僕らは結婚し、そして離婚した(1)

「なあ葉山。確かにお前は、成績も優秀で真面目な生徒だ。先生の言うこともよく聞くし、学校行事もきちんと手伝ってくれる。目立たないが、受け答えもきちんとしてる、とても”良い”生徒だ。――けど今の高校生ってのは、それだけじゃ駄目なんだ。お前もなんとなくわかるだろ?」


 朝のHR後、担任の先生に呼び出された時から嫌な予感はあった。


 その予想は残念なことに的中し、昼休みに進路指導室を訪れた僕を待っていたのは、ソファにどっしりと座る教頭先生。

 その左に気弱そうな学年主任、その反対側に進路指導担当の先生。

 びくっと固まる僕の後ろ、遅れてやってきた担任に背後を取られたことで、四面楚歌と呼ぶに十分すぎる状況のなか、半ば強制的に座らされ説教を受けていた。


 ――今の時代に適応するには、真面目なだけじゃなく自己主張も大切だぞ。

 他人と適切に、かつ、深いコミュニケーションを取れる人材が必要だ。

 お前は真面目だが、人と関わる積極性が足りないな、と。


「そこでだ葉山。お前、同級生の女子との同居に興味はないか?」


 は? と、耳を疑う僕に出されたのは、数枚の書類。

 契約書のような表紙の頭には、綺麗なフォントでこう書かれていた。



 ”少子化対策法案 4-12 若者間のコミュニケーション推進法に関する依頼について”



 通称”結婚法”。

 SNSにて“令和のR18法”、”ドスケベ法”などと散々笑われたそれは、昨年うっかり誕生した連立政権により可決された、若者の結婚を推奨する法案だ。

 僕もざっくりとしか知らないが、結婚および出産に対する補助金や学費補助といったごく普通の政策に加え、世間で物議を醸した政策が、ひとつ。


 主に高校生を対象に、シェアハウスのような形で同居を勧め、若者の家族観や恋愛観を育てよう――

 施行されるなりSNSで大炎上、政権支持率はだだ下がりとなり火消しに追われているようだが、法は法。

 話を受けた学校としては、何かしら政策を実行しなければならないのだろう。……たぶん。


 けど、どうしてその話が、僕に?


「先生。どうして、僕なんでしょうか。他にも向いてる人は沢山いると思いますけど」

「生徒なら誰でもいい訳じゃない。相手の親御さんが一緒とはいえ、知らない相手と同居して問題が起きたら困るだろう? その点、葉山なら真面目だし問題は起こさない、と、先生達は判断したわけだ」


 つらつらと述べる教頭に、左右から先生方が続ける。


 ――相手は自分と同い年の女の子だ。いい経験になるだろう?

 ――お前は頑張ればもっと上にいける生徒だ。他人とより深く関わることは、将来の財産になるぞ。

 ――父親の許可も取ってある。

 ――それともお前、勉強はできても社会問題とかはどうでもいい感じか? これからの時代、冷たい人が増えるからこそ心優しい人がだな……ああ、これは強制ではないからな、あくまで先生からの推薦だ。けどお前なら出来ると、先生信じてるんだ――


 屁理屈だ、と思った。

 それっぽい理由を並べているけれど、学校には僕より成績のいい生徒もいれば要領のいい生徒もたくさんいる。

 性格が明るい男子も、僕より人懐っこい女子もいる。


 そんな中で、あえて僕が選ばれる理由を考えるなら。

 ……僕は、人の頼みを断るのが苦手だから、か。


「どうかね、葉山君。受けてくれないかね?」

「いや、それは……」

「聞けば君、いまはご両親と離れて一人暮らしをしてるんだろう? 母親は離婚しておらず、父親も単身赴任。高校生の身で一人というのは、先生としても心配だ。こういう時に頼れる家族がいるのは大切なことだろう?」


 家族の絆を学ぶ、大切な機会だ。

 そう言われ、僕はぎゅっと心を手のひらを握りしめたけど、結局は文句も言わず「考えさせてください」とだけ口にする。




 ――確かに僕は、学校でトラブルを起こしたことがない。

 成績も悪くないし、去年はクラス委員長も務め、先生の言うことも真面目に聞くほうだと思う。

 先生がそんな僕に頼みたいと言ってきたのは、間違いじゃないのかもしれない。


 ……けどそれは、僕が真面目で勉強が好きだから、そうしている訳じゃない。

 他人と揉めるのが苦手だから、相手の言い分を仕方なく飲んでいるだけだ。


 下手なことを口走って、誰かに睨まれたり。

 陰口を叩かれたり面倒なトラブルに巻き込まれるのが嫌だから、表向きいい顔をして……

 去年クラス委員長に選ばれた時も、正直やりたくなくて仕方なかったけど、先生にどうしてもと頼まれたから引き受けた。


 本音を言えば、一人で気楽に過ごしたい。

 家ではのんびり読書や漫画に没頭し、誰もいない世界で一人完結したい。

 誰にも邪魔をされたくない。


 そんな僕にとって”結婚法”による同居はまさに天敵、絶対に受けたくない話だった。


*


 ……けど、それで断れるなら、苦労はない。

 父親まで了承し、生活費まで盾に取られたうえで「家族とはいいものだ」という建前には反論できず――


*


 郊外にある高層マンションを見上げて、足を止める。


 ……名前も知らない“彼女”との同居暮らし。

 見知らぬ家で。

 神経を張り詰めながら、偽の恋人としてひとつ屋根の下。


 ……もし、女の子との同居生活が羨ましい、なんて思うやつがいるなら、間違いなくラブコメ漫画の読み過ぎだ。

 他人に神経を使いながら24時間過ごすだなんて、想像するだけで気が重い。


 ……そもそも初顔合わせで、何を話せばいい?

 初対面の挨拶は? その後の相談は、何を?

 全く知らない相手と、いきなり生活のルールについて不躾に聞くのか?

 行きたくない。

 会いたくない。

 面倒事に巻き込まれたくない。

 ヘドロのような感情を引きずりながら、それでも僕は仕方なく自動ドアをくぐり、エレベーターにて八階へ。


 ぶうん、と重力に逆らう感覚が足を引っ張るなか、やっぱり断ればよかったなと後悔する。

 自分には、同居なんて向いてない。

 二十四時間、他人と暮らせば、きっと突かれてしまう。

 ……けど仮に言い返したら先生方にさらに詰められるし、父親にも遠回しに文句を言われ、生活費の話まで出されたら僕には抗いようもない。


 いや。それも結局は、言い訳だろうか?


 ぐちゃっとした思考を抱えたまま、気づけば“彼女”の部屋の前にいた。

 インターフォンに指を伸ばし、けれど一度手を止め、迷い……


 もう帰れない、とボタンを押す。


 遅れて、室内から足音。

 じっと息を潜める中、かちゃり、と遠慮がちにドアノブが回り、……”彼女”がそろりと顔を覗かせる。



「…………」

「…………」



 ラブコメのような、劇的な出会いでは、なかったと思う。


 ドアの隙間からそっと伺ってきた少女は、控えめにいって、可愛らしい子だった。

 肩まで伸ばしたボブカットの黒髪に、季節外れな厚手のセーター。

 うっすらかかった前髪から覗く瞳と、色白ながらも柔らかそうな丸みを帯びた顔立ちは、全体的に控えめかつ大人しそうな雰囲気がある。

 誰もが見惚れるわけではないが、波長が合う人には可愛いと感じるタイプの子であり、そして――


 そんな可愛らしさを全力で否定するかのような、圧倒的なまでの”負のオーラ”を押し込めていた。


 ぎゅっと閉じられた唇。

 ドアを開けたまま腰を引き、猫背で俯きがちな姿勢のまま僕を見つめる、警戒心をたっぷり詰め込んだ猫のような眼差し。

 緊張と困惑、なにより”私は人が苦手です”と全身で主張してそうな雰囲気は、ある意味で同じ波長をもつ僕にもびりびりと伝わってくる。

 直感。

 あるいは、匂い。

 他人という存在が側にいるだけで疲労とストレスが貯まるという、同族の気配。


「…………」

「…………」


 考えていたはずの挨拶が、うまく、口から出てこない。

 初対面の相手に黙るなんてこと、普段は絶対にしないのだけど、なぜかその時は言葉が出なくて。


 互いに無言のまま――それでも、先に口を開いたのは、僕の方。


「あ……す、すみません。固まってしまいました。……初めまして。僕は葉山秀といいます。話はすでに聞いてると思いますけど、今日からこちらで生活させてもらうことに……」

「っ、あ、のっ!」


 しかし何とか絞り出した初対面の挨拶は……


 ぽふん!

 と、彼女から僕に突きつけられた、数枚のレポート用紙に阻まれる。


「こ、これ……」

「?」

「作りました、ので」


 反射的に受け取り、僕はその資料に目を落とす。



【深沢家同居マニュアル】



 黒いひもで綴られた、同居に関する取扱説明書。

 はて、と僕は瞬きをし。

 表紙の右下に【深沢ひまり】と書かれた彼女の署名を見ながら、眉を寄せる。




 僕らの同居は甘さの欠片もない、ルールの確認から始まった。





――――――――――――――――――――――

物語は次話終盤から、また転がります。

是非そちらまで読んでいただけると嬉しいです。

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