僕らは結婚し、そして離婚した(4)

 結婚して、離婚しましょう。

 僕の提案に、彼女は薄い瞳をぱちくりと何度も瞬かせる。

 本人は気づいてないけど、愛らしい仕草にちょっと笑いそうになりつつ、説明不足であったことを詫びた。


「すみません。正しくは離婚でなく、家庭内別居です」

「……それって、どういう」

「最初に、状況をまとめます」


 一旦話を区切り、自分の中でどの順に話せばよいか整理した。

 言葉というのは、拳銃のようなもの。

 一度放つと取り返しがつかない。だから、慎重に口を開く。


「まず僕は、親と先生の都合でここに来ました。望んで”結婚法”に同意したわけじゃありません。正直、他人と関わるのは嫌です。……そして深沢さんも、あまり乗り気ではない、と感じました」

「ぅ……ごめんなさい」

「いえ。僕もそうなので、謝らなくて大丈夫ですよ」


 人に向かって素直に、僕は人が嫌いです、なんて本音を話したのは初めてかもしれない。

 妙なくすぐったさを覚えつつ、続ける。


「ただ、もしここで僕と深沢さんの同居が破談してしまうと、たぶんですが、僕はまた別の相手、もしくはシェアハウスで複数人とお付き合いしつつ生活するのを勧められると思います。……父親からも、その方が生活費的にもいいと言われてますし」


 ”結婚法”には政府の補助金が出る。

 世間で物議を醸しているが、結構な額であるのも事実だ。


「で、深沢さんも、その……さっきの話ちょっと聞こえちゃったんですが、このままだとシェアハウス型を望まれるのかな、と」

「……そうなり、ます。はい」

「ええ。で、そうなるくらいなら、僕と深沢さんで表向きの同棲生活をしつつ、でも、家の中では別居。一人暮らしとまではいきませんが、それぞれ自由に過ごせた方が、いいんじゃないかな、と」


 この提案は深沢さんだけでなく、僕自身にとってもメリットの大きい話だ。

 見知らぬ複数人と毎日挨拶し、もめ事にならないよう我慢しつつすり合わせるくらいなら、相手は一人の方がいい。


 それに、何となくだけど……深沢さんが相手なら、やりやすい気がする。


「もちろん、深沢さんが同意してくれたらの話です。自分で言っておいて何ですけど、男と同居生活するのって怖いと思いますし、そういう意味ではシェアハウスの方が安全と言えば安全かもしれませんが――」

「む、無理。複数の人と一緒とか私死んじゃう」

「僕も死にます。だったら、まだお互い同意できる相手の方が、いいかなと。あ、もちろん僕のことが嫌なら、すぐ言ってください。解消そのものはそう難しくないはずです。……どうでしょうか」


 そこまで説明して、一息つく。

 色々考えたけれど、僕自身にとっては最善……ではないが、最悪でもないはずだ。


 でも、と深沢さんが辛そうに呟く。

 申し訳なさそうに唇を歪め、長い前髪でそっと顔を隠すように俯いて。


「話しは分かります、し、嬉しいですけど、うちの母が、ダメ、って……」

「その点ですけど、よかったら、僕から話をしてみましょうか」

「え」

「上手く説得できます、と自信を持ってはいいませんけど。ただ、第三者から話すとまた違うと思うし」


 もちろん上手くいくとは言わない。

 けど、これは僕の今後の高校生活全てに関わる大事な話であり、やってみる価値はあると思う。


「……でも、葉山さんにそこまでさせるのは、その」

「そうですけど、僕にとっても有難い話なので。深沢さんが嫌でなければ」

「……ぅ……」


 深沢さんが僕とスマホを交互に見やり、やがて迷いながら、手に取った。

 彼女の中に、どんな葛藤が渦巻いていたかは分からない。


 けどやがて「話だけ、話だけだから……」と、深沢さんが自分に言い聞かせるように呟き、スマホを手に取り、コールをかける。

 相手はすぐに出た。


『どうしたの、ひまり』

「……あ。あのね。さっきの件だけど……私の相手の男の子がいま、家に来てて」

『どうして? 断るように言ったでしょう、すぐに追い返しなさい。もしかして、もう家に上げちゃったの?』

「う、うん。それで、お母さんと話がしたいって……」

『ひまり、あなたね。自分で言えないからって、お母さんに何でも頼るのは――』


 僕が手を差し伸べると、深沢さんがふるりと震えながら逃げるようにスマホを貸してくれた。

 すみませんと謝りつつ、ばくばくと緊張する心臓を抑えながら、口を開く。


「失礼します。初めまして、ええと……深沢さんのお相手の、葉山透といいます」

『っ……初めまして。葉山さんと仰るのですね。私、深沢の母です』


 ヒステリックな声が和らぎ、余所行きの取り繕った口調に変わった。

 直感する。たぶん相手は、うちの学校の先生達とおなじく外面を重視するタイプだ。


「すみません、突然お電話したいと言ってしまって」

『いえ。こちらこそ本当に申し訳ありません。うちの娘が、バカなことをしたみたいで。本当、恥ずかしい……それで、結婚をなかったことにしたい、ですね? ええ分かっています。後できちんと学校の方には連絡を』

「その件、なんですけど」


 ズキン、ズキン、と、胸が痛んだ。

 再三言うが、僕は人と話をするのが得意じゃない。

 ましてや相手を説得したり、衝突したりなんて絶対にやりたくないことの一つだ。


 けど今は、僕だけでなく深沢さんにとっても大切だからと自分に言い聞かせる。


「じつは、その。僕はもう結婚法の書類に、サインをしてまして。……それの撤回が、ちょっと難しくて」

『そうなのですか? 書類の撤回そのものは、難しくないと聞きましたけど』

「撤回自体は難しくありません。ただ、僕も先生から説明を受けたんですが、”結婚法”には特典がつきます。共同生活のための補助金とか、内申点の優遇とかです。それも一緒になくなってしまうのが困る、っていうのがひとつあります。……それと、結婚法を撤回すると仕組み上、×1がつきまして」

『っ……そうなの? ごめんなさい、その制度については初めて知りました』


 当然だが、この×1自体に意味はない。

 いまの日本の離婚率はおよそ33%、三組に一組が離婚する時代と言われているので、それ位はごく普通にある話だ。


 ただ、それが初日いきなり、となると、さすがに見栄が悪い。

 また×1だけならともかく×2、×3と積み重なる場合、本人のコミュニケーション力に問題があるのではと疑われる可能性もある。


「正直、僕としては避けたいところではありますし、それは深沢さんも同じだと思います。初日で×1、というのは見栄もよくなくて……あと下手をすれば、補助金詐欺と疑われる可能性もあります」

『そうですね。ええ、確かに』

「なので今回の”結婚法”の件、深沢さんの手違いだと聞きはしましたけど、すみません。よければ少しの間、様子を見て貰えないでしょうか?」

『……つまり、葉山さんとひまりの同居をしばらく認めて欲しい、と? けど一人暮らしの女の家に、男の子が住むって非常識でしょう』

「そこは起こさないよう心がけますし、問題が起きたら僕も、学校も、この法案を出した人も困るはずです。深沢さんにも、嫌だったらすぐ同居解消しましょうとは伝えてあります」


 サインした書類に書いてあったが、同居中のどちらかに不当な行為が認められた場合、様々なペナルティが与えられる。

 そもそも世間で”18禁法”と言われるような法律だ。

 騒ぎを起こしたら、どうなるか。考えるまでもないし、僕にそんな怖いこと出来るはずもない。


『話は分かりました。でもね、葉山さん。あなたが信頼出来る人かどうか、私には分かりません。その点はどうなの?』

「僕が僕について説明しても仕方ないので、そこは、学校側から連絡を聞いて貰えればと思います。結婚法にはレポートの提出や活動報告の提出が義務づけられてますので、そういったところから聞いて貰えれば」

『ひまりはなんて言ってるのかしら』

「本人は、それで構わない、と。……あとは、ご本人から聞いて貰えればと思います」

『……一度、うちの娘と代わってもらっても?』


 スマホを深沢さんにそっと返す。

 スピーカーモードをオフにしたため金切り声はもう届かず、深沢さんのぼそぼそとした話し声だけが室内に響く。

 はい、とか、うん、とか。


 その返事を、僕は背筋を伸ばしたまま、待つ。

 ……うまく伝わっただろうか?


 やがて彼女がスマホを耳から外し、ほっと息をついた。

 安堵の溜息なのか、残念な溜息か。迷っていると、彼女がほんのりと口元を緩めて、


「一応、許可を貰えました……うちのお母さんも、話してて真面目そうな人だから、と」

「それはよかったです」


 一番の理由は、×1がつくという世間体を気にした可能性もあるけれど。

 何はともあれ、話がまとまって安心した。

 そして、ほっと一段落した途端、緊張した疲れがどっと出てきて、思わず大きく溜息をつく。


 ……ああ、いけない。

 まだ深沢さんの前なのに、と意識をしゃんとしようとしたが、深沢さんも深沢さんで疲れたように項垂れていた。


「…………」

「…………」


 気遣い疲労、でもいうべきか。

 会話を苦手とする僕らは、いまの交渉だけで、力を使い果たしてしまったらしい。

 全くもって、人間というものに対する耐性が低すぎると思うが、克服しようにも苦手で……。


「深沢さん。続けて、ひとつ提案なんですが」

「……はい」

「ちょっと、休憩しませんか。一旦、部屋で落ち着きたくて」


 細かい話はあとにして、一人になりたい。

 落ち着いて呼吸を整え、色々起きたことを整理する時間も欲しい。


「あ、はい。部屋はあちらに……」

「ありがとうございます。詳しい話は、またあとで」


 そうして僕らは揃って席を立ち、お互い、自分の部屋に避難することとした。


 緊張のせいで熱の籠もった制服の胸元をばたつかせ、深沢さんに言われた部屋へ。


 室内は八畳間ほどの洋室で、すでに真新しい勉強机とクローゼットが用意されていた。

 ベッドを含めた新品の家具達が、真新しい香りを漂わせながらうっすらと僕を拒絶しているように感じる。

 それでも、他人の目がないだけで、気持ちは大分リラックスできる。


 ほっと一息つき、同時に、これからこの部屋で暮らすのかと思うとすこし、気が重い。

 深沢さんには別居しようと約束したけど、同じ住まいにいる以上、関わることも多くあるはずだ。


 家での約束事の取り決めも含めて、これからどうしようか。

 まだまだ悩みが尽きない中、ベッドに腰掛けスマホを開く。


 まず湯会った頭を冷やそうとスマホを開き、ぽちぽちと普段遊んでる数独パズルを解きながら、ひとつ、大きな溜息をつくのだった。

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