、文字ベースの会話のほうが、落ち着いて考えることができて有難い。

 それに、ふとした表情……

 対面だと、つい心に秘めた面倒くささが滲み出てしまう時があるので、どうにも好きじゃない。


『私も葉山さんと同じく……というか、その。葉山さん以上に、会話が苦手なので』

『僕も苦手なので、同じです』

『そうですか? でもさっきはすごくきちんと話してましたけど』

『頑張って取り繕ってるだけです』


 僕は外向きをよく見せるのが一応出来る、というだけの話だ。

 もし二十四時間ずっといい顔しろ、なんて言われたら、途端に疲れ果ててボロが出てしまうだろう。


 その意味でも、深沢さんとずっと顔を合わせなくていいのは、正直とても助かる。


『それで、深沢さん。改めてこれから生活を一緒にしますが、ええと。まず別居についてですが』

『はい。なにか、提案ありますか?』

『そうですね。まず……ご飯は別にしませんか』

『別?』

『僕の考えなので、もし違ったら教えてほしいのですけど。同居してるからといって、一緒にご飯を取る必要はない、と思います。もちろん相手のためにご飯を作る必要もないし、作って貰う必要もありません』


 僕らはなるだけ、関わりすぎない別居関係を築きたい。

 なら、相手の負担になるようなことはできるだけ避けるのが無難だろう。その最たるものが、食事だと思う。


『お恥ずかしながら、僕は自炊ができません。普段はコンビニ弁当でぜんぶ済ませてますが、特に気にしてません。……なので、深沢さんのために作ったりできませんし、だからといって作って貰うのも負担になると思います。なので、別でどうかなと』

『……それで、本当に宜しいのでしょうか? 一般常識として、私がご飯を作らなければならない、というか』

『一般常識がどうかは知りませんが、お互いにとって一番楽な方法がいいと思います。ずっと相手に合わせようとすると、気疲れするじゃないですか』

『ええ。食事にも好みがありますし、毎日の献立を出すとなると、ちょっと』

『要するに、お互いを意識せず一人暮らしの時と同じように過ごす。どうでしょう?』


 彼女からの返答に間があった。

 悩んでるのだろうか、とスマホを置いて待つと、……スコン、という効果音と共に、緑髪の女の子が親指と人差し指で○を作っているスタンプが届いた。

 同意してくれたらしい。そしてアイコンが可愛い。


『……あ、あの。試しに送ってみたんですが、葉山さんはスタンプで返事すると、困ってしまう系でしょうか』

『いえ、困ってしまわない系男子なのでお構いまく。あまり沢山絵文字があると、困惑しますけど』

『了解しました』


 文章って人柄が出るよなぁ、と思う。

 深沢さんの文章はとても堅く、けど、丁寧に応えようとしてくれる意識がよく伝わってくる。


『では次の話ですが……』


 それから僕らは丁寧に、お互いの約束事をひとつひとつ確認していった。


 冷蔵庫の中身について、飲み物は深沢さんが補充しておくので、ご自由に。気になるなら自分で買ってくること。

 お風呂については、深沢さんは遅くに入るらしいので、僕が先に頂くこと。

 朝も、とくに申し合わせることなく勝手にご飯を食べて学校に行ってください、とのこと。


 一通り話をまとめたところで、深沢さんから追伸が届いた。


『すみません。葉山さんには色々とお手をかけてしまって』

『いえ。こちらこそ、こういう話ができて良かったです。マニュアルもですけど、最初に決めておくと分かりやすいので』

『ええ。……ただ、その。今になって、こんな話をするのも、アレなんだけど』


 彼女の言葉がくだけ、ちょっと言いにくそうに、返事が遅れた。


『私達のやり取りって”結婚法”的に、大丈夫なんでしょうか? この同居って、相手と仲良くするのが目的だと聞いてたので……』


 ”婚姻法”の目的は、少子化の改善および若者のコミュニケーション能力の向上だ。

 他人と生活を共にすることで、お互いを深く知る――そのための人付き合いを学ぶ、という建前だ。


 僕らの行為は確かに、法の精神に背いている気がしなくも無い。

 けど、まあ。


『別に、いいんじゃないですかね』

『そうですか?』

『確かに、同居してるのにチャットって変ですけど、ちゃんとコミュニケーションは取れてるので』


 普通じゃないけど、目的は達成できている。

 それに僕自身、こっちの方が好みだし、やりやすい。


『深沢さんに負担がないなら、この方法がいいな、と僕は思います。……それにほら、えと』

『?』

『家族だからって、いつも好き勝手に部屋のドアをドンドン叩かれたり、いきなり呼び出されたり、ずかずか立ち入られるのって嫌じゃないですか? 家族だからそれ位普通だろう、って、押しつけられたりするのは』


 文章にして、ちょっと言い過ぎたか、と手を止めた。

 僕はあまり自分の話をしなたくないが、つい、感情が滲み出てしまった気がする。


 気分を害した、だろうか?

 と、返事を待っていると、返ってきたのは先程の○印をした女の子だった。


『はい。放っておいて欲しい、私に関わらないで欲しいってよく思います』

『だったら、僕らは僕らを放っておきましょう。困った時や、相談したい時だけ相談する。まずは、その方針でどうですか?』

『はい。……ありがとうございます。すごく、助かります』

『いえ。僕も同じく、助かりますので。じゃあまた、何かあったら同じように相談しましょう。お疲れ様でした』


 アプリを閉じる。

 同時に、詰まっていた呼吸がだいぶ楽になった。やはり、初対面の相手と話しをするのは気疲れする。


 けど不幸中の幸い、とでも呼ぶべきか、彼女と僕は近い感性を持っているらしい。

 数多のラブコメに登場するヒロインのような、ぐいぐいと迫ってくる人でもなく、甲斐甲斐しく世話を焼く人でもなく。

 その真逆。

 亀のように閉じこもり、沈黙を尊び、誰にも触れず過ごしたいなという、僕と似たタイプの気配がする。


 僕は密かに感謝しつつ、夕食の買い出しをかねて部屋を出る。

 すると丁度、深沢さんも部屋を出ていて、僕らはうっかり目があった。


 あ、と呟いたのは一瞬。

 そっと会釈をすると、彼女も慌てつつ会釈を返して冷蔵庫に向かう。




 言葉は交わさず、けど、理解はしている。

 その関係がちょっと心地いいなと思いながら、僕は夕食の買い出しのために家を出た。

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