18.告白
子供は怪我が完治したあと、神妙な表情で「そろそろ行かないと」と言った。どうやら本来は中部にいる親戚のもとへ向かう予定だったらしい。
オンディーラは運良く訪れていた行商人に子供を馬車へ乗せてもらえるよう交渉しに向かった。村人たちには子供の存在を隠していたため、人目につかないところへ行商人を呼び出す。
「子供を中部まで乗せてほしい?」
「アッ、は、はい……その、途中までいた両親が……野盗に襲われたらしく……」
実際のところ全く事情を知らないため、野盗云々はでっち上げである。
「しかしねェ、子供ひとり乗せるだけでも色々と、ねェ」
行商人の男は髭をさすりながら難色を示した。
おそらく金銭的なものを暗に要求されているのだろうが、あいにくオンディーラは一文無しだ。引き攣った愛想笑いを浮かべながら、念のために持ってきていた包みを男へ差し出した。
「あ、あの、お肉しか、ないんですが……これでは駄目、でしょうか……」
「ん? これは……おお、上等な干し肉じゃないか! ありがたいねェ、量もあるし充分だよ。乗せてあげるから連れておいでねェ」
「あ、ありがとう、ございます……!」
途端に愛想が良くなった行商人に頭を下げる。コツコツ作って備蓄しておいて良かったとオンディーラは心の底から思った。
連れて行ってくれるって、と家で待っていた子供に報告すると、彼は目を大きく見開いた。
「ほんとうに……良かったの? 僕、歩いて行けるのに」
「や、徒歩で出ていかれたら心配すぎて夜も眠れんて。ほらおいで」
手招きすると、子供は白い包帯を握ったまま近づいてきた。治療のために巻いていたら気に入ったようで、譲ってあげたものだ。それ以来ずっと握っている。
行商人の姿が見えてきたところで彼は立ち止まり、うつむいた。何度か口を開いたり閉じたりして、それからまっすぐオンディーラを見つめる。
「オンディーラ……手を」
「ん? 手?」
繋ぎたいのだろうか。首を傾げながら手のひらを差し出す。すると彼はそれをひっくり返し、手の甲にぎこちなく唇をくっつけた。
「!?」
「助けてくれて……ありがとう。僕、親戚のところに行って、強くなって、お金持ちになって、絶対オンディーラのこと迎えに行く。だから……」
「だから、そしたら、僕のお嫁さんになって」
「…………エッ!?」
予想外すぎるプロポーズにオンディーラは固まった。
(今ワイにプロポーズした!? 嘘やろこんな色気の欠片もない……いや顔は美少女やけど! ワイ中身男なんやけど!? どどどどどどないしよ)
告白なんて前世を含めて一度もされたことがない。どう返せばいいのだろう。年齢的にお断り一択であることだけは分かっている。
分かっているが、少年の覚悟を決めたような真剣な表情を見ると茶化す訳にもいかないし、『大きくなっても同じ気持ちだったら』なんてやんわりとしたお断りの文句を言うのもはばかられる。
「え、ええと、ウーン……」
「返事は、迎えに行ったときにして。すっごくかっこよくなってくるから。……またね」
悩んでいる間に、子供は手を離して行商人のもとへ駆け出してしまった。せめて何か声を掛けてあげないと、と焦ったオンディーラは叫ぶ。
「エッ、ま、待っ……元気で、頑張って!」
一瞬だけ振り返った美しい少年は、頬を赤く染めて笑った。
+++
ゆらゆらと体が揺れている。
懐かしい記憶を脳裏に残したまま、ネレスは意識を取り戻した。薄く目を開いた途端、黒髪の眉目秀麗な男が視界に入る。
「ん、んん……?」
「おはよう、ネレス。ちょうど屋敷に着いて部屋に向かっているところだ。食事はできそうか?」
「うん……」
まだふわふわとした頭で状況を把握しようとする。
ネレスはアルヴァロに横抱きにされ、運ばれているようだ。馬車から降ろされても気づかないほどぐっすり眠っていたらしい。
ぼうっとしたままのネレスをベッドへ降ろし、アルヴァロは「すぐに戻ってくる」と言って部屋を出た。
シムフィもネレスが着ていたコートとマフラーを脱がせたあと食事を取りに行ったため、部屋にぽつんとひとり取り残される。
ベッドに寝転んだまま、ネレスは先ほど見た夢の内容を思い返した。
(そんなこともあったな、懐かしい……純情で可愛かったな~、あの子今頃どうしてるんやろ。もう20年は経ってるんよな? あの顔やったらもうモテモテのモテになって結婚とかしてそ……)
頭の後ろで手を組み、ニマニマと思い出に浸っていたが――ふと重大なことに気づいてしまった。急激に意識が覚醒してバッと起き上がる。
オンディーラは死んでいるではないか。
(いや待って……ワイの悪名(濡れ衣)がこんなに広まってるってことは絶対あの子の耳にも届いてるよな!? ワイが処刑されたことも……まずい……大丈夫か……!?)
夢によってきらきらとした瞳を鮮明に思い出したせいで、強く感情移入をしてしまい「ウッ」と呻く。
しかも彼は魔族と人間のハーフだと言っていた。ジーナによれば魔族はアルヴァロが追い払ったらしい。
どういう形で『追い払われた』のかは分からないが、きっと少なからず迫害されていただろうし、プロポーズした女性は処刑されている。絶望的な状況だ。
(人生ハードモードすぎんか!? しょ、少年……! ほんまごめん、ワイが不甲斐ないばかりに……!)
あんまりすぎて涙が出てきた。彼は無事なのだろうか。願わくは生きていてほしい。幸せでいてほしい。
こんな自分を好きだと言ってくれた彼が、どうかこの世界のどこかで生きていることを願って、ネレスは鼻を啜った。
「ネ……ネレス!? どうした、何があった!?」
戻ってきたアルヴァロが、ぽろぽろと涙を流すネレスを見て駆け寄ってきた。慌てて袖で涙を拭く。
ネレスの手を優しく止めて、彼はハンカチでそっと目元を拭った。
「大丈夫か、嫌なことでもあったのか? それか痛いところでも……」
「や、だ、大丈夫! ごめん、怖い夢見ただけ……!」
「そうか……大丈夫だ。怖いものなんてどこにもない」
あやすように手を握られてこくりと頷く。しかしその大きな手がもたらした、昼間の魔獣に対する強力な魔法を思い出して落ち着かない気分になってしまった。
もし……あの規模の魔法で魔族と争っていたら、その中にあの子供がいたら?
「あ、あの……」
「どうした? なんでも言ってくれ」
「あの、お父様って、魔族を追い払ったって話を聞いたんだけど……魔族は、もういないの?」
答えを聞きたくないけれど、聞きたい。恐る恐る彼を見る。アルヴァロは穏やかに微笑みながら「いいや」と首を横に振った。
「魔族たちはみんな、海を隔てた南の大陸へ移り住んだ」
「エッ、そうなの?」
「ああ。元々魔族の出身地が南の大陸だったため、少々小競り合いはあったものの、比較的穏やかに国交断絶という形へ収まっている」
そう言ってアルヴァロは肩をすくめた。
「噂の中には誇張されたものも多くあるから……中には私がひとりで魔族を大量に殺したなんて言う人間もいるが、そんなことはない」
「そ、そうなんだ……良か、いや、えっと……」
良かった、と言ってしまうと色々誤解を生みそうだ。どう言おうと視線を泳がせていると、シムフィが食事を運んで部屋に入ってきた。
「失礼しま…………アルヴァロ様?」
彼女はネレスの泣き腫らした目を見て、今まで見たことのないような顔をアルヴァロに向けた。
「そんな目で見るな、私のせいじゃない。怖い夢を見たらしい」
「……なるほど」
振り返って抗議するアルヴァロの髪には今日も白いリボンが結ばれている。それを見て何かを思い出しかけたが、忘れてしまった。
(もう歳かな……いや脳みそはピチピチのはず、ワイが忘れっぽいだけや、多分)
「ああ、そうだ。言い忘れていたんだが」
「へっ?」
視線を戻したアルヴァロが窺うようにネレスを見上げる。
「……実は、私にも魔族の血が流れているんだ」
「エッ!?」
「魔族は人間よりも魔法の扱いに長けた種族だ。蝋燭に火をつけようとして、うっかり家ごと燃やしてしまうこともあるほど強い。だから人間に恐れられた」
(ええ!? でもパパ上が魔族を追い払ったんよな? 魔族を追い払ったパパ上も魔族で……うん……!?)
混乱して目をぱちぱちと瞬かせる。その様子に彼はふっと小さく微笑んだ。
「君は、私のことが怖いか?」
その問いかけが、少しだけ怯えるような瞳が、あの日の少年と重なる。夢の中と同じようなやり取りにネレスは思わず「んはは!」と笑ってしまった。
「全然、怖くないよ!」
アルヴァロは眩しいものを見るかのように目を細め「……そうか。それなら、良かった」と呟いた。
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