3.加護

(信じられへん……どゆこと? 噂に尾ひれが付くにしても付きすぎやろ……)


 ネレスは目を伏せて思考の海に沈む。

 前世の自分がとんでもない悪者にされていること、処刑されてから22年も経っていること……何もかもが不可解だった。名前が広まっているかもしれないと思ってはいたが、予想以上にひどい。

 そもそも今の体が海に浮かんでいたことだって考えてみればおかしいのだ。赤ん坊だったならまだしも、サイズ的におそらく小学校低学年くらいまでは育っている。


 育つまでこの体は何をしていた? どうしてまた同じ世界に転生した? 前世の自分が災厄の魔女と呼ばれるようになったのは何故だ?


 この世界には魔法があるのだからなんでもありだと言ってしまえばそれまでかもしれない。だが、何となくそれだけではないような気がした。


「さあ、できましたよお嬢様。すっごくお可愛らしいです!」


 キアーラの跳ねるような声ではっと意識が引き戻される。着替えを手伝ってもらっていたのだがいつの間にか終わったようだ。

 顔を上げると、彼女が用意した姿見に自分が映っていた。


「あ……」


 視界に入る自分の髪から予想はしていたけれど――ネレスの姿は、前世のオンディーラと瓜二つだった。

 見慣れてしまった藍色の波打つ髪に、月をはめ込んだような白銀の瞳。オンディーラを小さくしたらこうなるだろうという容姿の少女が、少し大人びた夜色のドレスを纏って立っている。我ながらめちゃくちゃ可愛い。可愛いけれども。


(こーれ、オンディーラを知ってる人間に会ったら絶対面倒なことになるやつや)


 大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐きながら目を閉じた。厄介なことにしかならない気がする。嫌な想像ばかりしてしまうが……しかし、今は気持ちを切り替えなければ。


(今のワイはネレス、ネレス、可愛い幼女のネレスちゃんや)

「あら、お気に召しませんでしたか? 他の衣装にしましょうか」

「いや……えっと、だいじょぶで……大丈夫。こ、こんなに綺麗な服を着たの、初めてだったから……うれしい、ありがと……」


 ぎこちなく笑いかければ「ぜひアルヴァロ様にもお伝えくださいませ!」と隻眼のメイドは微笑んだ。

 正直に言えばコルセットは苦しいし、足はスースーするし、衣装は肌触りが良すぎて汚すのが怖い。ヒール付きの靴なんて履いたことがないからいつ転んでしまうかヒヤヒヤする。

 けれど、ネレスとして生きるためには慣れるしかないだろう。



+++



 執事を伴い戻ってきたアルヴァロは、ネレスを見た瞬間「ああ、とても可愛らしいな。まるで星空から降ってきた妖精のようだ」と蕩けるような笑顔で褒めてきた。


「フヒェ……」


 服を用意してくれた礼を言おうとした口から空気の抜けたような奇声が漏れる。とっさに唇を強く噛むけれど遅かった。羞恥で顔が熱くなる。

 ちゃんと感謝の言葉を用意していたのに言えなかったのはアルヴァロのせいだ。急に褒めないでほしい。あと彼の顔立ちが整いすぎているのも悪い。そんなご尊顔で心底愛おしそうに微笑みかけられたらうっかり成仏してしまいそうだ。一度、いや二度死んだだけに。


(なんつって。おもんな……)


 ネレスは目を逸らしながら、真の美形は性別関係なく心臓に悪いんだな……という知見を得た。

 奇声に動じず、アルヴァロは笑顔のまま部屋の奥にある机を手で示す。


「本来ならダイニングルームへ行くが、起きたばかりだからな。ここで食事にしよう。野菜のスープは食べられそうか?」

「はい……う、うん、だいじょぶ……」


 身長が足らず、よじ登るようにして手触りのいい肘掛け椅子に座る。成人から突然子供になったせいで何もかも不便だ。

 向かいにアルヴァロが座り、サービングカートを押していた執事が机の上に食事を並べていく。銀製の深皿に入った暖かそうなスープから美味しそうな匂いが漂い、ネレスは急激に空腹感を覚えた。


(な、なんか言ったほうが良いかな、この異世界っていただきますは言うタイプ? 言わんタイプ!?)


 ちらりとアルヴァロを見ると、彼は既にスープを口に運んでいた。言わないタイプだったかと考えながらスプーンを手に取り、視線を落とし、ネレスはぎょっとした。


「スッ!?」

「どうした?」

「あ、あの、スープが……すごい揺れて……!」


 揺れているというか、おかしいほど波打っている。机や床、アルヴァロのスープはまったく揺れていないのに、ネレスのスープだけがまるで寄せては返す波のように動いているのだ。


「ふむ……ああ、なるほど」

「な、なに……?」

「君は水のニュムパに愛されていると言ったが、正確には海の加護を受けているのかもしれない。ここの水は全て海水を処理して使っているから、それで君に反応しているのだろう」

「海の……?」

「そうだ。闇と大海の神、オプスマレスは知っているか?」


 初めて聞く名前にかぶりを振る。この世界に女神ミフェリル以外の神が存在すること自体知らなかった。アルヴァロは「だろうな」と頷きながらスプーンを置く。


「オプスマレス……その名と存在を知るものは数少なくなってしまったが、本来はミフェリルと同等であるべき神だ。ここネミラス王国は、光のミフェリルと闇のオプスマレスの2柱によって支えられている」

(エ……でも、この国の大半はミフェリルだけを信仰してるんだよな。それってどうなん、ヤバくない?)


 不安になってアルヴァロを見上げると、彼はにっこりと目を細めて笑った。


「つまり、君は珍しい神の加護を受けており、その影響で海水が喜んでいるという訳だ。味に問題はないと思うが、気になるなら別のものを用意させようか?」

(いや信仰の問題とかそういう話はないんかい! まあそうか、今のワイは幼女やもんな……そんな話わざわざせんか……)


 ぎこちない笑みを浮かべながらネレスは「だ、だいじょぶ……ありがと……」と答えた。

 色々気になることはあるが、今はとにかく腹が減っている。ちゃぷちゃぷ波立つ野菜スープをしばらく眺めたあと、気合いで掬って口へと運んだ。

 味はすごく美味しかった。



 なんとか食事の時間を終え、ネレスはアルヴァロに手を引かれて屋敷を案内されていた。

 各部屋や階段の場所などを見て回ったがかなり広い屋敷のようだ。金や緑の装飾が一切ないあたり、アルヴァロの断固としてミフェリルを信仰しないという思いが表れている気がする。

 すれ違うメイドや執事、従僕たちに未成年が多かったことが少し気になった。ネレスのような行くあてのない子供を雇っているのだろうか。……それともやはりそういう趣味なのだろうか。


「屋敷の外には植物園や畑、牧場もある。余裕があるなら見に行くか?」

「エッ! 植物……み、見たいので……行きたい、かも」


 前世で自分の食事や薬に使う素材を栽培するためにずっと土いじりをしていたせいか、植物のことはかなり好きになった。ここではどんなものを作っているのだろうかと考えて、ネレスは無意識に柔らかく微笑む。


「……そうか、では行こう」


 階段をエスコートされながら降り、玄関へと向かったとき。鋭い少女の声と、男の怒声がホールに響いた。


「――ですから、お引き取りください。貴方の目と耳は陶器製ですか? そこに居る癒術師が治せないのなら連れてくる相手を間違えましたね。どうぞ戻って新しい目と耳をくっつけてもらって、100回返書を読み直してから二度と来ないでください」

「貴様……ッ! いつもいつも、誰にものを言っているのか分かっているのか!?」

「おや、自分のことが分からないなら鏡をご覧になってはいかがです? ああそうでした、陶器製だから見えませんね。早急に教会の癒術師に処置してもらうことをお勧めいたします」

(なにあれ……?)


 玄関で白い髪のメイドが、客人らしき恰幅のいい男と言い争っている。男のほうは貴族のような外見をしているが、それに物怖じせず暴言を吐いているメイドは大丈夫なのだろうか。

 アルヴァロを見上げると「面倒な奴が……」と嫌そうに眉間を揉んでいた。


「すまない、ネレス。一度部屋に戻っても構わないか」

「う、うん……」


 気になるものの、突っ込んで聞けるほど親密な関係ではない。頷いて階段の途中で引き返そうとしたが、そのとき「バラエナ辺境伯! やっとお会い出来ました!」と貴族らしき男の声が響いた。

 振り返ると言い争っていた男がメイドを押し退け、屋敷に足を踏み入れてこちらを見上げている。そして男に続いて入ってきた人物に、ネレスはひゅっと息を飲んだ。


 金と緑の紋様が刻まれたローブ――教会の人間であることを示すそれを身に纏う男が、顔を上げた。

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