17.追想
馬車のソファに座った途端、本格的に眠気が襲いかかってきた。思わず出たあくびにアルヴァロが笑う。
「疲れただろう、眠いなら寝ても構わない。ほら」
彼は軽く自分の膝を叩いた。普段のネレスなら遠慮しただろうが、さすがに眠気には抗えない。素直に「うん……」と頷いて横になる。
ちょっと硬い膝に頭を乗せて瞼を閉じると、意識はあっという間に遠のいていった。
久々に誰かのために薬を作ったせいだろうか。心地よい微睡みのなか、ぼんやりと昔のことを思い出す。
少し寒くて暖かい。あの時もこんな――。
+++
オンディーラはふと目を覚ました。
いつもは寒さで震えつつ起きるのに、今日はなぜか暖かい。不思議に思いながら視線を下に向けて「あ」と小さく呟いた。胸の下に金色の小さな頭がある。
そうだ。子供を抱きかかえて寝ていたのだった。
体をずらして彼の汗でじっとりとした額に触れる。まだ熱は高い。起こさないようにそっと抜け出し、動物の毛を詰め込んだ布団を掛け直してやった。
(薬草は採ってあるから……ギリギリトマトが残ってたよな。じゃがいもも収穫できるけど、さすがに重いか)
一昨日、ひどい怪我を負っている子供を森で拾った。
癒術師のもとに連れて行ってやりたかったが、彼らは月に一度しか村へ訪れないため役に立たない。次に来るのは40日後だ。
そのため仕方なくオンディーラが応急処置を施し、家に連れ帰ったのである。この村で一番清潔さに気を遣っていて、怪我を治せる可能性があるのは自分だ。できる限りのことはしてやりたい。
(あったかくして、薬飲ませて、栄養のあるもの食べさせないと……)
外の畑でトマトを採ってきたオンディーラは、急いで竈に火を入れた。これで部屋の気温も上がるだろう。
ライ麦を水で煮込み、潰したトマトと砕いた岩塩を鍋へ放り込む。時々かき混ぜながら、同時に昨日調合しておいた薬草も煎じる。
物音と部屋に漂う匂いで目が覚めたのだろう。寝床のほうで音がした。鍋を火からおろし、煎じ薬の入ったコップを手にそちらへ向かう。
熱で潤んだ新緑のような瞳がぼんやりとオンディーラを見つめた。
「おはよ、飯できたで。薬は飲めそう?」
「……まずいやつ……」
「しゃーないやろ、砂糖とかないんやから。てか砂糖入れても逆にまずいって。ほら、起きれるか?」
子供はしかめっ面をしながら、手をついてゆっくりと起き上がった。背中に切られたような大きな傷があるため動くのも辛いだろう。
彼のことは何も分からない。どうして怪我をしているのかも、どこから来たのかも、自分の名前すら彼は言わなかった。ただ耐えるようにうずくまって、オンディーラを警戒していた。
無理やり手当てをして食事を与えるとようやく警戒を解いて、ぽつぽつと話してくれるようになったが。
嫌々ながらも煎じ薬を飲み干したことを確認して、粥を持って行く。食後は少し温めた水で体を拭ってやり、傷口に薬を塗り直して包帯を巻いた。
手当てを終えたオンディーラは、敷物をしいた床の上に座り込んで薬草の仕分けをする。採った種類や量を紙に書き留めていく。
子供は横になりながら、じっとその作業を見つめていた。
「……なにしてるの」
「薬草の仕分け。これは根っこを刻んで使うやつ。これとこれは見た目が似とるけど、体にいいやつとやべー毒になるやつだからちゃんと分けないとやばい」
「……あなたは魔女なの?」
「魔女?」
子供の問いかけにオンディーラは「へへ」と笑った。
「確かに薬草とか集めてるのって魔女っぽいよな~。残念ながらワイはただの人間やけど。魔法も使えんし……使えたらもっと楽やったんやろけどな」
「……使えない? でも、ニュムパは――なんでもない」
彼は何かを言いかけてやめた。深入りするつもりはないため、オンディーラも聞かなかったことにした。
「ひまだから、なにか話して」
「すごい無茶ぶりするやん。それコミュ障が言われたくない言葉トップ3に入るで」
「変な言葉。どこの訛り?」
「関西弁……エセやから猛虎弁って言ったほうがええかもやけど」
自作のすり鉢でゴリゴリと薬草を潰しつつ適当に答える。
「ネミラス王国に『カンサイベン』なんて訛り、ない」
「ほんまか? 分からんで、だって君ネミラス王国の全土回ったことあるん? もしかしたらカンサイって地方があるかもやろ」
「……大人は屁理屈ばっかり言う」
「大人やからな。……大人って自覚、全然ないけど」
「ねえ、ひま」
「めっちゃ話したやん……しゃーないな」
作業の手を止めて、適当な場所に道具を片付ける。
むずがるように「ひま」と訴えてくる彼は寂しいのだろう。熱で心細くなっているというのもあるかもしれない。
寝床へ向かい、壁にもたれかかったオンディーラは子供を横抱きにした。それから小さな頭をゆっくり撫でてやる。
彼は少しためらったあと、小さな手でおずおずとオンディーラの服を掴んだ。
「しんどいよなあ……ごめんな。あと3日くらい薬飲み続けたら、だいぶ楽にはなると思うから……頑張って、治そうな」
「傷は、飲む薬のおかげでほとんど痛くない。……薬ってすごいんだね」
「んはは、せやろ!」
娯楽がなさすぎて草花を弄っていた15年がついに報われた気分だ。自然と口角が上がる。
しかし子供は浮かない表情だった。
「オンディーラ……どうして僕を助けてくれたの?」
「なんでって……怪我してる子供は、さすがに見捨てられへんやろ」
「僕が……」
眉間に皺を寄せ、子供が恐ろしいものを口にするかのように声を少し震わせながら言う。
「僕が……魔族と人間のハーフでも?」
「……魔族?」
初めて聞く単語に首を傾げる。すごく異世界っぽい名称だ。ここにもそんな存在がいるのか。
「ごめん、ワイ魔族のこと全然知らんから聞かれてもなんとも言えんわ」
「知らない……? 魔族って、悪いやつって言われてるんだよ。人間よりずっと強い魔法を使うんだ。それに変なものも見える」
「変なものって?」
ぎゅっと口を閉じた子供に「や、言いたくないなら言わんでええよ」と穏やかに言った。
密着している小さな体から、どくどくと早く脈打つ鼓動が伝わる。緊張しているのだろう。拒絶されないか、怯えているのがよく伝わる。言い聞かせるように「大丈夫」とオンディーラは呟いた。
「知らんけど、それって人間より強くて、ちょっと違うとこがあるから勝手に恐れられてるだけやろ? 魔族とか君はなんか悪いことした?」
「……してない」
「なら、なんも悪くないやん。自分と違うからって攻撃するのはアホのやることやで。ワイはIQ1億あるから君のことなーんも怖くない」
「IQってなに」
「賢さのこと! だから、安心して休みな。君のことは誰にも話さんよ」
子供は鼻を啜りながら「……ほんとう?」と尋ねる。
「ほんとほんと。まあ、ワイ以外は分からんから、他の人には言わんほうがええかもしれんけど……少なくとも、ワイは君のこと怖くないで」
薬もきちんと飲んでくれるし、暴れることもない。逆にいい子すぎて怖いくらいだ。
子供へ微笑みかけると、彼はぽかんと口を開けたあと恥ずかしそうにオンディーラの胸へ顔をうずめた。
それから子供が完全に回復するまで、オンディーラたちは10日ほど一緒に暮らした。誰かと暮らすのもいいかもしれないと、初めて思えた柔らかな思い出だ。
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